好奇心の話をします。

 

最後まで読んでくれたらウレシイです。

 

 

 

みなさんの温かいメッセージに

 

すっかり僕は包まれて

 

昨日おかげさまで

 

母の告別式を無事終えました。

 

 

こんなご時世なので

 

家族だけの小さなお葬式で

 

ひっそりと厳粛に

 

母を見送ることができました。

 

 

たくさん言葉をいただいていたので

 

ここで報告させていただきます。

 

みなさん、ありがとー。

 

 

なにせ

 

すべてが初めてのことで

 

見るもの

聞くもの

感じることのすべて

 

初体験。

 

 

みなさん心配してくれていたのに

 

ちょっと不謹慎に聞こえるかもしれない。

 

 

 

もちろん、

 

悲しみや寂しさは当然あるのだけど

 

一方で

 

僕の好奇心が覚醒しまくったのも事実なの。

 

 

 

夜、病院から

 

いよいよの呼び出しがあって

 

その病院の対応も

 

深夜の葬儀屋さんの説明も

 

葬祭の全体の流れも

 

お寺の存在も

 

住職の立居振る舞いも

 

読経で聞き取れる内容も

 

火葬場での諸々の動きも

 

収骨のことも

 

母親が亡くなって

この日を迎えるまでの

すべての出来事。

 

 

それらすべてが初体験すぎて

 

興味津々だった。

 

 

もちろんお葬式は今までも経験している。

 

でも

 

自分が喪主となって…というのは

 

衝撃的に大きすぎる初体験。

 

 

とうとう

自分の肉親の葬儀をすることになった

人生のこの不思議の真っ只中で

 

母親との別れの実感で広がる悲しみと

 

よくわからないまま参加している

子どもたちの気持ちと

 

すべてを仕切ってくれてる妻の頼もしさと

 

火葬場でようやく自分の妻と対面できた

認知症の父の心の動きと・・・

 

 

僕の心はそのひとつひとつに

 

目まぐるしく動き回って

 

悲しみと驚きの大波に何度も呑まれて

 

疲労困憊はもちろんだけど

 

その疲労の度合いさえ初体験で

 

そのことにもまた興味が湧いていた。

 

 

56年生きて

 

まだ味わったことのない感情が

 

自分の中に生まれてくる。

 

 

なんだこりゃ? っていうくらい不思議。

 

 

生きるって飽きないね。

 

 

 

昨夜は早くダウンしてしまった分

 

今朝、1時に目が覚めた。

 

子どものくしゃみが聞こえた。

 

うがいをさせて

 

念のため葛根湯を呑ませ寝かせる。

 

 

僕もまた寝ることもできたのだけど

 

ふと、母親に会いたくなったので

 

コーヒーを淹れて

 

位牌の置いてある階下へ。

 

 

 

昨日からこの家に居る母の遺骨。

 

 

お線香を焚いて

 

しばらく一緒にコーヒーを飲む。

 

 

そういえばコーヒーは

 

モカマタリが好きだったね。

 

 

僕がコーヒー牛乳を卒業して

 

本物のコーヒーを飲んだのは

 

母がサイフォンで淹れてくれた

 

アイスコーヒーだった。

 

 

 

昨日、火葬場で父は

 

渡した缶コーヒーに口をつけて

 

ちべたい・・・と、一言いった。

 

 

 

ドライアイスで安置されていた

 

棺の中の自分の妻の頬に触れた時も

 

ちべたい・・・と、驚いてつぶやいた父。

 

 

認知症だけど

 

どこまでわかっているのかな

 

と、心配していたら

 

先に行かせてごめん…だって。

 

 

思わず泣いた。

 

 

人生を始めるために生まれてくる命

 

人生を終えて死んでいく命

 

 

 

人生ってなんだろう。

 

 

永遠のテーマ。

 

 

 

でも、ひとつ想ったことがある。

 

 

命って、感じるためにあるんだ。

 

 

父の「ちべたい…」を聞いたとき

 

僕はそう想った。

 

 

 

母と父、そして僕です

 

おかあさん、命をありがとう。