2003年のイラク戦争からもう20年以上経つわけなんだが、あの時のブッシュ大統領が大規模戦闘の終結を宣言し、その後フセインが捕らえられた時、僕は当然のようにこれで戦争は終わると思った。

ところが実際はその逆で、それからも自爆攻撃やテロやゲリラ戦は終わらなかったが、その時の僕はそのことに非常な違和感を感じたんだよね。

軍が壊滅して大統領が捕らえられてもまだ戦うのか?

 

 

そのころ僕は大学生で、大学のレポートでこのことについて書いた記憶があるんだが、日本は戦争に負けた後、敗戦という事実に皆従った。

負けても尚戦い続けるなんて、そんなことにはならなかったよね。

 

 

ほぼ同時期に起きたアフガニスタン侵攻でもイラクと同様のことが起こっていて、タリバン政権が崩壊した後も戦いは終わらなかった。

20年たった今僕たちはもうその戦いの結末を知っているわけなんだが、米軍は現地の協力者や助けを求める民衆を置き去りにして逃げるように撤退し、元のタリバンが政権の座に復帰した。

結局アメリカが戦った20年とその間に流された血は何のためだったのかという話になるんだが、それはさておき、政権ではなく民衆が徹底的に戦うことを選択すれば、占領軍は最後は敗けるのだという事実に行き当たる。

 

 

同じ事実を日本に当てはめることも可能だろうと思うんだが、占領軍が進駐しても、テロやゲリラ戦という形で戦争の続行は可能だったよね。

そしてそうなった場合、長い闘いと多くの犠牲を覚悟すれば、最後に負けるのは占領軍だっただろう。

村上龍の「五分後の世界」は確かそういう話だったと記憶しているが、レジスタンスが民衆の中に紛れていて誰が敵か分からない状況では竹槍も有効な武器になったかもしれないね。

ところが日本ではそうはならなかった。

戦争中は一つの島を全滅するまで守った同じ日本人が、である。

 

 

戦争に負けたんだからそれ以上戦うなんておかしいだろ?なんて多くの日本人は考えると思うんだが、それは決して当たり前ではないということはイラクやアフガニスタンが示している。

こういう、自分たちが当たり前だと思っていることが実は当たり前ではないということは、比較の対象があって浮き彫りになるものなんだが、考えてみれば確かに妙なことだ。そしてこれは、どっちが正しくてどっちが間違っているという話ではない。

 

 

イラクやアフガニスタンで政権崩壊後も戦争が終わらなかった理由は部族民族間の対立やシーア派とスンニ派の対立など、複数の要因があると思うが、日本との比較で大きな要因は、イスラムだと思うんだよね。

僕は宗教にもイスラムにも特別詳しくはないんだけれども、イスラムって食べるものにも制限があったり、日本人から見ればかなり異質な宗教に思える。

イスラムには戒律があり、それを守れば死後天国に行けるという神との契約で、その中には信仰生活だけでなく、日常生活や政治や社会、法律まで含まれている。

それらは「神が決めたこと」なので、簡単に変えることはできない。

この性質はユダヤ教の形式主義を批判し信仰を心の問題としたキリストと、その後のキリスト教とも大きく違っているはずだ。

イスラムの国々が僕たちから見て頑固で保守的に見えるのはこれが理由だよね。

 

 

イスラムが変化を拒むのはこの世のもの非ざる「神」が決めたことに従っているからだろうが、日本はどうだっただろうね。

日本には天皇というものがあるが、天皇は同じ現世を生きる人間だよね。

僕たちと同じように生きて、死ぬわけだ。

不変の、この世非ざる存在ではないわけで、こういう存在はどういうことになるかというと、その時々の権力が利用するということになる。

明治維新の時も反幕府勢力が担ぎ上げたのは天皇だったし、天皇を担いだほうが日本では正義となる。

同じことは敗戦後、天皇の戦争責任を問わず、天皇制の存続と引き換えに占領統治に利用した進駐軍にも言える。

日本はここ150年くらいで明治維新と敗戦と二度も大きな価値観や社会の変化を経験しているが、そういう変化を大きな混乱なく可能にしているのは天皇制だと言えるのかもしれない。

 

 

正直、20年前の僕は政権崩壊後も戦い続けるイラクやアフガニスタンに対して、負けを受け入れて国民は団結して復興に力を注げばいいのに、と思っていた。

日本はそうやって戦後発展したし、そのほうが無駄な血も流れず、生産的だからだ。

そのことは別に間違っていなかったと今でも思うんだが、20年たった今、別な見方もできるかもしれないと思う。

 

 

イラクでは政情は不安定なままだがアフガニスタンではタリバンが元のさやに納まり、アメリカの敗北は確定した。

頑固に変化を拒んだイスラムが勝ったのである。

そして一方、敗戦と変化を受け入れた日本はこの20年間全く停滞し、経済は悪くなる一方だ。

その原因は80年代に起きたジャパンパッシングと、フェアな国際競争のためにという名目のもとに行われた、日本にとってアンフェアな規制緩和や外国投資の門戸開放にあったとすれば、それを拒めない日本の原因は、やはり敗戦を受け入れアメリカの属国になったという事実によるものだろう。

民族の自立を失うということはどういうことか、20年たった今、日本人の中でもだんだんと理解してきている人は増えていることだろうと思う。

 

 

アメリカの衰退と中国の台頭は、中国による国際秩序や民主主義への挑戦と日本のマスコミは言うけれども、アメリカがこれまでしてきたことは無用な戦争と殺戮だった。

それを秩序と呼ぶならば、悪しき秩序と呼ぶべきだろう。

もっとも悪い秩序でも無秩序よりはマシという理屈でいくらかは正当化されるとは思うが、日本のマスコミが一方的に擁護するほど上等なものではないのは確かである。

そしてその秩序の中にいる限り、日本はこのまま緩やかに衰退し続けるんだろうなという気がする。

 

 

しかし僕たち日本人が2,30年前は発展途上国と言って軽く見ていた国々の最近の発展ぶりはどうだろう。

僕も海外旅が好きなので、20年前になかった道路や鉄道が出来て快適になっているということはよく経験している。

そうした変化に日本は置いてかれているという気がしているんだよな。経済の面だけでなく、価値観の面でもね。

 

 

それらの発展途上国は主にアジアで、大東亜共栄圏を唱え、太平洋戦争ではなく大東亜戦争と呼んでいた当時の日本から見たら、アジアの発展は喜ばしい事であったはずだ。

それがいつの間にか欧米の尻馬に乗り、アジアや第三世界の発展を欧米中心の秩序への挑戦ととらえ、欧米と一緒になってそれに対抗しようとしているのだから滑稽な話なんだよな。

自分たちはG7の先進国クラブの名誉白人のつもりなのだろうかね。

しかし結局日本人がなれるのは「名誉白人」どまりだということを忘れてはならないと思う。