日本はアメリカに守ってもらうことで豊かになれたのだから、これからもアメリカについていけば大丈夫と考える日本人はいまだに多いようです。
確かに冷戦が終わるまでは日本とアメリカの利害は一致していたように見えます。
それは日本にとって侵略の恐怖にさらされることもなく経済成長ができた、幸福な時代だったかもしれません。
しかし冷戦終了後アメリカにおける日本の位置づけが変わったことに気づいている日本人はいまだに少ないのではないかと思います。
もう30年以上たっているにもかかわらずね。
日本の高度経済成長はアメリカが守ってくれたおかげで、その善意のおかげだという風に思っている日本人は多い気がします。
僕はその見方は違うと思っていて、アメリカは単に自分の利益になることをやっただけだと思うんですね。
冷戦中のアメリカにおける日本の位置づけは「共産主義の防波堤」だったと思います。
分断された東西ドイツにおける西ベルリンが「資本主義のショーケース」であったように、豊かな日本、共産化しない政治的に安定した日本がアメリカの国益にかなうことであったでしょう。
60年安保のころは日本も赤化の危険があり、その頃の岸内閣にCIAが資金援助したのは有名な話ですが、安保闘争は今でこそ共産主義にかぶれた過激派が暴れていただけみたいな印象がありますが、安保条約における日本の従属的な地位に反発した反米自立闘争の色彩もかなりあったといいますね。
この辺の事情は僕もあまり詳しくないのですが、もう少し歴史を振り返って見直す必要があるのかなと思います。
結局高度経済成長が終わる1973年ころには左派の抵抗運動も終息し、その後の日本はそれ以前の戦争や、アメリカに従属国に置かれているという問題意識もきれいさっぱり忘れ去って単に平和と豊かさを謳歌する無菌状態の温室になったような気がします。
日本にとってのターニングポイントは冷戦終結だったと思いますね。
そこでアメリカにおける日本の位置づけが変わったからです。
それは共産主義の防波堤から収奪の対象に変わったということで、冷戦の終結とバブル崩壊がほぼ同時期に起こったのは偶然ではないと思います。
プラザ合意は中曽根康弘首相・竹下蔵相・澄田智日銀総裁らによって決断されたが、この決断は、日本がアメリカの要求を全面的に容認した対米妥協策との解釈が一般的である。 加藤紘一の回想によると、(プラザ合意で)帰国報告した竹下登・蔵相に向かい、宮澤喜一は「竹下さん、あなたいったい何をしてきたのですか。自分がやってきたことがわかっているのですか」と面罵した。 安竹宮で次期首相を争っていた時期なので、宮澤は痛烈に非難を受けた。「同僚の面前でライバルの総理候補をあそこまで非難するような人間は、人間ではない。器が見えた。あれで宮澤さんはおしまいだ」 だが、いまにして思えば、プラザ合意の重さというものを唯一理解していたがゆえに、彼はあのような激しい言葉を吐いたのだ。その言葉は政策マン宮澤を象徴するものであり、あの場面は、戦後の日本経済にとってターニングポイントになる、決定的瞬間だった。[8]
バブルが弾けたのは冷戦が終わったのとほぼ同時期でしたが、その発端は1985年のプラザ合意だとする見方が多いようですね。
プラザ合意のころにはジャパンバッシングは始まっていて、テレビで日本車や日本製品が叩き壊されているのを僕も見た記憶がありますが、アメリカの思惑を超えて経済大国になった日本を脅威に感じ始めたのはこのころからだと思います。
プラザ合意で一年で1ドル=235円から150円になるほどの急激な円高になったことを契機に日本の輸出産業は競争力を弱めることになりましたが、輸出企業に対する補助金の意味合いもある消費税が導入されたのもこの頃(1989年)でしたね。
アメリカ主導の一方的なルール変更によって日本経済の調子が狂ってその後の30年の不況の始まりとなったと言えそうですが、スポーツで言えば、長野五輪までは強かった日本のジャンプスキーがルール変更と同時に低迷したのと重なるように思います。
ルールにのっとって正々堂々戦ったら勝てそうにないなら、ルール自体を変更してしまえとは身も蓋もない話ですが、それがアメリカのやり方なんですね。
由来をたどれば、1993年(平成5年)7月の宮澤喜一首相とビル・クリントン米大統領との会談で決まった「日米の新たなパートナーシップのための枠組みに関する共同声明」(英語: Joint Statement on the Japan-United States Framework for a New Economic Partnership)とされている。
米国側からの要望が施策として実現した例としては、建築基準法の改正や法科大学院の設置の実現、著作権の保護期間の延長や著作権の強化、裁判員制度をはじめとする司法制度改革、独占禁止法の強化と運用の厳密化、労働者派遣法改正(労働者派遣事業の規制緩和)、郵政民営化といったものが挙げられる。米国政府からの要望で実現していない項目としては、再販制度・特殊指定の廃止・ホワイトカラーエグゼンプションが挙げられるが、年次要望改革書では引き続き取り上げられている。一方、日本側からアメリカ側への要望の一切は実現されていない。
アメリカからの売国要求である「年次改革要望書」の原型は1993年の宮沢内閣からはじまったとのことですね。
今となっては悪名名高い労働者派遣法改正や郵政民営化はアメリカの要求の元行われたということです。
30年の衰退、規制緩和や構造改革という名で進められてきた売国。
アメリカにとっては「家畜がまるまると太ったな、屠殺させてもらうが俺が育てたんだから文句ないだろ?」という感じなのかもしれません。
以下の点から、年次改革要望書に関する報道が広く国民に充分になされていない、という意見がある。
- 建築基準法の改正提言には、アメリカ政府の介在がひとことも書かれておらず、法改正の新聞報道でもいっさい触れられていない[2]。
- 年次改革要望書の全文が日本のマスメディアで公表されたことはない[2] 。
- 郵政民営化をはじめとする構造改革の真相を国民が知ることとなったら暴動が起きかねないので、マスコミ対策は用意周到になされていた。郵政民営化に反対する政治評論家森田実が、ある時点からテレビ局に出演できなくなった[12]。
- 『しんぶん赤旗』『サキヨミ』一部夕刊紙以外の主要マスコミでは『年次改革要望書』が発表された事実そのものの報道もなされない。国会議員が国会で問題にしても、なぜか全国紙やテレビ局の政治部記者からは一件の取材もない[13]。
マスコミも実質上アメリカの支配下にあることがうかがえる記述ですね。
振り返れば日本はアメリカに振り回されてきました。
戦後日本が永久に刃向かえないように憲法に戦力の不保持と書いたくせに、朝鮮戦争が始まれば米軍を半島に投入した力の空白を埋めるために、あっさり憲法無視して警察予備隊なんて作らせた。
自衛隊の前身の性格は対反乱用の実力組織で、仮想敵は国民だったわけです。
まあ今の自衛隊が国民に銃を向けるとは考えにくいですが、元々の出自はそういう性格のものだったことは留意する必要はあるでしょう。
事実60年安保のころに岸信介が自衛隊に出動要請をしたことがあって、防衛庁長官が自国民に銃は向けられないと断ったという事実があります。
日本国憲法の上に君臨しているのがアメリカなんですね。
なんでそんなことになるのかというと、やはり米軍が駐留していることで日本は軍事の実権を握られているからだと思います。
今の日本はアメリカによる傀儡政権とみるべきで、傀儡を傀儡と感じさせない仕掛けとして天皇制が利用されているんだと思います。
天皇制を統治に利用することをアメリカに耳打ちしたのは君主制の伝統のあるイギリスだということですが、イギリスは植民地統治で現地人の王を利用し、ただし軍隊は駐留させてにらみを利かせ間接統治するという手法を世界のあちこちでやっていたので、これは今の日本にもそのまま当てはまります。
いわば日本もその統治法の成功例ということでしょうね。
アメリカの要望があれば日本は憲法を捻じ曲げてもそれに答えざるを得ないので、解釈改憲という形でそれは繰り返しなされてきました。
それでも平和憲法は日本をアメリカの恣意で戦争に参加させる歯止にはなってきたとは思います。
今岸田内閣は憲法改正を言い出していますが、こういう状況下での憲法改正は果たして日本の利益になるのでしょうか。
アメリカの求めに応じてなされる改憲と見るべきであって、それは日本の国益とは必ずしも一致しないでしょう。
僕は今の憲法がいいとは思いませんが、それでも今のアメリカに利する改憲よりは護憲のほうがマシだと思っています。
今の自民党の主要政治家や高級官僚、国の中枢にいる連中はほぼアメリカの犬と見ていいように思います。
ちょっと極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、見た目は日本人でも中身は日本人じゃないような奴らだと思いますよ。
過去にはまだしも心ある政治家もいたと思うのですが、そういう人たちは排除され今はほとんどいなくなったように思います。
こういう状態で国を守る最後の砦は僕たち国民なんですよね。
霞が関や永田町、各地の米軍基地を百万の群衆で取り囲めば日本は変われるかもしれません。
自由は与えられるものではなく勝ち取るものだとはよく言われることですよね。
でもまだその時ではないのでしょうね。
経済も今後さらに悪くなっていく見通しでも、ワクチンで何十万人も亡くなった可能性があっても、今の秩序にしがみついている国民が大多数です。
こういう状況の中にいる限り、今後もっと悪いことが起きるでしょうが、それも日本人のようにお目出度い民族にとっては必要なことかもしれませんね。