日本仏教の故郷となった比叡山の宗派は天台宗である。天台宗の教えを知らなければ、日本仏教の教えの本当の意味は分からないことになる。天台宗は「法華経」によってできた教えであり、「法華経」は日本人の心のなかにもっとも深く浸透したお経です。そこで天台思想とは❓ともに学んで行きましょう
功徳とは何でしょうか
功徳というには、これはむずかしくて、「法華経」系の信仰団体でも功徳をいただくようなことをよくいうが、「法華経」を信じたり読んだりしたら病気が治る、お金が儲かるというのは功徳ではなく、本当の功徳というのは少し精神的なものである
「法華経」の教えを信じて実行し、人のため世のために尽くそうという気持ちをもつ、そうするとだんだんその人がりっぱになってきて、その人の人柄がよくなる。人柄が向上する。
それによってその人自身が社会的な信用を得、そのことによってその人の収入がしぜんに上がってきたり、あるいは社会的な地位も上がるかもしれない。そういうのが功徳なのである
別に物質的なものを低くみるというのではないが、しぜんに物質的なものが功徳としてくることもあるので、功徳はどこまでも手段であって、目的ではない
だから、功徳を目的で信仰すると、その信仰は必ずだめになる。「法華経」を信じたけれども病気が治らなかったらどうする、お金が儲かるためにこの経を信心をしたのに儲からなかったらどうする、ということになるので、これは絶体に目的にすべきではない
宗教の功徳というのは、目的には絶対できないものである。宗教というのは本来無目的なものであって、功徳を目的にして信仰すると、それは信仰にならないということである
お金が儲かるから、病気が治るからといって信仰する人は、宗教ではなくてそれは自分のエゴイズムでやっていることなので、そのエゴイズムが満たされなければ不平を抱くだけになってくる
不平を抱くようだったら最初から何も信じないで、効かないと思っていればいいわけで、功徳という言葉を間違わないようにしたい
それで、まず経典を読誦すること、それが「読誦経典」である。経典というのは、その教えを説いた、真理を説いた文字と解釈するのがふつうだが、日蓮上人の場合には「法華経」そのものが仏の生命であった
如来寿量品で説いているように、仏の生命は目にみえない。その目にみえない仏の生命が形をつけてあらわれたもの、それが「妙法蓮華経」なのである
その「妙法蓮華経」に帰依するということは、仏の生命と一体になるということで、だから「南無妙法蓮華経」という唱題を全身心を鼓(こ)して唱えられるわけであって、読誦経典というのも大きな意味をもってくる
次回につづく。
(天台思想入門、鎌田茂雄著書参照)より
追記、中にはご利益主義での信仰もあると思います 最初はそれでも仕方ないですが精神が上がれば段々と仏さまに近づいていきますので、何度も己と向き合いながら菩薩行を精進しまょう
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
↓↓
↓↓
http://www3.hp-ez.com/hp/magokoro18
真実は一つ!!