前回のブログで

 

ぼくがどうしてジョイなのか

(みなさんにとってはどうでもいいことでしょうが)

 

JOYの名の由来を紹介させてもらいました。

 

 

実はそのJOYという名前の前にもう一段階ありまして

(さらにどうでもいいことになってしまいますが…)

 

そのことを今日は書かせてもらおうと思います。

 

 

 

ぼくにJOYという名を与えてくれたのは

 

ぼくのアメリカでの母親FRANです。

 

 

アメリカ遊学中のぼくの

母親代わりになってくれた人です。

 

 

もしも、

 

フランと出逢うことなく、

 

JOYという名前をもらっていなかったら、

 

ぼくは間違いなく

 

今のぼくではなかったでしょう。

 

 

 

20歳のぼくは、

 

フランさんの家に居候させてもらいながら

 

アメリカでの生活を満喫していました。

 

そして、漠然とではありましたが

 

これからの自分の将来について

 

あれこれ考え、

 

毎日を気ままに暮らしていました。

 

 

そんなある夜、

 

リビングのソファに座って

 

いつものようにフランとおしゃべりしていると

 

「あなたはアメリカで大学に行くつもりなの? 」

 

と、聞かれました。

 

「大学…、やりたい勉強なんて無いんだけど、留学はしてみたいなぁ」

 

なんともあやふやな回答をしたものです。

 

その頃のぼくは、

 

わざわざ留学せずとも

 

毎日起こるすべてが勉強でしたし、

 

充分刺激的な毎日だったので、

 

特別真剣に大学に行こうなどとは思ってなかったのです。

 

でも、

 

フランはぼくに留学の意志があることを確認すると

 

「OK、だったら私がアメリカでの親代わりになって、

あなたをサポートするわ」

 

そう云ってくれたのです。

 

最初は「わお! 」という感じでした。

 

居候させてもらっていることだけで

 

すでにフランには

 

充分面倒をみてもらっていると思っていました。

 

だから、親代わりと云われたときも、

 

その延長線上の話だと思ったんです。

 

しかし、その時の話は違いました。

 

 

法的にも正式な息子として

 

養子(adopted)にもらおうと考えてくれていたんです。

 

 

その当時アメリカの州立大学は

 

その州に住んでいるアメリカ人であれば

 

かなり安い学費で入ることができました。

 

でも反対に、

 

留学生たちはべらぼうに高い学費を払う必要があったのです。

 

もしも、フランの養子になって国籍もアメリカ人になれば、

 

ぼくは安い学費でカリフォルニア州の大学に入れます。

 

それだけでなく

 

フランはその学費も、親として全額出そうと云ってくれたのです。

 

一応念のために・・・

ぼくの両親は日本に健在です。

 

彼らはもちろんフランとも会ったことがあり、

 

ぼくがアメリカで留守番をしている間に

 

フランが日本のぼくの両親ところへ

 

遊びに行くほど親しい間柄でした。

 

 

ぼくがこの養子のことを両親に相談すると、

 

「お前にとって都合がいいならそれでいいんじゃない」

 

という、拍子抜けするほどあっさりと判断をしてくれました。

 

 

 

 

養子縁組の裁判申請をした日の夜、

 

まだ正式には何も確定していなかったけど、

 

フランとぼくはお祝いをするために、

 

サンフランシスコの老舗ホテル

 

ユニオンスクエアに面して立つ

 

セント・フランシスホテルのバーに行って乾杯しました。

 

 

そこでフランはこう云ったのです。

 

「このまま養子縁組がうまくいったら、

あなたはアメリカ人になるでしょ。

そしたら、アメリカの名前が必要になるんじゃないかしら? 」

 

それまでそんなこと考えたこともなかったので、

ちょっと驚きました。

 

でも、確かにそういうものかもしれないと思い、

 

「うん、フランが親になるんだから、フラン決めてよ」

 

とお願いしました。

 

やっぱり名付け親が必要だと思ったんです。

 

「実はね、ひとつ候補があるの」

 

なーんだ、フランは最初からそのつもりだったみたいです。

 

「もしも、私に、娘じゃなく息子が生まれていたら

付けようと思っていた名前なの」

 

フランには、ぼくと同じ年の娘パメラがいました。

 

そして、フランは息子に付けるはずだった名前をぼくに云いました。

 

 

Michael

 

 

え? マイケル? 

 

あはは。

すごいのが出てきちゃったぞ、

 

だってさ

マイケルと云ったら

 

マイケル・ジャクソンのマイケルだし

 

マイケルチミノ監督のマイケルだし

 

マイケルダグラスのマイケルでもあるし

 

当然マイケルJフォックスのマイケルもありなわけで

 

そして、

 

ゴッドファーザーのマイケルコルリオーネのマイケルでもあるわけです。


 

ぼくは困ってしまいました。

 

トイレ行って来ると席を立ち

 

小便をしながらその名前を口にしてみました。

 

「Michael」 

 

うーん、これは・・・Noだな。

 

息子にはこの名前ってフランが決めていたその名前を

 

ぼくに付けようと思ってくれたことは、

 

言葉に尽くせないほどありがたい。

 

とっても名誉で感謝の言葉もないです。

 

でも、

 

トイレの鏡に映る自分の顔は、

 

こりゃあどう見たって「マイケル」って顔じゃないよな。

 

ここは正直に今の気持ちを伝えて、

Michaelは辞退しよう。

 

ぼくは席にもどり、フランに伝えました。

 

案の定、フランは怒ってしまいました。

 

せっかくの好意を無駄にしてしまったのだから、

 

怒られても仕方ありません。

 

 

「どうして、マイケルは厭なの?」

 

フランは納得したくて、僕に聞きました。

 

「ぼくはマイケルっていうほど、ゴージャスじゃないから…」

 

ぼくは正直にそう思い、そのまま云いました。

 

でも、これがまたさらにフランを怒らせてしまったのです。

 

「あなたがゴージャスじゃない? 

私はゴージャスじゃない人なんか養子にしない! 」

 

せっかくお祝いしようとバーに来たのに、

 

ぼくはそれを台無しにしてしまったようでした。

 

ぼくはそのとき気づいたんです。

 

どんな名前で自分が呼ばれるかって、

 

すごく大事なことなんだなと。

 

ふつうは、自分の名前に対して

 

選択権をぼくらは持ってはいません。

 

物心つく前に、

 

親や親族たちによって名づけられてしまいますから。

 

気がつくと、ぼくらは

 

自分の名前を自分のことだと受け入れ、

 

その名前が呼ばれると反応するようになります。

 

大人になって、よっぽどその名前が気に入らなかったり、

 

姓名判断などで改名したりする場合を除くと、

 

生まれた時のままの名前で、

 

一生をその名前の自分として過ごすんです。

 

でも、よく考えてみると、

 

自分がどんな名で呼ばれるかで、

 

なんだか自分が違う人にもなれてしまいそうな気がしたんです。

 

 

マイケルという名は、

 

最高にクールでいかす名前だと思います。

 

もしもそれが自分の名前になったとしたら、

 

さぞやかっこいいでしょう。

 

でも、なにかそこに違和感があったんです。

 

日本人の顔をしているのにマイケルだなんて…

 

そういう恥ずかしさは正直ありませんでした。

 

その頃のぼくは、

 

英語に不自由さもほとんどなく、

 

自然体のままでアメリカ人の中にいることができましたから。

 

マイケルだろうが、ジョンソンだろうが、

 

そういうアメリカ的な名前自体には抵抗はありませんでした。

 

また、単にまだ呼ばれ慣れていないから…。

 

そういうことでもないと思いました。

 

居心地の悪さを感じたと云ったのです。

 

Michaelという名前は、

 

何十年たってもぼく自身にならないなということを、

 

このときすでにわかってしまったのでした。

 

フランがどんなに気を悪くしようと、


妥協してはいけないところだと思いました。

 

いまここでフランに気を使って「Yes」と答えてしまうと、

 

ぼくはこの先ずっとMichaelと呼ばれ、

 

そのたびにこの瞬間の自分を後悔してしまうでしょう。

 

きっとフランもそのうち解かってくれると信じるしかありません。

 

 

・・・to be continued

 

eye

ぼくはいったい誰だ

 

グラサン

 

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