映画「靖国」の上映が中止された。
この国はどこまで腰抜けとして地に落ちていくのだろう?
事なかれ主義も甚だしい。どうりで世の中につまらないものばかりがあふれているわけだ。
もちろん、ボクはこの映画をまだ見ていない。中国人の目から見た日本の中の靖国をどう描いているのか、ぜひ見たいと思っていた。そして、「う~ん、なるほ どそういう視点だったのか・・・」なのか、「ふざけるな~!」なのかをきちんと自分なりに感じたかった。映画とは本来そういうものなんだ。もちろん娯楽の 一つである。でもそれと同時に映画とは、監督のものだ。その監督が感じるものをスクリーンに映し出してみんなに見てもらう。そこでみんながどう感じるの か…。表現者である以上、大喝采を浴びるか、唾を吐き捨てられるか、「靖国」の監督や関係者たちは覚悟を決めて作ってきたことだろう。しかし、現段階で、 映画はスクリーンに映し出されることが無くなった。何か問題が起こってしまわないようにという配慮からの封切中止だと聞く。すでに一部で右翼の街宣車がい やがらせを始めていたらしい。映画一つで右翼の人たちもどうかしている。かっこ悪すぎだ。自分たちだけ拡声器で自己主張をしておいて、相手の主張は最初か ら聴こうとはせず、いやがらせをするとは…。それでは小学生のいじめっ子レベルではないか?? またそれに屈する映画館や配給会社もつくづく情けない。映画を選び、それを扱うと決めた以上、多少の問題は望むところではないか。物議をかもす内容のもの を信念をもって世の中に発信していく。日頃は売れ線の娯楽映画でもいい。そちらで収益を得ておいて、時には収益度外視の問題提起に徹するくらいの姿勢はな いものか? そんな覚悟もない人たちが、映画に携わっていては考えさせる映画などいつか無くなってしまうだろう。映画とは、お客がお金を払って、わざわざ 足を運んで見るものだ。テレビとは違う。公共性などまったく無視してもいい。嫌なら見に行かなければいいのだ。客も覚悟を決めて見に行く。映画館も信念を 貫いてそれを見せる。映画が気に入れば、「よくぞ作った。よくぞ見せた」とお客から感謝されるだろう。気に入らなければ、「よくも不愉快なものを作ってく れたな。なぜこんなものを上映したんだ、金返せ」と罵られる仕事なんだ。もともとこの発端は、公的助成金がこの映画に出ていることを国会議員が疑問視して 文化庁に問い合わせたことから始まっている。他にもっと重要なやるべきことがあるだろうに…。とにかく、ボクは危機を感じている。表現自由もなくなってい くこの国に。これではどこかの国と変わらないではないか?
映画や本や音楽などは、周りがとやかく言うものではない。それを見る人、読む人、聴く人の感性をもっと信じるべきだろう。作る側とそれを受け取る側のモラルさえしっかりしていれば、あとは好き嫌いだけなのである。
先日ボクは「無防備都市」という古い映画を見た。ロベルト・ロッセリーニ監督の作品だ。ドイツ占領下でのイタリアの地下組織の活動を庶民の視点で描いてい る。ネオリアリズムの傑作だ。当時は、半端ない物議をかもした衝撃作だった。とある町はずれの小さな映画館でこの作品を見たハリウッドの大スター、イング リット・バーグマンは、見ず知らずのロベルト・ロッセリーニのもとに夫と子供を捨てて行ってしまい、そのまま駆け落ちした。その是非はともかく、彼女の人 生をまったく変えてしまうほどの衝撃を受けたのだ。そこに出ている俳優に恋をするのではなく、その時代に真っ向から問題に向かってそれを見事に表現した監 督の信念と情熱に恋をしてしまったんだと思う。ボクのヒストリーを見てもらえば分かるが、映画とは人生を変えるものだ。少なくとも、ボクにとってはそうな んだ。だから、表現を規制されたり抑圧されることは、ボクの人生そのものの可能性を抑圧されることでもある。そんなことがあってはならないし、ボクはそん なこと耐えられない。

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