ワクチンの話を立て続けにしたので、趣向を変えて音楽の話。

 

 

最近はフランス革命関係の本を読むことが多いのですが、日本の明治維新もそうですが、混乱と激動の時代ってやっぱり面白いですね。

 

 

フランスの国家「ラ・マルセイエーズ」はもともとは軍歌であり革命歌なんですね。

結構歌詞が血なまぐさくて本国でも賛否両論あるみたいですね。

歌詞を見ると確かにそうだけど、高揚感のあるメロディで結構好きになる人は多いんじゃないかと思います。

 

 

行こう 祖国の子らよ 

栄光の日が来た!

我らに向かい 暴君の 

血に染まりし軍旗が掲げられた 

血に染まりし軍旗が掲げられた 

聞こえるかだろうか?戦場の 

残忍な兵士の唸り声を 

彼らは我らのもとに来て 

汝の子と妻の喉を掻き切るのだ!

 

 

武器を取れ 市民らよ 

隊列を組め 進もう 進もう! 

汚れた血が 

我らの田畑を満たすまで!

 

 

 

『ラ・マルセイエーズ』(La Marseillaiseフランス語発音: [la maʁsɛˈjɛz] 発音例)、または『マルセイユの歌』は、フランス国歌である。元はフランス革命の際の革命歌[1]マルセイユの連盟兵(義勇兵)が隊歌として歌って広めたことによる。

 

 

革命潰しのために攻めてきた外敵と戦うという祖国防衛の歌で、自分たちが打ち立てた「自由」や「国民主権」を守るために戦うんだという高揚感が伝わってくる歌ですね。

 

 

 

フランス革命は主体が貴族→ブルジョア→庶民と変わっていくにつれ過激化し、最終的にはジャコバン派の恐怖政治に行きつくわけですが、内側では大混乱し外敵には攻められるしで、まさに内憂外患の状態でした。

ただ、そこからナポレオンというチート級の大英雄が超新星のように現れて、ヨーロッパ全土を征服しまくったというのは、すごくダイナミックな歴史で惹かれるものがあります。

コルシカ島の貧乏貴族に過ぎなかったナポレオンはフランス革命がなければ歴史の表舞台に登場せず、家柄の壁に阻まれて平凡な一軍人で終わったかもしれないことを考えると、英雄の登場というのは歴史の気まぐれでもありまた必然でもあるという、数奇なものを感じずにはいられませんね。

 

 

 

玉葱の歌(たまねぎのうた、フランス語Chanson de l'Oignon/ʃɑ̃sɔ̃ də lɔɲɔ̃/)は、1800年ごろに生まれたとされるフランス軍歌である。伝説によれば、ナポレオン帝国軍に属する擲弾兵の間で生まれた歌である。マレンゴの戦いの前に、ナポレオンは何人かの擲弾兵が玉ねぎをパンに塗っているのを見つけた。彼は「栄光への道を歩むためには、玉ねぎに勝るものはない」と言ったという。[1]

 

 

 

油で揚げた玉葱を好き

美味ければ玉葱が好き

油で揚げた玉葱が好き

玉葱が好き 玉葱が好き

進もう戦友よ 進もう戦友よ

進もう 進もう 進もう

 

だがオーストリア人にやる玉葱はない

あの犬どもにくれてやる玉葱はない

だがオーストリア人にくれてやる玉葱はない

玉葱はやらん 玉葱はやらん

進もう戦友よ 進もう戦友よ

進もう 進もう 進もう

 

 

「オ~パッキャマラッド パッキャマラッド パオポオパ」の下りは日本人でも聞き覚えのあると思いますが、「クラリネットの歌」の原曲だそうですね。

軍歌であるにもかかわらず平和というか牧歌的というか、歌詞がかわいいんですよね。

また食にこだわるところがフランスっぽいなと思ったりしますが、「ラ・マルセイエーズ」と比べて穏やかでユーモアのあり、そこが逆に静かな自信を感じさせる点が、ナポレオン登場後の強いフランスの雰囲気なのかなという気がします。

 

 

 

 

 

共産主義は嫌いでも、この曲は結構好きになれる人は多いんじゃないかと思います。

メロディが非常に美しくて高揚感がありますね。

 

 

 

 

「インターナショナル」は19世紀末フランスのパリ・コミューン(1871年)の直後に「L'Internationale」として誕生した[2]。作詞者はパリ・コミューンに参加していたウジェーヌ・ポティエ(Eugène Pottier;1816 - 1887)である[2]。パリ・コミューンは1871年5月末に多数の犠牲者を出して鎮圧されると、直後の6月にポティエは亡命先のイギリスで詩「インターナショナル」を発表した[2][3][4]。この詩はラ・マルセイエーズの曲にあわせて歌われるようになった[5]。また、この詩はコミューン議会の同僚であったギュスターブ・ルフランセフランス語版)に捧げられている[3]

 

 

ソ連共産主義の歌のように考えられがちですが、もともとはフランスで誕生した歌なんですね。

まさに革命精神発祥の国フランスにふさわしいと思います。

 

 

今日の僕たちからは共産主義革命の顛末、結局は失敗に終わったことがすでに明らかなので否定的な見方をされがちですが、それでもこの曲の中にあるような、人間の高揚した精神や気高さみたいなものを感じることはできるでしょう。

「正義」というものは歴史の中において一瞬の輝きで、一度打ち立てられた正義はすぐさま相対主義にさらわれて陳腐化し、やがて堕落し腐り果てていくのでしょう。

それは人間が愚かで凡庸だからで、正義を維持し続けるには弱すぎるからなんだと思います。

 

 

それでも歴史や書物の中には人間の光り輝く気高さがあることも事実で、僕が昔から本を読んできたのは、本というのはそうした一瞬の輝きを永久に保存し再現できるものだからかもしれません。

だから僕は人間の愚かさとともに気高さも信じることができるので、どんな絶望の中でも希望は必ず持てるものだと思うのです。

 

 

そんな気持ちで来週のデモに参加したいと思います。

単なる群衆の一人に過ぎない僕が持つには大きすぎる希望かもしれませんが、少しでも多くの人にこの希望を共有出来たら幸いです。