西洲、修行の道 その4(鏡の魔力) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

この宇宙は一つの大きな生命です。その生命は私たちの体の中にある生命と同じものです。

それを「如来」といいます。如来はいつも活き活きと活動されていますが、でたらめに動いているのではなく、ある法則のもとに動いています。私たちも体の中に如来さまがいらっしゃるのですから、私たちは如来さまのような仏になる素質をもっている、というわけです。 さあ~そこで、如来になる修行の道を皆さまと共に精進できたらと思い、西洲、修行の道をテーマに、お役に立てれば嬉しいです(^^)/

 

鏡(カガミ)を見た自分から、我(ガ)をとると.......

 

 

◎鏡に言い伝えられてきた霊力とは

鏡は、古来、三種の神器の一つとしても、あがめられてきた。「古事記」や「日本書紀」にも、三種の神器の一つ、「八咫鏡」(やたのかがみ)のことが記されている。

この鏡は、現在は、伊勢神宮の内宮のご神体として奉斎され、宮中の賢所(かしどころ)に、それを模したものが納められている。

 


伊勢神宮(上)と八咫鏡(やたのかがみ)(画像は参照)


鏡については、日本各地に、さまざま伝説が残っている。たとえば、福岡県の「影見の井」も、その一つである。伝教大師(最澄)がこの地を訪れたとき、地面を掘ってできた湧き水に、自分の姿を映しながら仏像を彫ったといわれている。鏡になぞらえた水面に、自分の姿を映すのは、自分の姿を通して神の姿を感じとる意味があったようである。

このあたりから、日本では、鏡には、魔除けの力があると信じられるようになった。鏡が普及するにしたがって、悪魔を払いツキを呼び込むものと考えられるようになったのである。

鏡は、われわれと目に見えない世界とを結び神や魔法とつながっているから、それが割れることは、自分と目に見えない神の守護が切れることを意味する。それを不吉とみなしたのである。

たしかに、割れた鏡に映る自分の顔は醜くゆがんで見え、不吉の前兆のようである。  (西洲ノートから)

 

カガミを見た自分から、我(ガ)を取ると .......... 神になりますね !(^^)!

神様をあ~でもない、こうでもないと、論じていることは我がある証拠。

 

とくに国常立乃神や祓戸四神は、謙虚に敬うのがよろしいかと思います。

さて今回のテーマからの一句。
 

魔は巧み

スキある心に

神と化け



魔(ルシファー、ミノタウロス)は、ちょっとしたスキも見逃しません!!

 

 神仏の姿に巧みに化けてしまいます.................. 尻尾は出てますが。

お金が全て、名誉が全て、出世が全て、家族が全て、周りに良く思われたい、自分の考えが一番、霊能力を得たい、自分はお釈迦様より上の神界の次元のつもり、とか.......

何かに執着心があるその心に、巧みに忍び寄ってきます。

いつも惑わす魔との戦いですが......... 法華経を受持していたら絶対に負けません !!

今は、法華経を受持されて頑張っている仲間たちが集まってきています。 頑張りましょう~お願い

 

 

さあ~今週も、お釈迦様の教え、仏教語、秘密結社等、盛りだくさんのテーマをご紹介させていただきます(^^)/ 皆さまの心に響いていただければ嬉しいです。張り切って今週も頑張りましょう~グッド!

 

 

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