今日は、クライアントのたかの友梨さんの新社屋落成式に出席する。
現本社ビルが参宮橋のオリンピックセンター前に落成されたときも出席した。確か7年くらい前だったか。今回は同じ参宮橋からの徒歩圏内だが、またさらにグレードをアップされたすばらしいビルが完成したようだ。実はボク、まだ建物の中が瓦礫の山で、これからまさに改装工事が始まろうとしていたときに、大仰なマスクをして友梨さんと旦那さんの3人でビルの中をひととおり見学して回った事がある。
むき出しのコンクリートに囲まれた、ただガラーンとした空間がそこにあった。休憩中の工事関係者が角の方で仮眠をとっていた。最上階からひとつひとつ見て回った。どの階もコンクリートと瓦礫だけで、正直あとは同じだ。階によって窓から見える景色がだんだんと地上に近づいていく。それだけが違うように見えた。でもその階ごとに友梨さんは目を輝かせて、ボクに説明してくれていた。
「ジョイ、この階はね、こんな風になるの。テラスにも出られて・・・エステの学院の女の子たちが、そこではヘルシーな食事ができて・・・」
ああ、友梨さんには、今その光景がありありと見えているんだろうなぁと思った。
今日、これから目にするであろう、たかのの新社屋はすばらしいだろう。そうに決まっている。
でも、本当にすばらしいのは、その建物の壁の色や、どこにどれくらいお金をかけているかとかではなく、何も無いあのガラーンとした空間から、友梨さんを中心にいろいろな人たちのイメージが合わさって、ひとつひとつが出来上がっているということだ。
ボクらは、その結果を目にしてすばらしいと感じる。
何も無かったところから、誰かひとりのイメージが広がり始める。
ここのビルを自分の会社にできないか。
もし、そうなるとしたら、どんなビルになるだろうか・・・。

ウォルトディズニーが、誰ひとり見向きもしなかった広大な沼地を買ったとき、理解できずに困惑したスタッフたちは、大勢離れていったという。でもそのとき彼は、何よりもはっきりと見ていたんだと思う。シンデレラ城やそこに集まるたくさんの人たちの笑顔を。そして、その数年後に、ディズニーランドは出来上がった。

感動の前に、必ず誰かのイメージがある。

映画も小説も音楽も、
ビルも、テーマパークも、何かのイベントも、
仕事も、恋も、そして、その人のセルフイメージも。