日本人は本来

非常に豊かな想像力を持っている民族だ

と日頃から思う。


先日ラジオでもまさに

そのことを言っている人がいた。


ゲスト出演していた春風亭昇太さんが

落語家の視点で語っていたこと。


落語は話だけで映像がないぶん、

お客一人一人がイメージを使わなくては楽しめない。


例えば

500名の客席に向かって

「絶世の美女がねぇ・・・」

と言えば、

その客席内には


500通りの絶世の美女のイメージが


浮かび上がっているはずなのだ。


昇太さんは落語家として、

それがなにより楽しいし、

だから落語は日本人に向いている

という話をしていた。

石と敷き砂利だけの日本庭園に

日本人は宇宙を観るという。

能や狂言の抑制された動きから

それ以上の表現を感じ取る。

きっとそれらは、

イメージという感性を使っているのだろう。


そういえば、


僕の映画「オトコタチノ狂」は、

肝心なところが映っていない映画と云える。


膨大なセリフの量がその前まであって、

いざというシーンになるとカットされている。

次のシーンでは、

もうそのことが終わっているのだ。


これは脚本を書いていた段階で、

すでにそうなっていた。

ハリウッド映画だったら、

絶対に見せ場にするだろうな

というシーンが飛んでいて不在だ。


僕は観ている人に、

想像して欲しいのだ。


彼らに何があったのか?

この間、どんなふうになっていたのか?


相手の身になって考えるという言葉があるが、

僕らが相手を想う気持ちは、

どこまでいっても想像でしかない。


相手を愛するからこそ

相手の気持ちをより深く共有してあげることもできるし

強く愛するあまり

相手の気持ちを誤解してしまう場合もある。


「そこのところは、ボクの気持ちを察してよ」


とは私の気持ちを想像してください

と言っていることに他ならない。


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