この前のデモを振り返ってみたいと思うのですが、平和的なデモだったのは良かったと思いますね。

僕が目撃した中では反対勢力が一人厚生労働省前で対抗演説してたくらいで、ネットを見てもとくに揉め事もなかったようですし。

参加者の属性的にもそんなにデモ慣れしている人たちではなかったと思いますし、これから参加するかもしれない人たちもおそらくそういう普通の人たちなんですよね。

だから平和的にやれたのは良かったんじゃないかと思います。

 

 

集会の登壇者の何人かの方が話していたことですが、ワクチンやパンデミック条約、地方自治法改正や緊急事態条項反対、これらはいずれ反米運動に発展しそうな気がするんですね。

それもこれも突き詰めていけば、アメリカに対して日本が植民地的立場にあることから起きていることが分かるからです。

だからこれはいずれ「第三次安保闘争」になっていくのかなと思います。

 

 

「第一次」と「第二次」のときは僕はまだ生まれていませんでしたが、あの頃の運動の主体はエリート大学生、今でいう「意識高い系」で、彼らは自分たちこそ新しい世界を作るんだという情熱に燃えてはいたけど、それは反面エリート意識でもあり傲慢であったと思います。

地に足のつかないその運動は次第に過激化先鋭化し、凄惨な内ゲバで互いを傷つけあい、「総括」と称し仲間の半数近くを殺した連合赤軍のようなモンスターを生み、大衆から乖離して支持を失い運動は下火になっていったと。

学びをすればだいたい左翼になるというのは本当で、それは左翼には理論がきっちりとあるからで、だからインテリは左翼になりやすいのですが、理論と現実はまた別で、これを実行すれば革命は成功し理想社会が実現するんだなんてのは大きな間違いだということを、まさに彼ら自身が証明してしまったという皮肉な結果に終わった。

 

 

しかし今回のデモの主体はかつてと違ってまさに大衆そのものなんですよね。

難しい理屈なんて分からないかもしれませんが、生理的な嫌悪感や自分たちの感じている違和感を「陰謀論」とひとくくりにされ、言葉を発することもままならない状況に声を上げた人たちです。

だから右派がこれを主導したというのも確かに分かる話で、どちらかというと大衆に近いのが右派ですし、そして大衆は暴力や過激なことは好まないですよね。

だから平和的にやるということはまどろっこしいように感じるかもしれませんが、実は一番意味があるんじゃないかと思いました。

大事なのは「非暴力・不服従」のガンジー路線なのかな。

 

 

もっとも僕は右翼ではないので、このデモの性質に強く見られた国旗崇拝の傾向、愛国心の押し付け。

演壇やデモ隊に掲げられた日の丸に「おれを愛するのが当然だろ?ん?」と言われている感じがあったのも事実。

僕みたいなはねっ返りは「お前のせいで前の戦争で何百万人死んだと思っているんだ!」と言いたくなるのですが、かといって左翼のように完全拒否でもないので、その辺は華麗にスルーしましたね。一応国旗に少しも敬意を払わないわけではありませんし。

 

 

登壇者の口から「光の戦士」という言葉が確かに出てきたのにはギョッとしました。それは何の意味ですか。なんか昔やったRPGでそんな言葉があったようでしたが。

参加者の特定の層に阿るような言葉、また一種の選民思想にもつながりそうな表現はあまりよろしくないと思いましたね。

周りの人たちの会話から聞こえてくる言葉、「人工地震」や台風のような自然現象を誰かの企みのように語る傾向。

僕はそれらにもあまり同意できませんしね。

 

 

主催者のチャンネル桜についても、今は反自民反グローバリズムを主張していますが、ゴリゴリの右派なのでもともと政権側に近く、第二次安倍政権を最初のころまでは支持し、日本を裏で動かしているとかいないとかいう日本会議の一員であった(ある時期までは)のも事実です。

安倍政権誕生後の政策が期待と違っていたのでチャンネル桜は次第に安倍批判に転じるのですが、このあたりの自民党との距離感も気になるところではあります。

 

 

僕がチャンネル桜を観始めたのはウクライナ戦争がきっかけで、二年くらい前からかな。だから古い視聴者ではありません。

ウクライナ戦争の報道があまりに一方的なプロパガンダ臭プンプンで、周りの人々の反応もすっかりそれに乗せられてロシア憎しで盛り上がっている状況に違和感ありまくりだった僕にとって、これはアメリカの挑発から始まった非常に邪悪な代理戦争なんだと主張するチャンネル桜は数少ない共感できる主張でした。

コロナ禍とウクライナ戦争で分かったのはいかに多数派の判断が報道によって左右されるかということで、さらに多数派はその報道の真偽を検証もしないということです。

ああいう中で決して得にはならないはずの、少数派としての反対の論陣を張っていたチャンネル桜は僕にとっては頼もしかったですね。

右翼ではない僕ですが、そういう点でチャンネル桜に対しては一定の信頼は置いています。

 

 

話は飛びますがデモ参加者の会話を聞いていても、参政党は明らかに退潮傾向ですね。

僕はゴシップには興味がないので詳細は記述しませんが、いろいろあった結果主要な人たちはだいたい参政党から離れ、支持者もかなり離れた印象があります。

代表の神谷宗弊氏はこのデモに参加していなかったですし、代わりに松田学前代表が来ていましたが、ちょっと距離を感じますね。来にくいのかな。

散り散りになった旧参政党のメンバーは今はチャンネル桜の下で緩やかに連帯している感じで、参政党もその中には入っているようですが、次の選挙の時に前回の参院選で参政党に入れた人たちはどこの党に入れるのか気になるところではあります。

チャンネル桜傘下の新党くにもりは受け皿になれるのか、ただ資金があまりなさそうです。

 

 

若干デモに対して距離のあることを書きましたが、僕は次に東京周辺でデモがあればまた行くつもりです。

政党や政治家、インフルエンサーとの付き合い方、まず自分がどのような考え方を持っているかが大事で、価値判断の軸は自分にあるべきだと思うんですね。

そこから相手の考えと自分の考えはここが同じでここが違うよね、という共通点や差異を認識した上で支持するしないを決めるのがいいと僕は思う。

まったく自分と同じ考えの人間なんていませんし、いる必要もないと思う。

ところが、相手の言っていることが正しいと思ったら何でもかんでもその相手の価値判断のほうに合わせに行っちゃう人って少なからずいるんですよね。

それは一種の依存の形だと思うのですが、相手に合わせて状況に流されるうちに自分でも思いもよらなかった結末になってしまいがちなので、気を付けたほうがいいと思いますね。