名僧の教え16(蓮如) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

(人生落ち目になると一段と加速が.......)


 

"調子が
良いときこそ........."


 

人は昇り調子にいると、
調子に乗って舞い上がってしまい、
落葉があることを忘れてしまうものです。
何事もいつかは落葉のように落ちるものと
慎(つつし)みの心を持ち続ける。
調子の良いときにこそ
その心を忘れてはなりません。

 

蓮如)(れんにょ)



「蓮如上人御一代聞書」(れんにょしょうにんごいちだいききがき)にある教えで、現実に対応させて、誰にでもわかるように仏法の教えを説いたといわれる蓮如の魅力が表れていることばの一つです。

よく「人生は山あり谷あり」というように、昇り調子と感じるときがあれば、必ず下り調子が訪れるものです。しかも、昇りがなだらかに調子よく昇れたからといって、下りもなだらかに降りられるわけではなく、一瞬にして崖から真っ逆さまに落ちることもあります。だから「つねに自分の足元を見て慎んで歩きなさい、いつかは下りを歩むのが自然なことだと自覚しなさい」と蓮如は教えたのでしょう。

古代インドの仏教説話集「ジャータカ」の中に次のような話があります。 ある人が豆をふかしていると、一匹の猿がやってきて、その豆を口いっぱいにほおばり、さらに手にも持てる限りの豆をつかんで、すばやく木の上にかけ戻りました。してやったりと満足げにしていると、ふと手の間から一粒の豆が地面に落ちます。

すると、猿は口や手の中にあった豆をすべて放りだし、あわててその一粒を拾いに木から飛び降りて懸命に探しますが、いくらさがしても見つかりません。わずか一粒のためにすべての豆を失った猿は、やがて探すのをあきらめ、さびしそうに木の上に戻りました。

この猿に少しでも慎む心があれば、すべて失うことはなかったでしょう。 (名僧100文字の教え参照)

猿も木から落ちる ............ 猿も木から落ちるとは、その道に長じた者でも、時には失敗をすることがあるというたとえ。(国語辞典より)

 

 

追記、猿も木から落ちる!! って、こういう裏があったんですね (^_^.) 確かに、欲と愚かさを慎めれば、たとえ落ち目になっても立ち直れることができると思います。

 

 

法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、

釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)

↓↓

↓↓

法華経と共に! 白蓮堂 

http://www3.hp-ez.com/hp/magokoro18

 

真実は一つ!!

 

 

クリックよろしくお願いいたします。励みになります (^^)/

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ