「将来世代に対する責任を果たすため」と言われ、続けられてきた増税、緊縮財政。

「身を切る改革」という言葉は国民の責任感に訴えかける言葉で、政治家も新聞もそう言い立てるものだから、あたかも正しいことのように信じられてきた。

しかしその結果国民の身はやせ細り、日本は衰退し続けた。

 

 

身を切れば身は細ってしまう。

それは考えてみれば当たり前の原因と結果で、簡単な因果関係であるが、顧みられることもないまま身を切ることが正しいと信じられてきたのは、実に奇妙で不思議なことだ。

しかしこういうことは人間の世の中には案外よくあることなのかもしれない。

思い込み、固定観念に人間は縛られがちで、自分たちの想像以上に人間は偏った物差しで物事を見ているものだ。

 

 

「将来世代に対する責任を果たすため」と言って、今よりやせ細った未来しか用意できないならば、それは無能というよりほかにない。

今の岸田政権のやることを見ていて、多くの人がそのことに気づきつつあるのはむしろいいことかなと思う。

 

 

増税とは国民の可処分所得を減らすことで、増税すれば国民が買える物の数が減る(需要不足)。

買われる物の数が減れば、企業は物の価格を上げることができないし、生産量を増やすための設備投資(生産性向上)もできないため、賃上げもできない。

これがデフレ=需要不足で、この状態が日本では何十年も続いてきた。

そこに最近では、コロナやら戦争やらで輸入物価が跳ね上がったわけだ。

消費者物価指数は3%とかだけど、生鮮食料品だとスーパーの店頭を見た体感だと10%くらい上がっていそうな感じである。

デフレで賃金が上がってないところに物価だけが高くなったからこれはキツい。

実質賃金は12か月マイナスである。

 

 

今やるべきことは増税なんかじゃなくて、減税と公共投資なんだよね。

減税すれば可処分所得が増え、買える物の量が増えるでしょ。

国民が買える物が増えれば品薄になり、品薄になれば、企業はもう少し価格を上げても売れるかもと考える。

さらに企業は機会損失を嫌がるからもっと物を多く作る=生産性向上のために設備投資をする。

これが賃金上昇を伴う良いインフレ(需要が旺盛で供給が足りない状態)でしょ。

だから需要を喚起するための減税と、国民に稼いでもらうための公共事業(何でもやればいいわけじゃないけど、老朽化したインフラや公共性の高いものはもっと積極的にやって良い)が必要なわけだ。

 

 

需要が増えればより多くのものが買われ、結果物が減り、よりたくさん物を作るために企業は設備投資をし、それが生産性の向上を生み、賃金上昇に直結する。

景気の好循環を生むには最初に需要(国民の可処分所得)を喚起することが必要だということだ。

日本は泥沼に突っ込んでから回りしている車のようなもので、まずやるべきなのは抜け出すために牽引すること。

泥沼から抜け出せれば自然に走れるはずなので、永続的に牽引が必要なわけでもない。

企業に賃上げを「お願い」ベースで要求するのは簡単だが、政府が口だけ出しても物が売れなければ企業は賃上げなんてできるわけもないし、口だけしか出さないなら本気で賃上げなんてやろうとしていないのと同じことである。

 

 

ところが今の岸田政権は減税なんてもってのほか、増税に関してはやる気満々でしょ。

これでは悪くなる一方だという見方に同意してくれる人は多いだろうと思う。

 

 

これまで、僕たち日本人が選挙で選んだ政権が、日本をより悪くしていく政策を続けていくだなんて想像もしてなかった人は多いと思う。

ただ、現実に政権が選んでいる政策は確実に悪くなっていく未来を予想させるし、過去30年を振り返ってみてもそうだったといえる。

なんでこんなことになるのか?と思うのだけど、彼らはそもそも良くしようなんて思っていないのかもしれないよね。

だとすれば、そりゃ良くしようと思っていないのだから良くならないのは当然なんだよね。