前回のブログのつづき。

 

 

 

僕はおたふく風邪で膨らんだ右のほっぺをアイスノンで冷やし

 

微熱で多少ぼぉーっとしながらも

 

2日目の山下くんを迎える。

 

 

 

山下くんは予告通り

 

宝物を持ってきてくれた。

 

 

 

その宝物とは、写真集とLPレコード。

 

 

 

ブルース・リーのシネマアルバム

 

 

彼の4作の映画の

 

サウンドトラック2枚組のLPレコードだった。

 

 

 

山下くんは

 

大のブルース・リーファンだったのだ。

 

 

僕はそれまでブルース・リーなんてほとんど知らなかった。

 

『8時だよ! 全員集合』のコントに出てくる

 

「アチョー」と叫びながら舞台を通り過ぎていく変な人が

 

ブルース・リーというカンフー達人の真似をしている・・・

 

その程度の認識でしかなかった。

 

 

正直、興味は皆無だった。

 

 

僕は格闘技よりもスポーツのほうが好きな少年だった。

 

たまにボクシングなんかを

 

父親と一緒にテレビ観戦していて

 

興奮のあまりボクサーに合わせて

 

体が動いたりしちゃう自分がいた。

 

でもそういうときには必ず

 

それを諌めるような母親の眼に睨まれて困った。

 

「やだやだ、殴り合いのスポーツなんて、野蛮。」

 

という母親のいつものセリフで

 

僕はテレビの前から逃げ出すのが常だった。

 

 

だから、

 

格闘技系は、なんとなく敬遠がちだった。

 

 

そんな僕の前に

 

山下くんはブルース・リーを登場させた。

 

 

山下くんの持ちこんだものを知ったら

 

母親は顔をしかめるだろうと

 

僕はイメージし、少し困った。

 

せっかく仲良くなった山下くんを

 

母親が追い出してしまうかもしれない。

 

 

山下くんが写真集を開いて

 

「おばさん、ブルース・リーって知ってる? 」

 

と、母親に見せた。

 

僕は怖くなって目をかたく閉じた。

 

 

「少しだけ知ってるよ。へぇー、かっこいいね」

 

と、母親は笑顔で応えた。

 

 

拍子抜けしてしまった。

 

母親にとってこの際なんでもいいのだ。

 

ブルース・リーだろうが、

 

モハメド・アリだろうが、

 

北ノ海であろうが、

 

普段なら眉をひそめる格闘技でも構わないのだ。

 

長い夏休みの間、

 

僕の子守りをしてくれるアイテムとなるものなら

 

どんなものでも大歓迎だったのである。

 

 

 

僕は初めてブルース・リーを知った。

 

最初は特に何とも思わなかった。

 

むしろ、

 

( へえ? こんなのどこがいいんだろう? )

 

という引き気味の拒絶反応があった。

 

でも、

 

ここで山下くんががっかりして帰ってしまったら

 

僕はまた独りぼっちの夏休みで

 

退屈という酸欠にあえぐ日々を過ごさなければならなくなる。

 

山下くんは僕に見せようと

 

わざわざ持ってきてくれたんだ。

 

まずは見てみよう、知ってみようという気持ちで付き合った。

 

 

 

家にあった小さなレコードプレーヤーに

 

山下くん持参のブルース・リーのサントラLPを載せて聴きながら

 

シネマアルバムをふたりで見始めた。

 

 

『ドラゴンへの道』

 

『ドラゴン怒りの鉄拳』

 

『ドラゴン危機一髪』。

 

そのころブルース・リーにハマった人なら

 

誰もが持っていたブルース・リーのサントラレコード。

 

 

ブルース・リーのサントラは、

 

音楽だけでなく、映画の主なシーンがそのまま入っていて

 

登場人物たちのセリフと

 

あの「アチョー」という怪鳥音が収録されていた。

 

 

ファンはそれを聴きながら

 

ブルース・リーのアクションを

 

頭の中で何度も再生して楽しむ。

 

 

今ならこんなことはしない。

 

「一緒にYouTube観よう」とか

 

「DVD観ようか」と云えば済んでしまう。

 

でも、

 

僕が小学生の頃は、

 

もちろんDVDもビデオも無かった時代。

 

CDすら世に出てくるのはもう少し先の話なのだ。

 

 

写真を見たり、テーマ曲を聴いたりして、

 

その映画の世界を味わうしかなかった。

 

DVDもYouTubeも知らないのだから

 

そうやって味わうことに不便もなにも感じなかった。

 

むしろ

 

そうやってイメージ再生して味わうことが

 

楽しくてしかたなかった。

 

 

もしかしたら僕はそんなふうにして

 

いまの自分のイマジネーション力を

 

磨いていたのかもしれない。

 

 

自分の心に焼きついた大好きなシーンを

 

イメージの中で何度も繰り返し再生する。

 

それは今でもしてることじゃないか。

 

 

イメージは自由だ。

 

自由に編集して、

 

自由に脚色して、

 

好きなシーンをより感動的に、

 

もっとも自分に影響をしやすいように

 

勝手に創り直していくこともできる。

 

 

ブルース・リーを熱く語る山下くんの話は

 

とってもリアルで、面白くて、興味深くて、

 

僕がブルース・リーにのめり込むんでしまうのには

 

そんなに時間もかからなかった。

 

 

ブルース・リーのサントラレコードから聴こえるセリフは英語。

 

小学生の僕はまったく英語が解からない。

 

でも、山下くんの細かい解説で

 

充分映画を観ているような臨場感を楽しむことができた。

 

僕のイメージの中で

 

ブルース・リーの肉体がイキイキと動いていた。

 

 

それから毎日山下くんは

 

ブルース・リーの関連グッズを持参して僕のところにきてくれた。

 

夏休みの間ほぼ毎日、

 

たぶん来なかった日は1日か2日くらいだったと思う。

 

とにかく僕らはどっぷりとブルース・リー漬けになった。

 

 

いま冷静に振り返って想うと、

 

何が良くて僕はブルース・リーにハマったんだろう? 

 

ハマった瞬間や好きになったポイントは

 

いまとなっては良く解からない。

 

 

でも、とにかく僕は、

 

その夏、山下くんを通じてブルース・リーを知り、

 

山下くんの影響を受けてブルース・リーを好きになり、

 

山下くんの洗脳を受けて、

 

僕はまんまとブルース・リーの虜になってしまったのだ。

 

 

 

『ドラゴンへの道』という映画のサントラは特に何度も聴いた。

 

100回は軽く超えていた。

 

聴きながら

 

「いまちょうどこのシーンだよ」と写真集を開いて

 

レコードの音と写真が一致するようにして

 

静止している写真をイメージの中で動かし

 

アクション満載の映画をイメージの中で観た。

 

僕は一度も実際のブルース・リー映画を観たことが無いのに

 

『ドラゴンへの道』に関しては相当詳しくなっていった。

(もちろん、山下くんの次にという意味で・・・)

 

 

夏休みが終わりに近づくころ

 

僕は完全にブルース・リーのへヴィなファンになり

 

僕のセルフイメージは

 

完璧にブルース・リーになっていた。

 

 

母親に呼ばれて振り向くときも

ブルース・リーで振り向いた。

 

お味噌汁を飲むのも

ブルース・リーで飲んだ。

 

洗濯した靴下を畳むよう母親に云われても

 

靴下はブルース・リーのヌンチャクとなって僕の脇に挟まり

振り回すたびに伸びていった。

 

 

 

長く退屈な夏休みに憂鬱になっていた酸欠の僕ら親子を

 

山下くんが救ってくれた。

 

それは間違いのない事実だ。

 

ブルース・リーという酸素ボンベを引っ提げて

 

救出にきてくれたのだ。

 

 

僕にとっては退屈どころか

 

エンターテイメント満載の史上最高の夏休みとなった。

 

山下くんという親友もできた。

 

 

夏休み最後の日、

 

明日からはふたりでブルース・リーのかっこよさを

 

学校中に広めようと約束した。

 

 

こうして僕らの最高の夏休みが終わった。

 

 

明日からまた、今度は学校で

 

山下くんとブルース・リーについて盛り上がれると想うと

 

僕は学校へ行くのが楽しみでしかたなかった。

 

 

 

ところが・・・

 

 

 

新学期でみんながクラスに集まると

 

山下くんだけが登校してこなかった。

 

 

どうしたんだろうと心配していると

 

担任の先生がみんなに云った。

 

 

「山下はおたふく風邪にかかってしまって、しばらくお休みだ」

 

クラスのみんながキョトンとした。

 

僕は少し違った理由でキョトンとしてしまった。

 

 

「おたふく風邪ってなんですか? 」

 

誰かが質問した。

 

「ほっぺが腫れて、熱が出て、染ってしまう病気・・・」

 

思わず答えてしまった。

 

 

「へー石井、よく知ってるなぁ」

 

担任が感心した。

 

僕の小さな脳みそは超忙しく目まぐるしく

 

担任の先生の称賛はスルーした。

 

 

どうしよう・・・

うつっちゃったんだ山下くんに・・・

わかっちゃうかな?

わかっちゃうよな

だってきっと

熱冷ましにアイスノンほっぺに巻くもん

山下くん怒るかな

怒るよな

学校休まなくちゃいけないもん

どうしよう・・・

 

 

僕は家に帰ると母親に山下くんのことを報告した。

 

「やっぱりそうなっちゃったか・・・」

 

ぼそっと母親はつぶやくと、

 

「よし、お見舞いに行こう」と立ち上がった。

 

 

僕ら親子は山下くんをお見舞いした。

 

山下くんはアイスノンをほっぺに巻いていた。

 

 

事情を話すと山下くんのお母さんは笑ってくれた。

 

僕は宿題が出たときは毎回教えに来ると約束した。

 

もちろん、そのたびに僕らはまたブルース・リーで盛り上がれる。

 

 

山下くんと僕はその後も大の仲良しのまま

 

途中で山下くんが転校してしまった後も

 

時々泊りに行きあったりしていい友だちのままだった。

 

 

ブルース・リーにハマったことで

 

僕はいろいろな洋画を観るようになった。

 

僕の家からは自転車で渋谷へも新宿へも行けたから

 

歌舞伎町のど真ん中の映画館へ自転車で乗り付けた。

 

 

ブルース・リーのサントラを聴きまくったおかげで

 

僕は英語にも興味をもった。

 

ただし、しばらくの間

 

僕のしゃべる英語はすべて

 

中国語なまりの英語だった。

 

僕にとって

 

英語をしゃべる = ブルース・リーに成りきれる瞬間だったのだ。

 

 

こうして僕はブルース・リーを知ったことで

 

人に魅せることの面白さ

 

表現することの楽しさを知っていくことになった。

 

これが後に僕を

 

俳優の道に進ませることになったし

 

映画を撮ることの原点ともなっているし

 

そもそもアメリカへ留学したいと思わせてくれたのも

 

ブルース・リーを知ったことが大元にあると思う。

 

 

面白いもので

 

山下くんはその後ボクシングや空手という

 

格闘技の道に進んでいった。

 

同じブルース・リーに影響を受けた僕らでも

 

それぞれ刺激された感性が

 

微妙に違っていたということだろう。

 

 

 

大人になって何十年ぶりかで山下くんと再会した。

 

彼は相変わらずいい奴のまま

 

僕の大好きな山下くんの成分が健在していた。

 

 

その再会の後

 

僕は彼の結婚式の友人代表としてスピーチをさせてもらった。

 

奥さんと一緒にうちに遊びに来てくれたりもしている。

 

 

憂鬱なはずの夏休みだからこそ

 

僕は山下くんと仲良しになれて

 

山下くんと仲良しになったからこそ

 

ブルース・リーの虜にもなって

 

それが今の僕のしている多くの事の土台となっている。

 

 

グラサン

 

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