この宇宙は一つの大きな生命です。その生命は私たちの体の中にある生命と同じものです。
それを「如来」といいます。如来はいつも活き活きと活動されていますが、でたらめに動いているのではなく、ある法則のもとに動いています。私たちも体の中に如来さまがいらっしゃるのですから、私たちは如来さまのような仏になる素質をもっている、というわけです。 さあ~そこで、如来になる修行の道を皆さまと共に精進できたらと思い、西洲、修行の道をテーマに、お役に立てれば嬉しいです(^^)/
鏡(カガミ)を見た自分から、我(ガ)をとると.......
◎鏡に言い伝えられてきた霊力とは
鏡は、古来、三種の神器の一つとしても、あがめられてきた。「古事記」や「日本書紀」にも、三種の神器の一つ、「八咫鏡」(やたのかがみ)のことが記されている。
この鏡は、現在は、伊勢神宮の内宮のご神体として奉斎され、宮中の賢所(かしどころ)に、それを模したものが納められている。
鏡については、日本各地に、さまざま伝説が残っている。たとえば、福岡県の「影見の井」も、その一つである。伝教大師(最澄)がこの地を訪れたとき、地面を掘ってできた湧き水に、自分の姿を映しながら仏像を彫ったといわれている。鏡になぞらえた水面に、自分の姿を映すのは、自分の姿を通して神の姿を感じとる意味があったようである。
このあたりから、日本では、鏡には、魔除けの力があると信じられるようになった。鏡が普及するにしたがって、悪魔を払い、ツキを呼び込むものと考えられるようになったのである。
鏡は、われわれと目に見えない世界とを結び、神や魔法とつながっているから、それが割れることは、自分と目に見えない神の守護が切れることを意味する。それを不吉とみなしたのである。
たしかに、割れた鏡に映る自分の顔は醜くゆがんで見え、不吉の前兆のようである。 (西洲ノートから)
カガミを見た自分から、我(ガ)を取ると .......... 神になりますね !(^^)!
神様をあ~でもない、こうでもないと、論じていることは我がある証拠。
とくに国常立乃神や祓戸四神は、謙虚に敬うのがよろしいかと思います。
さて今回のテーマからの一句。
スキある心に
神と化け
魔(ルシファー、ミノタウロス)は、ちょっとしたスキも見逃しません!!
神仏の姿に巧みに化けてしまいます.................. 尻尾は出てますが。
お金が全て、名誉が全て、出世が全て、家族が全て、周りに良く思われたい、自分の考えが一番、霊能力を得たい、自分はお釈迦様より上の神界の次元のつもり、とか.......
何かに執着心があるその心に、巧みに忍び寄ってきます。
いつも惑わす魔との戦いですが......... 法華経を受持していたら絶対に負けません !!
今は、法華経を受持されて頑張っている仲間たちが集まってきています。 頑張りましょう~
さあ~今週も、お釈迦様の教え、仏教語、秘密結社等、盛りだくさんのテーマをご紹介させていただきます(^^)/ 皆さまの心に響いていただければ嬉しいです。張り切って今週も頑張りましょう~
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
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