法華経の教えから  方便品その4(法位に住する) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

永遠の生命を通じて私たちに呼びかけを続けるお釈迦様 ..............久遠の仏陀釈尊 ............. の声、それが「法華経」 です。現代においてもこの経典の影響の大きさには計り知れないものがあります。そこで、法華経の教えから、大事と思われるところを取り上げてみたいと思います。

 

西方浄土の如来、阿弥陀様も法華経を学んで如来になられました。

菩薩当時の名は法蔵菩薩です!

 

 

◎第二章 方便品(ほうべんほん)から

 

〇法位に住する

 

仏道を成じることができる衆生(人々)…布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜を行ずる人はすでに仏道を成じた人であるという。また「善心の心」があれば、仏道を成じたことになる。「善心」とは、柔軟心のことである。

善心があれば仏の教えを聞くことができる。また、一切の慢心を捨てるのが、柔軟心である。自分自身の考えをかたくなに守っては、仏の教えを聞くことができない。素直な気持ちになってこそ仏の説法を信じることができる。

方便品では、仏塔に対する崇拝が成仏の因であることを強調する。しかも、たった一回「南無仏」と唱えれば良いと言うのである。「南無仏」とは、仏を敬い奉る。仏に帰依する。仏に頼るということである。

口で言い表せば「南無仏」となり、身体で表せば合掌となる。
まず、仏を敬う気持ち(意業)を持たねばならない。次に仏に向かって合掌し(身業)「南無仏」(口業)を唱えることが必要である。
 

西方浄土の如来、阿弥陀様も法華経を学んで如来になられました。菩薩当時の名は法蔵菩薩です!

※法華経は菩薩行を完成させて、如来になるための唯一の教本なのです (^_^)v

この大事なところの疑問は、第七章化城喩品と第16章の如来寿量品を学べば、理解ができます........

‘‘法は常に無性にして、仏の種は縁にしたがって起こると知り、この故に一乗を説きたもう。’’

我々の中には、悪人もあれば、善人もある。しかし、絶対的な悪人や善人があるのではなく、何かの機会があれば、善人であっても罪を犯すこともあり、それは誰にも予測できないし、自分は罪を犯さないと断言できる人はいない。

仏から見れば、我々は常に無性である。本来仏性を持っているといっても、それが修行によって開発され、顕在化しなければ無仏性と同じことである。
 

※「法住法位」(ほうじゅうほうい)
 

本来の意味は、教えが永続すること。教えが変わらないこと。この世に教えが常に存在して不動であること。
「法位に住する」とは、もののありようを教える言葉であり、春に花が咲き、秋に紅葉するのは、法位に住することとされる。ありのままなる世界が開けていることをいう。あるいは、ありのままなる世界が開けていることや、そのものの本性を完全に十分に発揮することも、法位に住することとされる。これを「諸法実相」ともいう。

 

 

追記、 法華経は菩薩行を完成させて、如来になるための唯一の教本なのです (^_^)v

 

 

 

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