仏、釈尊は「法華経」 をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。 釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第五章の 薬草喩品をご説明します
人それぞれに器(うつわ)の大きさが違います
‘かくの如(ごと)く、迦葉よ、仏の説く所(ところ)の法は、譬(たと)えば大雲(だいうん)の、一味(いちみ)の雨をもって、人の華(はな)を潤(うるお)して、各々(おのおの)、実を成(じょう)ずることを得せしむるが如し。迦葉よ、当(まさ)に知るべし、諸(もろもろ)の因縁、種々の譬喩(ひゆ)をもって、仏道を開示(かいじ)することは、これ、わが方便にして諸仏も亦(ま)た然(しか)るなり。’..................
◎仏の智慧とは
前章の「信解品」においては、迦葉などの四人がそれぞれ大乗の教えを信じ、理解した点を語った
四人の声聞(自分だけの悟りを求めるひと)が大乗の教えを信じ理解できたことは、他の声聞たちにも大きな力となった。この四人は声聞として立派な修行をしてきたから、仏の教えがわかったのである
迦葉たちがわかったからといって、すべての人がわかったわけではない。声聞としてりっぱな修行をしてきたから、仏の教えがわかったのである
そこでこの薬草喩品では、誰もがわかるように仏が自ら大乗の教えを説かれたのである
経文に「如来は是れ諸法の王なり」 とあるように、仏は、あらゆる真理を体現した王であって、その仏の説くところはすべて真実である。
仏の説かれる教えには、浅い教えも、深い教えもあるが、全ての人々を知恵の世界に導いてくれる
仏の教えを理解し、信じて修行すれば必ず救われるのである
経文は仏の無限の能力を次のように説く。
‘如来は一切諸法の帰趣(きしゅ)する所を観知し、亦(ま)た一切衆生の深心の所行を知って、通達無礙(つうだつむげ)なり。’
一切諸法というのは、この世の中に存在しているすべての物、すべての事柄、すべての事件をいうのである 仏はこの世の全ての出来事が将来どのような結末になるか、どのように動いていくか、それを観ておられる 人生のありとあらゆる出来事の落ち着く先を観ているのである。透視(とうし)していると言ってもよい。さらに一切衆生の深心の所行を知っておられる
われわれ衆生の心の底には、自分でも気がつかない無明の闇がひそんでいる この無明の闇は、表面の意識には現れてこないが、この闇声、闇の衝動がわれわれの行為を動かしてゆく。それは「盲目意志」 といってもよい
自分でもはっきりと知らない無明の闇の声を、仏はしっかりと観ているのである。そこで仏の観る目は「通達無礙」 となる。人生の一切の出来事の帰結も、一人一人の人間の心の奥にひそむ盲目意志もすべて見通しているのが仏の目である。われわれ凡人は人生の未来も自分の将来も何一つわからない
われわれ凡夫は表面的な現象しか知らないので、正しく処することができないが、仏の智慧は一切を見通している。だからこそ、あらゆる人生の出来事に対して正しい判断を示すことができるのである
仏の智慧は一切を見通している
次回に続く......
追記、人間界は先の事は分からないようにルールが定められています が、使命のある人は神通力にてある程度は先が見通せます 完全ではありません(^^; この人間界は修行の場で、自分の魂のレベルアップするために先のことは分からないようになっています 過去の体験や反省が教訓になりますが、これからの先は、法華経が唯一の道しるべになるのは確かです
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
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真実は一つ!!