仏、釈尊は「法華経」 をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。 釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第八章 五百弟子授記品をご説明します
富楼那の説法は四無礙智(しむげち)を得て法を説いた
◎ 富楼那(ふるな)の修行
仏は大勢の人に言った
「富楼那はいつも人々に教えを説き、救うために一生懸命に努力しています。この人ほど弁の立つ人は如来以外いないのです。富楼那は仏の教えを弘めるだけでなく、ずっと昔から九十億の仏の下においても説法が一番上手でした。また諸仏がお説きになられる空(くう)の教えもよくわかり、四無礙智(しむげち)を得ていました」 と。
四無礙智とは、四無礙弁(しむげべん)ともいわれるもので、無礙(むげ)とはさわりのないこと、自由自在のことである
自由自在に表現できる説法の能力を四無礙弁という
※四無礙弁とは、
(1)法無礙(ほうむげ) … 教えについてどんなことでも正しく知っていることである。
(2)義無礙(ぎむげ) … 教えの表す意義を知っていることである
(3)辞無礙(じむげ) … あらゆる言葉に通じ地方の方言を用いても教えを自由に説くことが できることである
(4)楽説無礙(ぎょうせつむげ) … 上に述べた三通りのことをふまえて、自由自在に教えを 衆生に対して説き明かすこと。
真に自由な説法とは説く人も聴く人もひとつになりきり、ただ説法があるだけになる。それは、無心にて法を説く事である 真理の声だけが真の実在である
富楼那の説法は四無礙智(しむげち)を得て法を説いていたため、最もすぐれた説法をする人であるという高い評価を得られたのである
さらに経文は、「常に能(よ)く審諦(あきらか)に清浄に法を説きて疑惑あることなく」 説きすすめる
「清浄に法を説く」 ということは容易なことではない。人々から賞賛されるから法を説くのではない。名声をあげることができるから法を説くのでもない。報酬を得るために法を説くのでもない。 ただ法の為に、真理のために法を説くのである
どんな迫害や危害を受けてもまったく動ずることなく勇猛に法を説けたのは日蓮聖人であった
富楼那は立派な悟りを得ていたわけであるが、当時の人々は富楼那は声聞だと思っていた
富楼那は方便を用い「私もまだ皆さんと同じように未熟なものです」 と言いながら共に仏になる道を模索していたのである
富楼那は過去、現在、未来の説法人のなかにおいても、説法の第一人者であり、精進努力の人でもあった。そのため。菩薩としての行いがすっかり身につくようになり、この世界において仏になることを仏に約束された
追記、前に授記品では、大迦葉は光明如来となり、富楼那は法明如来、お釈迦様の十大弟子は次から次へと仏(如来)を約束されていますね 私たちも法華経をしっかりと学んで実践したら必ず授記いただけますので頑張りましょう
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
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真実は一つ!!