こんにちは。Yotaroです。

 

タイトルにもある通り、私は幼少期から30代前半くらいまで、かなりの自己啓発ボーイでした。

自己啓発というより哲学本に近かったかな。

 

とにかくしがみついて何とかつないできました。

「小さな違和感たち」と、「こうあるべきだという信念」と、「知っただけで、習得したつもりになっている自分」と一緒に。

 

※自己啓発本を否定するつもりはありません。

自分自身に「取捨選択をする能力がある程度あるな」と感じる時期に参考にするという心構えがないと、自分が飲み込まれてしまうと感じています。

 

違和感を抱えていながらそれを無視していたときは、たいてい何かぱっとしませんでした。

 

そんな私でも、今振り返ると、あの時自分の声を聴いて信じられたな!という瞬間があり、その声に従ったときはいつも良い結果となってたなと思います。

 

①小学生の時の標語募集。

小学生の時に、学校が生徒からの5・7・5の標語を集め、優秀賞を決めるという計らいをしました。

私はそれを一生懸命考え、ある一つの標語が出来上がりました。

それを親に見せたところ、「それではだめだ」と言われました。

しかし、今でもはっきり覚えているのですが、しっかり心の中で「これが良い」と感じ、そのまま提出しました。

 

結果は、見事に最優秀賞。

それは、大きな看板となり、学校の正門に長い間飾られることになりました。

 

ちなみに、小学生の私が考えた標語はこちらです(笑)

 

「助け合い 小さなことでも 大きいよ」

 

うん、小学生らしい!

 

②高校1年生の数学の授業

私は数学がかなり苦手でした。

それに加え、当時の数学の先生はなり振り構わずひたすら自分で計算式を黒板に書いて自分で解いて満足して、すごいスピードで次に行って、という方でした(笑)。

 

その時、「あ、聴いても意味ねーわ。追いつけなくてもいいから先生の話聞かずに、自分で教科書の問題解こう。」と思って、授業中はひたすら自分で問題を解いていました。

ちなみに、私は授業中はしっかり黒板を写すいわゆるいい子ちゃんタイプでしたので、その時の自分にとっては結構な冒険でした。

 

私はその後文系に進みましたが、文系の中でかなり数学が得意な珍しいタイプになりました。模試で数学の偏差値80をとったこともありました。

いつの間にか、数学が最も得意な教科の一つになっていたのです。

(当時の話です(笑))

 

③仕事

最後は仕事の話です。

私は社会人になる前に鬱になり、人の話を聴いて理解したり、本や書類を読んで理解することが非常に難しくなりました。

 

私に残された道は、自分の違和感に頼る、ということでした。

これは不幸中の幸いとも言えると思います。

 

たとえ直属の上司の指示でも、違和感を感じたらしれっと自分がしっくりするようにして仕事を行うようにしていました。

これは、結構真理をついていて、「自分の責任として仕事をする」ということができていたということだと思います。

 

指示通りに動くって、何となく、すべてをその人のせいにすることと変わらない気がしたのです。つまらないし。

※自分の感じ方と、上司の指示が同じだった時はもちろんその通りに動きました(笑)

 

うつ状態の中でも、本社へ引き抜かれたり、MVPをいくつか頂いたりと、かなり仕事ぶりは認められていたと思います。

 

これが自分で自分の声を聴くということだなーと、今になって思います。

 

 

逆に、ずーっと苦しんで出来なかったことは自分の「ありのままでも認めて」という声を聴くこと。

生き方や自分の在り方については、まだ私の中でかなり「~するべき」に偏っており、今一生懸命棚卸しをしている最中です。

 

でも、私には自分の声を聴いて実行でき、かつ成果も上がっていることが確かに存在しています。

 

今はまだうつ病の回復期ですが、生き方や自分の在り方そのものについても、きっと自分の声を認められると思います。

 

今、めちゃくちゃ眠い中文章書いています。

まだまだ「休憩して」という自分の声を聴けていないように感じながら、なんとも矛盾したブログを書きました(笑)。

 

まあこれで良い。

「今は無理することがある自分」も認める対象。

「抵抗する自分」も認める対象。

何をしていても、自分だけは自分を認めてあげる練習の真っ最中なのですから。

 

以上です。

 

お読みいただきありがとうございました!