イスラエルがシリアのイラン大使館を空爆し、イランがイスラエルをミサイル攻撃した報復合戦は、この記事を書いている時点でイスラエルがアメリカの説得を受け、イランへの報復を延期したことで、いったんはクールダウンすることとなった。

 

 

しかしあくまで「延期」であって、「中止」ではないんだよな。

やられたら10倍返しが原則の、「中東の狂犬」ことイスラエルがこのままで済ますとは思えないし、予断の許さない情勢だろう。

 

 

イスラエルは僕の行った国の中でインパクトの強かった国で、常時戦時体制の国なんだな、という印象だった。

いつでも戦闘状態に移行しうるというピリピリしたものがあって、緊張感に満ちていた。

 

 
上はイスラエルに旅した時の僕の記事だけど引用しよう。
 

 

出かける前、同室のドミのスウェーデン人とパレスチナ問題について話をした。

彼はドミのベッドで聖書を読んでいた信心深い男で、パレスチナ問題をどう思う?と聞いてくるから、僕は、どちらかと言うとイスラエルが悪いと思う。イスラエルがこの地で生きる権利を持つなら、パレスチナもそれを持っていることを理解しなければならないと思うと言った。(中略)

 

「もちろん、問題は非常に複雑だけど」とスウェーデン人は言う。「イスラエルは民主主義が機能している、この周辺の中では珍しい国だ。周りには内戦中のシリア、イラク、安定しないエジプトだろ?この地域でイスラエルは民主主義を守り、安定している貴重な国だ」僕はそれを聞いて、民主主義が絶対に善いというのは、実に欧米人的な考え方だなあと思った。たとえ独裁でも、皆が安全に豊かに暮らせる国ならば、それは善い独裁のはずだ。それぞれの国が自分たちにあった政治体制を取ればいいのであって、民主主義でなければならない理由はないだろう・・・

 

(中略)それにしても、パレスチナ問題に関するキリスト教会の立場は、案外彼のようなものなのかもしれない。キリスト教にとって聖地であるエルサレムを、旧約の民であるユダヤ人に託すのは、イスラム教徒に託すよりも良いだろう。イスラエルは彼らと価値観を共有する「民主主義国」だし、キリスト教徒も安心して巡礼が出来るというわけじゃないか・・・

 

 

その後僕は、キリスト教会のパレスチナ問題に対する見方を調べたんだけど、このスウェーデン人の彼とまったく同じ見解、「民主主義」という言葉をその中に見つけて、あっ!と思ったんだよね。

アメリカのユダヤ人のみならず、キリスト教右派もリベラル左派もイスラエルを支持する理由。

それは中東における「民主主義の橋頭堡」だからではないか。

そしてそれは言い換えると「現代の十字軍」だということだ。

ここにおいて、キリスト教と民主主義が結合し、タッグを組んでいるんだよね。

 

 

僕たち日本人は、民主主義は単に政治体制の一つだと考えている人が多いと思うのだけど、それが宗教とつながっていると言うと、僕たちは宗教アレルギーも強いから、えっ?と思うに違いない。

僕たちが生きている民主主義国家のイデオロギーは、だいたいフランス革命で確立されたものなんだけれども、その中に無神論や「理性の崇拝」、そしてロベスピエールの恐怖政治の絶頂期には「最高存在の祭典」というものがあった。

これらはフランス革命のコアな、非常に重要な部分なんだけど、日本ではあんまり顧みられていないように思うんだよね。

例えば「ベルサイユの薔薇」でもこういったことは全く語られていないように思う。

 

 

「最高存在の祭典」とは、共和国の自由平等博愛という理念を「神」として崇拝しようというものだったんだけど、なんだか気持ち悪いものを感じないだろうか。それって結局宗教じゃん?

そもそも神を否定しながら別の神なるものを作ろうとするというのは本末転倒で、それって、結局同じなんじゃないの?

 

 

絶対者を否定しながら絶対者を作り出す。

この矛盾に見られるのは、「絶対性の希求」とでもいうべき傾向だろう。

それは西洋人の発想やものの考え方、世界観の根本にあるものだ。

例えば無神論や理性崇拝で宗教という枠組みを否定し、その外部に出ようとしても、「絶対性の希求」という西洋人の根本にある世界観自体を変えることができなければ、結局枠組みから別の枠組みに移っただけで、本質は何も変わらない。

自由でありたいと願いながら、自分自身によって自由であり得ないという、自縄自縛に陥っているのが西洋人で、この辺の機微は、西洋の思想の流れを追っていくと分かる。

彼らはどこまで行っても自由になれない、ある意味「かわいそうな人たち」なんだよね。

 

 

結局、古くは大航海時代、キリスト教の布教を目的に南米大陸を征服し、はるか日本にもやってきた西洋人は、今は民主主義を布教するために世界中で戦争を吹っかけている。

結局「教え広める」という行い自体は何も変わっていないのであって、それがキリスト教か民主主義かの違いでしかない。

キリスト教も民主主義も根っこは同じで、親和性があるのだとすれば、アメリカの右派も左派もイスラエルを支援するのはそういうことだからだろう。

 

 

ここまで書いて気になるのは、わが日本のことである。

日本の位置は、「民主主義の不信心者」である中国やロシア、北朝鮮に対する「民主主義の橋頭堡」的な位置にある。

そうとなれば、アメリカが日本にイスラエルと似たような役割、「現代の十字軍」としての役割を期待するのは予想できることだろう。

メディアマスコミが「民主主義の脅威」と盛んに煽るが、民主主義にはご用心。

僕たちはイデオロギーに対して距離を置き冷めた眼を持つ必要があるだろう。