進歩思想と保守。欧米とロシア | まさし特派員の世界一周だより

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「保守」という言葉は日本の政治において濫用されている気がするんだよな。

「親米保守」「反米保守」「改革保守」等々、保守にもいろいろあるらしい。

最近では既存の保守政党を「似非保守」とクサし、我こそが真の保守なりと新党を立ち上げる向きもあるようだが、とにかく日本で政権を担うに足りる政党と認められるには、少なくとも「保守」を名乗る必要があるようだ。

「親米」「反米」「改革」「似非」。

「保守」の前にどんな言葉がつこうと、それはあまり考慮されないらしい。

 

 

全体的な印象としては、「国体護持」「反韓反中」「日本を守る」「防衛力強化」「自主憲法制定」とりあえずこういうことを主張していれば保守だという了解があるような気がする。

一応辞書的な意味を記しておくと、保守とは下記のようなものである。

 

 

保守主義は、革命などの急進的な改革に反対し、その社会で伝統的に累積された社会的・政治的・宗教的な秩序などを重視する立場である。その理念的背景には、近代主義的な理性主義啓蒙主義理想主義合理主義など)に対する懐疑があり、人間は不完全な存在であると考え、そのために歴史的な伝統の尊重が必要と考える(wikipediaより)

 

 

「人間は不完全な存在である」

僕はさんざんこのブログで、人間は日本人はバカだ愚かだとけなしてきたのだけど、まあ他をけなすのは本人は気持ちがいいけれど、そういうのを読んで気分を害する人もいるだろうね。お前は賢いつもりかと。うん、俺もバカの一人だ。

ただしね、重要なことは、どんなに賢い人間でもすべてを知ることはできないということなんだ。

結局自分は無知なんだという謙虚な姿勢。これが大事だと言いたいが、しばしば人間はそれを忘れるんだよね。

そして人間は政府やマスコミが煽り立てるままに、自分自身の偏見や思い込みに従い、深い思慮もなく軽忽に行動する。

そうして振る舞いがもたらす大惨事は最近でもあったし、また歴史の中にも枚挙にいとまがないよね。

人間は自分自身について往々にして無自覚なので、まずは自分がおかしな色眼鏡をつけてものを見ていないか疑うということ、これが「考える」ということの出発点であるべきだと思っているんだよね。

 

 

近代主義的な理性主義啓蒙主義理想主義合理主義など)

 

 

僕は仏文科を出たのだけど、理性主義、啓蒙主義、合理主義等はだいたいフランス発祥と考えてよいと思っている。

18世紀は「光の世紀」と呼ばれ、無知蒙昧な暗闇を光で照らしすべてを明らかにするという、人間の理性はすべてを把握しうるという理性万能主義、これが進歩主義、革命思想になり、フランス革命につながるわけだな。

そしてフランス革命は共産主義革命の母胎というか源流なんだけど、こうした理性主義の特徴は宗教や既存の秩序、伝統の否定である。秩序や伝統を尊重する保守の立場とは真っ向から対立するわけで、保守はリベラルの対立概念なわけだな。

そして保守の立場から見たリベラルの問題点は教条主義というか、平たく言えば頭の中で考えた理想を無理やり現実に実行しようとする点にある。

 

 

まあ共産主義の失敗例はたくさん挙げることができるし皆さんご存じのことだろうが、例えば中国の大躍進政策とその後の文化大革命、カンボジアのポル・ポトの大粛清などがある。

現実離れした理想を実現しようとして大災厄をまき散らすのは進歩思想の恐ろしいところで、ポル・ポトはルソーの言う「自然に帰れ」の忠実な実行者だった。

富める者、賢いもの、美男美女、古い社会に染まった大人すべて。

それらの人々は格差を生み彼の考える平等を乱すものだから粛清するしかないと考え、自国民を大量に虐殺したんだよな。

しかも当の本人は聖人の如く清らかな心でそれを正しいと信じて行なったのだから始末に悪い。

ロベスピエールもポル・ポトも清廉潔白で行いの良い人物だったらしいからね。恐ろしい話だ。

 

 

まあそんな風に共産主義は大失敗に終わったが、フランス革命の「自由 平等 博愛」という理念は進歩思想のものだが、それはおそらく今の西欧的な民主主義社会全般で自明の前提になっていると思うんだよね。

それは保守的とされる日本社会も例外ではない。

日本人も、独裁国家や共産主義、民主主義じゃない国に対して、なんとなく非文明的で野蛮だというイメージを持っているでしょ。

それは民主主義が正しくて他より進んでいると思っているからだ。

 

 

ここで僕は昔読んだ本の話をしようと思うのだけど、脱線のように見えて実はつながっている話なのでどうかお付き合い願いたい。

アンドレ・ジッドというフランスの作家に、ドストエフスキー論というのがあるのだけど、僕はその本にすごく影響を受けたんだよね。

その本は今手元にないから一字一句を復唱することはできないけれど、その中でジッドは「ドストエフスキーの小説はレンブラントの絵画のように陰影に富んでいる」という意味の言葉を書いている。

ジッドはドストエフスキーを暗闇を効果的に描いていると肯定的に論じているんだけど、これは無知蒙昧な暗闇を光で照らしすべてを明らかにするという啓蒙思想、人間の理性ですべての物事や問題は解決できるという進歩主義、理性主義に対して、人間はそんなものではない、すべて理性で分かったような気になっているのは傲慢だという、フランス人であるジッドの自己批判なんだよね。

僕はロシア文学が好きで結構読んだけれども、確かに物事をバッサリと割り切りがちな西欧的な合理主義とは違ったものがそこにはある気がして、どちらかというと日本人に親和性があるのは西欧よりもロシアなんじゃないかと思うんだけど、今の日本の現実は親露よりも親欧米なので、なんだか矛盾しているなというか二律背反のように感じたりもする。

 

 

今のアメリカのバイデン民主党政権をトランプ支持者が批判する言葉に「マルクス主義左派」だというものがあったりするけれども、今のアメリカが共産主義かと言ったら違うわけで、これは分かりやすいレッテル貼りなのかなと思う。

ただし、共産主義ではなく広く進歩思想と捉えると、そこには当てはまってくると思うんだよね。

LGBTにSDGs、アメリカのドラマを見るとたいていレズやゲイのカップルが出てきたりするし、原作は白人や他の人種なのに黒人が演じていたりして、原作のイメージを壊すなとしばしば批判を受けたりしている。

いわゆる「ポリコレ」ってやつだが、自らの正しさに固執し頭の中で考えた理想を現実に実行しようとするというリベラルの悪いところが出てきている。

アメリカで騒動になっている移民問題も、不法移民をどんどん受け入れるとなったら国内がめちゃくちゃになると誰でも分かりそうなことを「正しい」と思ってやる。なぜなら不法移民は貧しくて可哀想で、それは自由でも平等でもないから、博愛精神で助けなければならないからだ。

そこにポル・ポトやロベスピエール的な行いの正しさや潔癖さ、フランス革命の「自由 平等 博愛」という進歩思想の理念をそこに見ることができるよね。

 

 

ロシアに対する欧米の見方もこうした進歩思想によるもので、自分たちのような西欧的合理主義によって立つ国ではないから「異物」として認識し、野蛮で遅れた国として嫌悪し攻撃する心理が働いているのだと思う。

そうした西欧の見方に欠けているのは、アンドレ・ジッドのドストエフスキー論に見られるような、すべてを理性で分かったような気になっているのは傲慢だという自己批判なんだよな。

僕が言うところの、自分がおかしな色眼鏡を付けて物を見ていないか疑っていないということだ。

つまり「考える」ということの出発点が間違っているということで、間違った出発点から出た帰結は結局間違いでしかなく、それは今のウクライナ戦争ということになる。

要は欧米が進歩思想に毒された結果だということだ。

他にもイスラム圏全般にアメリカは戦争をよく吹っ掛けるが、独裁政権を倒せば民主主義になり良くなるだろうと安易に考え、オバマ政権のときにリビアのカダフィを打倒した結果、それまであった秩序が失われ群雄割拠の状態になってしまった。

これも自分の頭の中の理想を実行した結果で、進歩思想のなせる技である。

 

プーチンはおそらくロシアにおける保守で、ソ連崩壊後の90年代の欧米主導のIMFによる改革が、べらぼうなインフレと平均寿命が10年も縮むほどの大混乱を招いた後にロシアを立て直したのがプーチンなので、欧米の言うことを聞けばどういうことになるのかロシア人は分かっているから支持しているのだろう。

 

 

西欧的な進歩思想を疑う視点があるか否か、ここが真の保守であるかどうかの重要なポイントじゃないかと思っている。

それはウクライナ戦争に対する見方でかなりはっきり区別されるように思うんだが、自分は保守的だと思い、保守を名乗る政党に投票するであろう日本人の皆さんの多くはいかがだろうか。