西洲の菩薩行3 救いとその手だて | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

仏の智慧(ちえ)は海のごとく広大にして、仏の心は大慈悲なり。仏は姿なくして妙(たえ)なる姿を示し、身をもって教えを説かれました。人に生まるるは難く、いまある生命は有難く、世に仏あるは難く、仏の教えを聞くは有難い❕ 共に学んで行きましょうひらめき電球

 

 

仏はいつも身近にいますお祝い

 

 

さとりの岸に立って、迷いの海に沈んでいる人びとに呼びかける仏のことばは、人びとの耳に容易に聞こえない。だから、仏は、自ら迷いの海に分け入って、救いの手段を講じたビックリマーク

 

さて、それでは一つの比喩(たとえ)を説こうひらめき電球

 

ある町に長者があって、その家が火事になったメラメラ たまたま外にいた長者は帰宅して驚き、子供たちを呼んだが、彼らは遊びにふけって火に気づかず、家の中にとどまっていた汗

 

父は子供たいに向かって...... 「子供たちよ、逃げなさい、出なさい。ピリピリ」と叫んだが、子供たちは父の叫びに気づかなかった。

 

子供たちの安否を気遣う父はこう叫んだ..... 「子供たちよ、ここに珍しいおもちゃがある。早く出て来て取るがよい。」子供たちはおもちゃと聞いて勇み立ち、火の家から飛び出して災いから免れることができたOK

 

この世はまことに火の家である。ところが人びとは、家の燃えていることを知らず、焼け死ぬかも知れない恐れの中にあるショボーン だから、仏は大悲の心から限りなくさまざまな手段をめぐらして人びとを救う上差し

 

仏はすべての人びとを子のようにひとしく慈しむ仏の大悲は平等であるが、人びとの性質の異なるのに応じてその救いの手段には相違がある。ちょうど、降る雨は同じであっても、受ける草木によって、異なった恵みを得るようなものであるやしの木

 

親はどれほど多くの子供があっても、そのかわいさに変わりがないが、その中に病める子があれば、親の心はとりわけその子にひかれてゆく。

 

仏の大悲もまた、すべての人びとに平等に向かうけれども、ことに罪の重い者、愚かさゆえに悩める者に慈しみとあわれみとをかけるあせる

 

また、例えば、太陽が東の空に昇って、闇を滅ぼし、すべてのものを育てるように、仏は人びとの間に出て、悪を滅ぼし、善を育て、智慧の光を恵んで、無知の闇を除き、さとりに至らせる虹

 

仏は慈しみの父であり、(あわれ)みの母である。仏は、世間の人びとに対する慈悲の心から、ひたすら人びとのために尽くす。人びとは仏の慈悲なくては救われない叫び

 

人びとはみな仏の子として仏の救いの手段を受けなければならないお願い

 

仏教経典参照

 

次回に続きます。

 

追記、仏さま(お釈迦さま)は、いつも私たちの身近にいらっしゃると自覚するビックリマーク それができると、お釈迦さまと波長が合うようになり、インスピレーションで分かるようになりますOK ためになるブログと出合ったり、夜夢に現れたり、人の口をかりてメッセージなどを送ってきたりします叫び  自分の感性を研ぎ澄ます修行が大事になってきます虹

 

 

法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、

釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)

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