昨夜から新しいスクールのクラス14期がスタートした。
いつも比べるとちょっと小規模なクラスだが、いつもにも増してさらに個性的な方たちが集まった感じ。
新たに講義デビューを飾ったアカデミー生もいる。

クラスが終了してすぐに、その日のセッションの反省会勉強会が開かれる。
どこが良かったか、どこは悪かったか?次回からはどう活かしていくか?
ひとつひとつ明確に講義を担当したトレーナーたちに指摘していく。
反省会は、落ち込むために行うわけではない。誰かを責めるために開かれるわけでもない。そう簡単に表現が満点になるなんて事はないのだ。だからその表現を少しでも磨いていくチャンスが見つかれば、ヒントを得ることができればという意識だけが360度アンテナを伸ばし、そこにいる誰もが勉強会に臨む。
ボクから指摘や指示を直接受けないからといって、楽な気持ちでその場にいられるようでは、その人はこの先もまず見込みはないだろう。

勉強会が終わると、今度は次週のためのセッションの準備をする。
講義の一部を担当できるかもしれないというチャンスを得た数名だけが、次々と前に出て実際の講義を披露する。アカデミー生全員ができるわけではない。
大抵5分くらいで、ボクに止められる。「そこ、こんな風に話を展開してくれる?」と演出の方向性を示す。「はい、わかりました」と返事。本当にわかっているのか?
やってみる。すると、ちゃんとできている。
彼らは無我夢中でやっていることだが、これはとてもレベルの高い作業だ。
新たにアカデミーに加わった人が、冷や汗をかきながら、「とんでもないところに来てしまいました・・・」とつぶやいた。
大丈夫。
きっとそんなことを云っているあなたも、数週間後には、当たり前のように表現を自在に変化させていることだろう。
彼らだって、少し前まではイメージングの理解すらおぼつかなく、いつもしどろもどろの表現だったのだから。