観音経のお話 | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

観音様のお慈悲は無量です(^^)/

 

 

「福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)」

これは『観音経』 の末尾に出てくる言葉である。

福聚」 は福の集まること、それが海のように広大で洋々として、しかも無量であるというのであって、これは観音さまの徳を讃えた言葉である。

 

 さて、梵語に「ダーナ」 という言葉がある。 これの日本語化したのが「旦那(だんな)」である。 「うちの旦那」 「どこそこの旦那」 などと平生よく使われている言葉で、これは、与えること施すことが本来の意味で、それを漢語に意訳したのが「布施」である。

今日では僧侶への読経の謝礼金ぐらいにしか使われていないが、布施のは心を普くゆきわたらせること、は人にものを恵み与えること、つまり、いつくしみの心をもってひろく施しをすることである


布施にはまず「財法の二施」 といって、法施財施がある。
菩提寺(一家が代々帰依する寺)のことを(檀)那寺ともいうが、これは寺が法施、仏の教えを施してくれるところだからである。これに対して(檀)(特定の信者)というのは、寺の法施に対して物を施す、財施をするところだからである。
この財法の二施、バランスがとれて行われればよいのだが、法施をさぼって財施をむさぼるから

坊主丸儲け」 といわれる。


この財法の二施にいまひとつ、無畏施(むいせ)を加えて「三種の布施」という。
無畏施とは、畏、すなわち不安や恐怖、それを取り除いてあげることで、観音さまのことを施無畏者という。
浅草の観音さまの本堂正面に「施無畏」 と大書した素晴らしい額が掲げてあるのをご存知の方もおられるかと思う。観音さまは三十三観音といわれるように、時と場合と相手に応じ、姿を変じて現われ、布施をおこない、衆生(生きとし生けるものすべて)の不安や恐怖を取りのぞいてくださるから、無畏を施す者、施無畏者といわれるのである。

 

さて、私ども生きてゆくうえにおいて、何が恐ろしいといって、前途に待ち伏せしている災害ほど恐ろしくまた不安をかき立てるものはないであろう
そのような不慮の災害から私どもをまもり、不安や恐怖を取り除いてくれる保険はまさに無畏を施す慈悲行であり、保険業務に携わる人々は実に施無畏者、つまり観音さまといってよいであろう。
観音さまのことを別名・慈母観音非母観音とかいうように、観音さまは慈悲の権化であるといわれる。そこで経文は、

※「慈眼視衆生福聚海無量是故応頂礼
(じげんじしゅじょう、ふくじゅかいむりょう、ぜこおうちょうらい)
(慈眼をもって衆生を視、福聚の海無量なり、是の故に応に頂礼すべし)

と結ばれている。

 

保険業務はギブ・アンド・テイクのセールスであり、ビジネスであろうが、その根底に「慈眼視衆生」観音の慈悲があってこそ、福のあつまること海のごとく無量となり、「是故応頂礼」多くの人々によろこばれ、感謝されるようになるであろう。

福聚海無量:観音さまは、いつくしみの眼(慈眼)をもって人々(衆生)をみそなわすので、しあわせ(福)の集まること、海のごとく無量である

(佐藤俊明 ちょといい話)

 

(白蓮堂スタッフEさんより)

 

 

追記、誰の心にも持ち合わせている観音様(^^)/ 念じれば必ず応えてくれて、助けていただけます! 浅草の観音様はアップアップに深いところで、もがき苦しんでいる人でさえも、しっかりと祈願することで、浅きところまで引き上げていただけます。(だから浅草なのです) 助けていただけたら、当然感謝の気持ちが湧いてきます。 そして、次は何をしなくてはと自ずからの菩提心から、次の第一歩に気づくはずですあせる

 

 

 

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