“自分”を考えることが多くなった。


圧倒的に多くなったと思う。

 

コロナ禍がその原因なのだろうか。
 

そう思っている。
 

でも、もしかしたら

他にも理由があるかもしれない。

 

それなりに年を重ねてきて

 

自分の“これから”を

 

考えるようになったとか。

 

世の中がマジで混沌としてきて

 

コロナ禍も年齢も関係なく

 

“自分”や“これから”を

 

誰もが少なからず考えるようになっているとか。

 

なにもぼくだけが

特別に考えるようになったわけじゃなくて。
 

もしもぼくが深刻な顔して

「実はぼく最近、こんなことを考えるようになったんだ」

って誰かに言ったら、

 

(何言ってんだコイツ、

そんなのお前だけじゃなくて

みんな毎日考えてる当たり前のことじゃん)

 

って呆れかえられて

 

それがそのまま顔に出ているような表情で

見返されたりするのだろうか。

 

 

もうひとつ理由かもしれないことがある。

 

ぼくが長くカウンセラーという仕事をしているから。

 

人の悩み相談にのるとか

 

幸せになるために心の整理をする手伝いをするとか

 

そうしたことを30年以上もしてきて

 

いよいよ自分の人生や生き方を

 

考えるようになったとか。

 

でも、これもきっと

 

コロナ禍は少なからず影響しているだろうし

 

60を越す年齢になったことも

 

絶対に関係してるんだろうと思う。

 

つまり、

 

いろいろな状況が合わせ技で重なって

 

ぼくみたいな極楽とんぼ的に生きてきたヤツでも

 

考えざるを得なくなったんだろうね。

 

 

「ジョイって

実年齢の3倍くらいは実際に生きてきてる感じ」

 

って言われることがよくある。

 

実はもう800年くらい生きてないと

数ある人生エピソードの数が合わない・・・

 

なんていうふうに言われる。

 

アメリカで養子の話になったり

ステージ催眠術師の通訳をしてテレビで有名になったり

錚々たる著名人たちのカウンセリングをしたり

映画を撮ったり

8000人のライブしたり…..。

 

確かにいろんなことを

ここまでしてきたかもしれない。


そして、

 

今また映画を創っている。


ついこの間、短編ではあるけれど

 

かなり本格的な映画を20年ぶりに創った。

 

これはここから始まる映画のプロジェクトの

 

ほんの序章ではあるけど

 

きっとぼくは今まで以上の人生エピソードを

 

ここからも死ぬまで生み出し続けていくのだろうと思う。

 

でもだから、なんだか

人生で初めて立ち止まって

 

「自分」ってなんだ?

 

という問いを抱えてみてるのかもしれない。


なんか哲学的でいいじゃん

って最初は思ったのかもしれないけど

 

この問いはそうそう簡単には答えに辿り着けない。

 

でも、

 

一度興味を持ってしまった

 

「自分の正体」は

 

さらに深追いしたくなっている。

 

ただし、

 

立ち止まって考えるだけっていうのは終わりにした。


ここからは

歩きながら、走りながら、泳ぎながら、飛びながら、

考えていく。


それが「自分って? 」のひとつの答えでもある。

 

つまり、

 

ぼくはジッとしていられないのだな。