当ブログはもともと旅ブログなのだけど、最近は政治の話が多くなってしまっているね。

世界一周をきっかけに始めたブログだけど、自分の旅の記録として、また友人や家族など、身近な人たちに対して、半ば生存確認のような意味もあって始めたのだった。

だから僕にとって身近な人が読むことがあると思うんだけど、中には僕の最近書いていることに対して同意できないという人もいるだろうと思う。

 

 

政治的意見は個人の自由であるし、どんなに似通った考えの人でも全く同じということもなく、また同じでなければならないということもない。

僕は僕が考えるという自由を尊重されたいし、おなじことも他人にも尊重したいと思っている。

僕はそういう考えだし、今だって基本的にはそうなんだけど、コロナ下の社会を経験してちょっと考え方が変わった。

これはかなりヤバい、まずいぞ、と思ったんだよね。

なぜなら個人の自由を制限し、考え方まで変えることを実質的に強要するような動きがあったからだ。

 

 

コロナ下の中で僕が見て感じたことは、未知の感染症という不安と恐怖の中で、人々が右往左往する姿だった。

あの頃起きたことはまだ記憶に新しいのでいちいち挙げるまでもないかもしれないが、感染症が収まらない犯人捜しは政治家やマスコミを通じて世間に話題が広がったよね。

街中にたむろする若者。パチンコ屋。夜の街関連。飲食業。ワクチン非接種者。科学的な根拠もないのにいろんな対象がやり玉にあがりたたかれることとなった。

地方自治体の首長は営業自粛しないパチンコ屋を公表し(僕はそれをやった政治家のことを決して忘れない)、公的な手続きよりも市民の手によって従わないパチンコ屋に圧力をかけるように誘導した。

結果的にパチンコ屋に対する投石事件や嫌がらせが多発することとなった。

石を投げられガラスが割られたパチンコ屋。

それをやった誰かが逮捕されたか僕は知らないが、それを煽った政治家はそのことについて非難もされなかった。

こいつには良心がない、政治家をやってはいけない人間だと僕は思ったが、世間の評価はどうだっただろうか?

むしろ「よくやった!彼は頑張っている!たまにはちゃんと寝ろよ!」などと称賛されていた。

そしていまでものうのうとその座に収まっている。

危機を利用し自分のポイントを稼ぐ政治家は、自分の手は汚さずに国民を分断し互いに争わすように仕向ける。

 

 

日本人は、「政府やマスコミのいうことなんだから信用できる」と考える人が多いように思う。

僕は根っからの懐疑論者で、若いころからそうなんだけど、基本的に人間のやることは信用がならないと思っている。

これは自分という人間に対しても同じで、僕は自分も含めて人間は間違うものだという考え方が染みついているんだな。

懐疑論とは自分たちの考え方の前提条件、ベースにあるものを疑うということで、海外を旅したり、語学を勉強したりするとそういうことがクリアに見えてきたりするのだけれど、基本的に単一の文化、単一の価値観の社会の中で、同じようなことをして暮らしていると、それが当たり前になって疑いもしなくなってしまうかもしれない。

まあ、政府やマスコミが間違う、というか間違いがむしろ多いということは歴史を見れば明らかなので、そうでなければ戦争なんて起きないし、僕たちはもっと政治に対して注意深く懐疑的に見る必要があると思うんだよな。

そして批判することを躊躇しないこと。

正直、このような愚行に社会が染まっていくのを僕は容認できないし、僕などに社会的影響力なんて皆無だが、ネットの片隅で主張することにだって何らかの意味があるだろう。

最近の僕のブログに政治的な話が増えているのはこれが理由だ。

 

 

これは個人的な見解だが、人間というのは万物の霊長なんて自称しているが、理性の上皮を剥げば結局はただの動物なのだと思っている。

若いころ僕はフロイトを読んで結構影響を受けたんだが、読後感は「人間とは理性の皮をかぶった獣だ」ということだった。

フロイトの人間観は悲観的であまり救いがないのだが、僕は結構当たっていると思っている。

 

 

不安や恐怖は動物的な生存本能を脅かす原始的な感情で、これを刺激されると人間はパニックを起こし、理性的な判断を欠いてしまうのだと思う。

そして僕が海外でいろんな人や文化を見てきて思うのは、日本人は特にこの不安や恐怖に弱いんだろうな、ということだ。

日本人はリスクを恐れ最小化する方向に意識が向きがちだよな。

ただリスクというものはおそらくゼロにはならないものだろう。

不安や恐怖といかに向き合っていくかというのは、社会全体がパニックを起こし愚行に走らないためにおそらく大事な問題だ。

関東大震災の時に朝鮮人が暴動を起こすなんてデマが飛び交い朝鮮人が虐殺されたなんてことがあったが、それはこれからも起こりうることだと思うよ。

 

 

リスクがどの程度か、それは統計データを見れば分かることだ。

例えば10%と1%では大きな違いがあるが、たとえ1%でも「可能性はある」と言えてしまうんだよな。

しかしこれは結局詭弁というもので、99%大丈夫なら、本来は「可能性はほとんどない」というべきなんだよな。

この手の詭弁、論理の転倒が政府やマスコミの論調には多かったと思う。

政府やマスコミの言っていることをそのままうのみにせず、まずは自分で調べてみる。

今はネットでなんでも調べられる便利な時代なのだから、そんなことは誰にでも簡単にできることなのだ。

 

 

ワクチンに関しても、当初は安全性を懸念する報道が結構あった。

それがいつの間にか消され、ワクチンを打て打てキャンペーンが始まった。

打てば打ったで40度近い熱が出て、寝込む羽目になるし、副反応のひどいワクチンだった。

おまけにこのワクチンはこれまで使われたことのない新技術を用いて作られたもので、ろくな臨床試験もされないまま実用化されている。

 

 

厚生省が把握しているワクチン関連死が疑われる死亡事例はおよそ2000人だということだが、実数はおそらくもっと多いだろう。

2000人でも十分多いし、これだけでも過去最大級の薬害事件になりうるはずなのだ。

たとえ確証がない「疑い」であっても、疑わしきはストップするというのが普通の感覚ではないだろうか。

しかしそうした報道は全くなされていないし、いまだにワクチン接種は続いている。

それどころかワクチンに対して疑問を持つと「陰謀論」と呼ばれる始末。

もはやワクチンは今や聖域化しており、批判する=反社会的というレッテルを張られてしまう。

Youtubeで反ワクチンの動画を上げると削除されたりするらしいが、民主主義国家であるはずの日本でもすでに言論統制はされているという事実。

中国のように分かりやすく統制されていない分、僕たちは言論の自由という「幻想」を抱いているが、そのことにより日本の状況はより一層悪質なのかもしれない。

アメブロでもワクチンやウクライナ戦争の単語だけでも書くと、以下のような注釈が上のほうに乗っかるよね。

まるで政府の見解が正しいかのような誘導だ。

 

 

 

本日は、新型コロナウイルス感染症に関する情報について、ブログを投稿される方・ご覧になる方に向けたお願いのため、ブログを更新させていただきました。

新型コロナウイルス感染症に関し、Amebaブログでもたくさんの記事を投稿いただいております。誠にありがとうございます。

Amebaブログを情報共有の場として、より多くの皆さまにご利用いただきたいと考えておりますが、根拠のない不正確な情報が拡散されることで、混乱が生じることを懸念しております。

ブログを投稿いただく皆さまには、自分の考えであることを分かりやすく明記いただいたり、公的機関へのリンクもあわせて確認してほしい旨を記載する等、不確かな情報の拡散について、今一度ご注意をいただきたく存じます。
また、ブログを閲覧される皆さまについても、必ず厚生労働省 や 首相官邸 など公的機関で発表されている情報も併せてご確認いただきますようご注意をお願いいたします。

【参考リンク】
・厚生労働省 - 新型コロナウイルス感染症について -
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
新型コロナウイルス感染症についての最新情報や対策について、上記厚生労働省のホームページで確認することができます。
正確な情報把握を心がけ、落ち着いた行動をとりましょう。

・首相官邸 - 新型コロナウイルス感染症に備えて ~一人ひとりができる対策を知っておこう~ -
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/kansensho/coronavirus.html

 

 

最近若い芸能人の死亡ニュースが多い気がするが、突然死とか、長引く体調不良からの死去とかが多い気がする。

個人的な話になるが、学生時代の友人の奥さんが今年の八月になくなったという話を最近知った。

まだ40代半ばでまだまだなくなる年齢ではないはずで、かなりショックな話だった。

人の死に対して原因を探ったり、あらぬ憶測を立てるのもデリカシーのない話ではあるが、日本人の超過死亡が増加しているのは、れっきとした事実である。

 

東洋経済ONLINE 日本人は「超過死亡増加」の深刻さをわかってない 科学的に合理的でないコロナ対策を続けていいのか

 

問題なのは、この死者数増加の原因がコロナではないということなのだ。違う原因で増えている。

しかも、コロナ初期の2020年はむしろ超過死亡は減少していたのだが、2021年から急増しているということである。

 

 

2020年にはむしろ減少していた死者数が、2021年から急増したというのはどういうことだろうか?

2020年から2021年で変わったこと、あるいは始まったことで、思い当たることはないだろうか?

これは疑いであり、確証はないが、少なくとも明らかに異常なことが起こっているのはデータが証明している事実である。

この事実から目を背けてはならないと思うよ。