ある病院での出来事......
すっかり春!今日も20度超えの暖かさのこうめ地方😊
昨日は中学校の卒業式もあり、確か今日は公立高校の合格発表!なんじゃないかな?(子供も大きくなって情報に疎くなりました。笑。)
先日、知人と話をしていたら彼女が入院していた時の話になりました。
「病院の対応が悪っくってさ。これだから〇〇病院は…。」
看護師さんの言葉や態度が術後の痛みと闘っている彼女のカンに障った御様子
薬の渡し方が悪いとか、食事の時の配り方がどうだとか…
…私も数ヶ月絶対安静で入院してましたから、痛みがあったり身動き取れない方のお気持ちはよーくわかります
普段は気にならないようなちょっとしたことが辛いんですよね
だからついつい、周囲に自分の気分に合わせて欲しい…なんて思ってしまうんですよね。
もちろん、こちらが言わなくても気にかけてくれてまさに「痒いところに手が届く」看護師さんもいらっしゃるはずなんですよね。そうでなくてもお願いすればやってくれる。
自分がお客様(患者)なのだから、面倒見てもらって当たり前と思うかもしれないけど、自分が希望することはちゃんと言葉で伝える必要もあります。察して!察して!ではお互いに疲れてしまいますよね
「ここの病院の看護師は…」
…いろいろ不満もあったかと思います。でも、最先端治療ができる大きな病院では何百人もの看護師や職員が仕事をしています。
患者が出会うのはその中のほんの数人の職員ですよね。
働く側は「この病院の看板背負ってる」くらいの気持ちが大切なのかもしれません。
お世話になる側は自分の要望をきちんと伝えること。気づいて…って思いながら、
「本当に気が利かないんだから!」って思っていては不満は溜まっていくばかり…ですね。
批判しちゃいけないとは思いませんし、自分に対する対応が今一つだったと思うくらいは仕方ないのかもしれませんが、組織全体を「だからあそこは…」とまでは言えないんじゃないかな 自分が知ってるのはその中のごく一部だということも頭に入れておきたいですね
同じ病気をして同じような手術をしても
「食事の置き方が悪い」と思うか、こんなふうに置いて欲しいと伝えて「身体がしんどい中で食事を出してもらえてありがたい」と思うかで幸福度は全く違ってきますよね。後者のようにありがたいと思えるとお世話してくれる人に「ありがとう」を伝えられるようになってきます
そうするとお世話する方も気にかけてくれるようになるかもしれません 自分がどうやったらこの環境でごきげんに過ごせるか?は自分の気持ち次第なのかもしれませんね。
以前聞いたお話で、人の心ってボールみたいなものだと教わりました
心全体がボールだとしたら、私たちのお付き合いはボールとボールの触れ合う部分のような感じなんだそうです
何が言いたいかというと…私が知っている相手はその人のごくごく一部 ってことですね。
印象の悪い相手でも、自分の知らない側面にいいところがいっぱいあったり、そうなっても仕方がんない事情を抱えていたりするものです
相手のことって知らない部分の方が圧倒的に多い!ってことも忘れずにいたいものです
(白蓮堂スタッフEさんより)
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追記、人の心はボールみたいなもの 私たちのお付き合いはボールとボールの触れ合う部分のような感じ 心全体がボールだとしたら、相手のことは知らない部分が圧倒的に多い ということです 今回もありがとうございました
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください!
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真実は一つ!!