あけまして、別にめでたくはないが、新年早々また「アレ」の話である。
だいぶ前の記事だが、思うところあったので掲載する。
 
 

読売新聞 持病ない女子中学生がコロナワクチン接種後に死亡、接種との因果関係「否定できず」

 
厚生労働省は28日、昨年8月に新型コロナウイルスワクチンの接種後に死亡した女子中学生(当時14歳)について、「接種と死亡との因果関係が否定できない」とする専門家の評価を公表した。接種と死亡との因果関係が否定できないと判定されたのは2例目となる。
この中学生は昨年8月10日、米ファイザー製ワクチンの3回目接種を受けた。翌日発熱したが夕方には回復。12日午前、呼吸をしていない状態で母親に発見され、救急搬送先で死亡が確認された。死因は心筋心膜炎による不整脈と心不全だった。持病はなく、感染症やアレルギーなども認められなかったことから、専門家は「ワクチン接種により心筋心膜炎が生じたと考えて矛盾しない」とした。
今回の事例について、司法解剖を行った徳島大法医学教室は今年3月、ワクチン関連の死亡だとする論文を医学誌に発表した。
 
 
さすがの厚生労働省も、「因果関係が否定できない」と認めざるを得なかった事案である。
 
 
ワクチンを接種しなければ死ななくて済んだであろう、女子中学生の死。
子供のコロナの死亡率はほぼ0%で、ワクチンを接種する必要はほぼ0だったのだが、「まわりの大事な人を守るため、思いやりワクチン」が推奨、ごり押しされた挙句がこれである。
全く胸糞悪い話で、こんなことが起きていても世間が騒がないのが僕は全く信じられないのだが、なんなんだろうね。
自分たちもそれに加担したというバツの悪さから騒がないのか、それともまだワクチンを信じているのか、過去の愚行はさっさと忘れて日常に復帰したいと思っているのか。
いずれにしても「愚か」であることには変わらない。
 
 
ワクチン接種が盛んだったころには、ベネフィットとリスクということがよく言われていた。
ワクチン接種のメリット(感染予防や死亡率の低減)がデメリット(接種による健康被害や死亡)を上回るので、接種すべきだと。
ワクチンで人が死んでも、それ以上に助かる人が多ければ正当化されるという理屈だ。
だからもともと社会はワクチンで人が死ぬことを許容していたのかもしれない。
 
 
しかしこれは全体主義の発想である。
インパール作戦で参謀たちがこの拠点を取るには何人殺せばいいと話していたらしいが、目的のために犠牲を正当化する理屈である。
結局インパール作戦は失敗して目的は果たされず、ただ白骨の山だけが残った。
ワクチンはどうだっただろうね。
まだワクチンのなかった2020年は、海外ではたくさんの死者が出たが、日本におけるコロナウィルスの脅威はインフルエンザと同程度で、徹底的に感染対策をやった結果前年よりも超過死亡数が減ったくらいだった。
日本において被害が少なかった原因はまだはっきりしていないようだが、少なくともそれが現実だった。
それなのに、海外で盛んに言われていた「ロックダウン」やら、加熱し危機を煽る報道に乗せられて、海外でこうなんだから日本でもやるべきだという風潮が高まって、みんなワクチンに飛びついたわけだ。
ここにも自分達の固有の状況を考えずに、外国の振りを見てそれをただ真似をするという、ろくに自分でものを考えない日本人の悪癖が出ているよね。
そしてその愚かさのために、女子中学生が死んだ。
 
 
なるほど、身の回りに犠牲者が出なければ、それは単なる「数」でしかないのかもしれないね。
しかし、自分の子供や孫、知り合いの子供が犠牲となったとしたら、どうだろうね?
そう考えると、ゾッとしないだろうか。
それとも、そんな想像力も欠落しているクズばかりなのだろうかね。
 
 
自分の愚かさに対処し改善していくためには、まずは愚かさを愚かさとして直視することが重要だ。
たとえそれがどんなに苦々しい現実であっても、そうすることからしか前に進むことはできない。
判断能力があるとされている大人たちが実は自分で考えず他人に判断をゆだねていていたせいで、子供が死んだ。
結果その責は大人たちが負うべきだと、自省しなければならない。
コロナに限った話ではなく、最近きな臭い台湾海峡や、30年停滞したままの日本経済についても同じことが言える。
ろくに自分で考えられないバカばかりの国では、かつての日本がそうだったように、また同じことを繰り返して亡ぶんだろうなと思うよ。