見るからに維新っぽい顔と言動。
それでもみんな、支持しちゃうんだよねえ。
ヤフーやyoutubeのコメント欄がなかなかしんどいことになってますね。
緊縮一辺倒の弱者切り捨ての冷たいネオリベラル人間を支持する人々。
いいねもたくさんついております。
まさに屠殺場に行きたがる家畜でしょうか。
身を切られるのはこっちだぞ。
コメント欄見てると、「これから安芸高田は有能市長に見限られて滅ぶしかないね、ザマアw」という意見が散見されるんだけど、「有能な俺を見捨てたパーティがすでにツンでいた件」みたいな題名のなろう系のザマア系かと思いました。
そういうことを言う人は、石丸さんに何を仮託しているのでしょうか。
なろう系とかザマア系を知らない人のために説明すると、なんかつらつらした文章がそのまま題名になったようなアニメってあるでしょ。
現実世界では不遇で見向きもされなかった俺が、異世界ではあらびっくり、些細なことでもこっちじゃ褒められまくりモテまくりのハーレムでさあ大変。
なんか俺、またやっちゃいましたか?(決めセリフはこれ)
要するに現実世界で誰にも相手にされないけど俺は本当はすごいんだ、どうだ異世界に来たらこんなに褒められまくるしモテまくるんだぞ、すごいだろ?という内容。
屈折した自己愛を全肯定してくれるジャンクアニメ、粗製乱造の量産型。
ザマア系はさらに屈折していて、有能な俺を理解できないパーティから外された結果、奴らは俺がいなくなったことで困ってしまうんだけど、俺は有能だからお前らがいなくても困らないよ?ん?今更戻ってほしいなんて言っても俺は戻らないよ?ざまあwとよりいっそう屈折した自己愛とルサンチマン溢れる内容なんだね。
石丸さんは政界のザマア系?
さしずめタイトルは「銀行で無能と言われた俺、田舎の限界集落の市長に転生してみたんだが周りの年寄りがバカすぎて終わっている件」かな。
石丸さんを無能呼ばわりするなんて許さんぞ!とコメント欄があれるかもしれませんが、僕がそう思うのは彼が人の話を全く聞けないからです。
人の話を聞けずに自分の思い込みや正しさを一方的に言う人間は例外なく仕事ができません。
現に今市政は混乱しているそうじゃないか。
石丸さんと支持者の間に生まれる、共感とルサンチマンに満ちた麗しい世界。
周りがバカすぎて(特に田舎の年寄りは鈍くてのろまで最悪だ)誰も俺を理解しないし評価しない。
→同じように周りがバカで苦労している石丸さん。この人を理解できる俺は賢い!
→バカは切り捨て御免、見捨てるのが正義!どうなろうが知ったこっちゃないよね、石丸さん!
僕の意見では、人間は誰でも愚かなものだ。
自分は愚かだという自覚があれば、多少は賢くなれると思う。
自分のことを賢いと思っている奴はろくなもんじゃない。
石丸さんにはそういう歪んだ自己愛者の匂いがプンプンします。
マスコミや市議会を敵に見立てて対決を見世物にする政治ショーは橋下徹が得意とした手法だけど、この人は明らかにその二番煎じなんだよね。
安芸高田市はこの人の生まれ故郷だそうだけれども、そこでこのような対決型の政治ショーをやり、市政をめちゃくちゃにして自分の売名に利用するというのは、ちょっとサイコパスな感じがする。
友人家族が故郷にいればなかなかこんなことはできないよ。
ていうか友人なんていないのかも。
歪んだ自己愛パーソナリティならそれも分かる。
冷静になって考えてみてほしい。
全国の市町村の首長が石丸さんみたいなことをやりだしたらどうなりますか。
地獄ですよ。
自分の街の首長が目立たず黙って仕事をしてくれていることに感謝したほうがいいと思う。
彼は政治家ではなく政治パフォーマンス系ユーチューバーでしかない。
政治家なら粘り強く議会や市民を説得し合意形成し、少しずつでも着実に物事を進めるべきでしょう。
お年寄り、体の弱い人。
たとえば集団で登山している時とか、歩みの遅い人のペースに皆が合わせるものでしょう。
政治もそれと同じだよ。
歩みが遅いから切り捨てて置き去りにするなんて、それは政治じゃないと言いたい。
というかそういう弱者切り捨ての政治、弱者から順に国民の力を削っていく政治を続けた結果が今の日本の30年の停滞なわけで。
いい加減そういう政治から決別しなければならないと思う。
なぜなら弱者だってGDPに貢献しているからで、誰かが支払ったお金は誰かの所得になるからです。
故郷を踏みにじる人間。
市議会と徹底的に対立した結果市政が回らなくなり、次の市長選は立候補しないと表明。
薄情、市長の立場を利用し名を売り、他人を踏み台にして成り上がる。
人間性に欠陥がないとそんなことできないよ。
しかしだからこそ「強い言葉を求める人たち」に支持されるのかもしれない。
「俺たちにできないことをやってのける!そこに痺れる、憧れる!」みたいな。
見た感じシュッとしてて利口そうな、アメリカ帰りの石丸さん=啓蒙思想の体現みたいな、それが自分の生まれ故郷、旧習旧弊に縛られた古い日本と対決しバッサリ切って捨てている。
それは日本人の自己否定的傾向、古い日本を切り捨てることで日本人ではない有能感ある何者かになれるという幻想というべきものなのかもしれない。
「故郷を踏みにじる」という日本人の衝動。
内なる日本を一番抑圧しているのはほかならぬ日本人だというね。
石丸氏はそれを象徴しているのかもしれない。
そう考えるとこの石丸さんという現象はなんだか興味深くなってきた。
もうちょっと観察してみたいね。
支持は絶対しないけど。