法華経の教えから 第二十二章 嘱累品 その5(示教利喜) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

だんだん教えを実行してゆくと、

大いなる喜びが心の中から湧きおこってくるようになる。


 

◎教えを実行するとは........... 示教利喜(じきょうりき)

つづいて経文は未来において、もし善男子(ぜんなんし)、善女人(ぜんにょにん)があって、如来の智慧を信じる者があるならば、その人々のために「法華経」 を説いて、その教えを知らせなければならないと説く。それはすべての人に仏の智慧を得させるためである。しかし末法(まっぽう)の世の中になると如来の智慧、すなわち永遠の真理を信じてくれる者ばかりではない。このような末法の時代にはどうしたらよいのか。もし人々が絶対の真理を信用しなかったときには、

当(まさ)に如来の余(よ)の深法(じんぽう)の中(なか)に於(お)いて、示教利喜(じきょうりき)すべし。

としなければならない。「法華経」 の教えをどうしても信用しない者には、仏が説いた他のお経の教えでよいから、方便(ほうべん)として説き示せばよいというのである。「如来の余の深法」 の中からその人に適する教えをまず説き示しなさいと言うのである。しかも教えの説き方は「示教利喜」(じきょうりき)でなければならない。示教利喜とは人にものを教える順序である

」(じ)とは教えの大体のことを示すのである。仏教入門の講義でも、まったく仏教を知らない人に説くときも、仏教とはどういうものであるかの大体をまず簡単に示しておく必要がある。仏の教えとはこういうものだという輪郭を示すことである。

次の段階が「」(きょう)である。だんだんと細かいことを教えてゆくことである。だんだんと細部にわたって教えてゆくことが必要である。武道や芸道では基本技である脚の運び方、体の動かし方などを鍛錬するのがこの時期である。

次には「」(り)である。ただ教わっただけでは利益(りやく)はわからない。自分が教えを実行するとき、はじめて利益がわかってくるものである。

最後の「」(き)とは、だんだん教えを実行してゆくと大いなる喜びが心の中から湧きおこってくるようになることである。ありがたいな、やってよかったな、という気持ちになる。物質的に報いられるわけではなくても、人間は一つのことを実行してゆくと大きな喜びが湧きおこってくるものである。ありがたい、と感じてきたら「示教利喜」 の教えが守られたことになる。

どんなことをするのでも、ありがたいと感じて行うことは人間としていちばん大切なことです。どんな小さなことでも、ありがたいと感じながら行うことが宗教心なのである。「法華経」 の教えがわからない人は仏典の中のどんな教えでもよいからまず学ぶことである。そのうちにだんだんと「法華経」 を学んでみようという気持ちがおこるものである。

このように「示教利喜」 できるようになれば、「(すなわち)(こ)れ已(すで)に諸仏(しょぶつ)の恩(おん)を報(ほう)ずるなり」 となる。示教利喜して教えを実行することに大いなる喜びが感ぜられるようになれば、それこそ教えを施してくれた仏に対する報恩なのである。仏の恩に報いる最高の道は示教利喜して、「法華経」 の教えを弘めることなのである。なにも仏に花や食事を供養することではない。真の報恩行(ほうおんぎょう)は教えを弘めることにほかならない。

次回につづく。

 

追記、私はこの「示教利喜」に目覚めました(^^)/ 法華経を弘める喜びが心の中から湧き起こるようになり、いつもお釈迦様や十大弟子の皆さまと日蓮聖人と一緒にいる感覚ですお願い

 

 

 

さて、妙法蓮華経(法華経)って、何なの!?

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