仏、釈尊は「法華経」 をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。 釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。第二十二章 嘱累品の解説です。
◎大いなる喜びとは
たくさんの菩薩たちは、仏がこのようにお説きになったことを聴いて、みな大いなる喜びに包まれたのであった。命がけで教えを弘めよと言われて、たいへんに喜んだ菩薩たちの体には、その喜びが満ち溢れた。仏に向かって恭(うやうや)しく頭をたれ、合掌して言った
「世尊の教えの通りお心持ちにそむかないように、しっかりと実行いたします。どうぞご心配下さいますな」 と。菩薩たちは、仏の前でその実行を約束したのであった。しかも同じ約束を三度、声を出してくり返して言ったのであった
末世(まつせ)の世の中になっても力を合わせて教えを弘めるから、決してご心配には及びませんと言ったのである。
この菩薩たちのりっぱな返事を聞いた仏は、これならば末法(まっぽう)の世の中になっても教えが弘まることはまちがいないと確信をもった
そこで四方八方から来てここに集まってきていた分身(ふんじん)の仏を、それぞれの国に帰らせようとして、「皆さん、めいめいのお国にお帰り下さい。多宝仏(たほうぶつ)の塔も元通りにして下さい」 と言われた
分身(ふんじん)の仏たちは霊鷲山(りょうじゅせん)において「法華経」 が説かれるので、いろいろな国から集まってきていたが、教えを弘めに、それぞれの国へ帰ることになったのである
仏のお言葉を聞いた数限りのない分身(ふんじん)の仏や、多宝仏(たほうぶつ)や上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)などのたくさんの菩薩、それから舎利弗(しゃりほつ)などの声聞(しょうもん)、一切の世間の天、人、阿修羅(あしゅら)などもみなが心から喜んだのであった
仏は教えが弘まることが確信できたので、心から喜んだのは当たり前であるが、仏の智慧、真の悟りの教えを受けた分身の仏、多宝仏やたくさんの菩薩たちも、この尊い教えがわかったことと、その教えを弘める使命感を仏ご自身から授かったことで、身がふるえるぐらい大いなる喜びに包まれたのであった
仏を中心とするすべての喜びは、この娑婆世界が喜びの国土である浄土になったことを示している。「法華経」 の教えを聴聞しようとして仏の分身(ふんじん)や菩薩や声聞や、ありとあらゆる人たちや、天、人、阿修羅までもが、霊鷲山に集まってきたが、どんな人でも仏に成れるということを聴かされて大いなる喜びをもったのである
このような真理がわかったことで「法華経」 の序品(じょほん)からの一大ドラマはこの「嘱累品」で終わりにしてもよいのであるが、ただ教えがわかったということを弘めよ、と言われたことだけでは、まだ充分にわかったことにはならない
頭でわかっただけでなく、「法華経」 を信仰しようというエネルギーを沸きたたせるためには、「法華経」 の教えによって人々を救った菩薩の実際のはたらきを示す必要がある
法華経の教えによって人々を救った菩薩の実際のはたらきが
二十三章から説かれているのです
こんな菩薩がおられて「法華経」 の教えを弘めて人々を救ったという事実を示すことが大切である。そこで「薬王菩薩本事品」(やくおうぼさつほんじほん) 第二十三以下の諸品が説かれるのである
次回から第二十三章 「薬王菩薩本事品」(やくおうぼさつほんじほん) に入ります。
追記、「法華経」 の序品(じょほん)からの一大ドラマはこの「嘱累品」で終わりです さあ~次の二十三章から二十八章までは、菩薩たちの実際のはたらきを示します 奇跡的な救済劇はお見事です 乞うご期待です
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
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真実は一つ!!