法華経の教えから  如来寿量品 その4 | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様 ..............久遠の仏陀釈尊 ............. の声、それが「法華経」 です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。そこで、法華経の教えから、大事と思われるところを取り上げてみたいと思います

 

 

善い行為の果報は寿命に反映

 

 

法華経28品の中で、古来から四要品といわれる四つの重要な品(章)がある。その四つの品とは、方便品安楽行品寿量品普門品である。今回は、如来寿量品をご説明いたします。少し難しくなりますが........... (^^)/

 

◎第十六章 如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)から

 

久遠(くおん)の生命とは

今まで、仏が過去において、衆生の能力に応じて教化(きょうけ)してきたことを説いたが、これから経文は、釈尊の今生(こんじょう)における衆生強化を説く。まず小法(しょうぼう)を求める鈍根(どんこん)の人のため、自分は若いころに王宮を捨てて出家し、だんだんと修行した結果、仏に成ったと説く。

しかしこのことは、仮に説いたのであって、実は自分は久遠(くおん)の昔から仏に成っていたことを明らかにするお釈迦様の御事蹟を通して根本の仏を見ることが大切なのである真実にして虚(むな)しからず仏の目は、三界(さんがい)の相(すがた)をすべて見通すことができる。三界とは、欲界(よくかい)、色界(しきかい)、無色界(むしきかい)のことである。欲望の世界も物質の世界も精神界も、すべて見通すことができるのが仏の目である

仏は三界の実相をどのように見るか。人世には変化もあるが、変化だけを見ていては実相を見たことにはならない。変化する面と同時に変わらないものがある。薪(たきぎ)がが燃えて灰となれが薪の形はなくなるが、薪のエネルギーは熱となって薪そのものの持つエネルギーは別になくなったわけではない。この世の中にあるものはすべてそうであって、表面的には変化しているように見えても少しも変わらないものである。人間がこの世で生を受けるのも死んでゆくのも別に変わるものではない。仏の眼から見れば生死(しょうじ)もまた不生不滅(ふしょうふめつ)にほかならない。

この三界の実相は不生不滅であるが、われわれ衆生は、この三界の真実の相を見ないで、生滅去来(しょうめつきょらい)の一面だけを見て、それに執着し煩悩(ぼんのう)を起こし、生死の流れのなかに苦しんで生きなけらればならない。そして、あらゆるものを差別(しゃべつ)として見るから平等の道理を知らない。また、二乗は平等の道理だけを見て差別を知らない。仏のみ差別と平等におちいることなく中道(ちゅうどう)の、(ことわり)を見ることができる。これを仏の如来知見(にょらいちけん)というのである

また仏は「‘所作(しょさ)の仏事(ぶつじ)、未(いま)だ嘗(かつ)て暫(しばらく)くも廃(はい)せず’」 とあるように、仏事をやめることがない仏事とは仏道のために人を教え導くことである。仏のやること、なすこと、言うこと、すべて仏事である。一瞬の間もその仏事を廃(や)めることがないとは何と尊いことであろうか

仏の仏事は久遠(くおん)の昔から行われていた。 そのことを経文では、

是(かく)の如(ごと)く、我(われ)、成仏(じょうぶつ)してより己来(このかた)、甚(はなは)だ大(おお)いに久遠(くおん)なり。寿命無量阿僧祈劫(じゅみようむりょうあそうぎごう)、常住(じょうじゅう)にして滅(めっ)せず。

と説く。ここにはっきりと三世(さんぜ)に常住する不生不滅の仏の生命が説かれている成仏して以来、過去から久遠(くおん)であり、その仏の寿命はまた未来においても、はかり知ることができないほど常住である。しかもこの仏は菩薩道を行(ぎょう)じてきたのである。世のため人のために教えを説いてきたのである。

このように菩薩道を行(ぎょう)じてきた仏の寿命は、善いことをやったために、さらに長い長い寿命となる善い行為の果報は寿命に反映するからである。長生きする人はそれだけ福運があり果報がある人である仏は菩薩道を昔から行じただけでも長い寿命を得ているのであり、さらに久遠の本仏であるからその寿命は無限となる

 

☆良薬を飲む

 

次に、法華七喩の一つ、最後の喩話しが説かれています。これは、

 

‘諸(もろもろ) の比丘 、如来は見ることを得(う)べきこと難(かた)し’

 

とあるように、仏に遭うことは容易なことではない。世の中に現れて教えを説き、それが終われば入滅するのは釈尊だけではなく、どんな仏もそうである。仏がこの世から去って姿を消すのは衆生を救うためであり、衆生に信心を起こさせるためである。

 

この意味をさらによくわからせるために譬喩(ひゆ)を説いたのが、‘医子の喩え’ の喩話しです。

↓↓

https://ameblo.jp/joverexr22/entry-12368491112.html

 

 

これは、法華七喩を前に紹介していますので、他の喩話しも、ご参考にしていただければと思います (^_-)-☆

 

次回につづく

 

 

追記、 如来寿量品は、何度読んでも読んでも奥が深く、スケールが大きく凄いとしか言いようがないです(@_@。 せっかく法華経の教えに出会えたのですから、少しでも法華経の教えを深く理解し、実践して日蓮聖人やお釈迦様に近づけられるように精進努力しましょう(^^)/ 私も益々、気合を入れて頑張ります。

 

 

 

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