民主党の大統領指名争いに、ロバート・F・ケネディジュニアが名乗りを上げたというニュースがあった。

この人はジョン・F・ケネディ大統領の甥で、アメリカの政治的名家の出だが、アメリカは世界中から軍を撤兵し戦争を煽るのを辞め、疲弊した国内を充実させるべきだと説いているのだという。

トランプに近い主張で、トランプから副大統領候補にと秋波を送られているらしい。

この人の主張では当然在日米軍も撤退となるわけなのだが、そうなると日本人は、守ってくれる米軍がいなくなったらどうやって日本を守ればいいのか?とざわつくのである。

 

ただ、ちょっと待って欲しい。

 

ケネディは、「戦争を煽っているのはアメリカで、米軍が撤退すれば世界は平和になる」と言っているのである。

米軍がいなくなれば平和が危うくなると考える日本人とは認識が真っ向から対立している。

 

 

以前の記事にも書いたが、去年8月のナンシー・ペロシ下院議長の訪台は中国を刺激し、台湾海峡の緊張が一気に高まった。

その後も今年3月に蔡英文総統が訪米。緊張を緩和どころか更に高めていこうという気配である。

それに対してフランスのマクロン大統領は、対岸の火事に巻き込まれてはかなわないと、「欧州は米中問題に巻き込まれてはならない」と米国と距離を置く発言。

完全にアメリカ側に立ち中国に対抗していこうと意気込む日本人の不興を買ったわけだが、フランスにしてみれば、ウクライナですらアメリカの火遊びのために酷いとばっちりを受けているのに、台湾でも同じことを起こそうとするのか、付き合いきれんという気持ちなのだろう。

 

いやウクライナを攻めたのはロシアだろう?何言ってるんだと日本人は怒るのだが、今起きている戦争を起こした主体はどの国なのか、多くの国の人々の見方は、大部分の日本人の見方とは違っていることは知っておいたほうが良い。

なにせケネディのように、アメリカの、それも政権与党の民主党からもそうした批判的見方が出てくる始末なのだ。

そうした違った見方をする人々がなぜそうなのか、せめて理解しようとしているならばまだ救いはあるのだが、多くの日本人にとってそうした見方は全く信じられないし理解不能らしい。

むしろ日本人の理解力が心配になってくる。

 

 

ケネディのような反対意見がアメリカ自体から、それも政権与党から出てくることが日本人から見れば驚くべきことなのだが、それを言うならトランプのように大手マスコミから総スカンを食らって嫌われまくっている人物が大統領になるなんてことは、もっと日本ではありえないことだろう。

アメリカは分断が進み国が二つに割れ実質的な内戦状態だなんて言うけれど、少なくとも主流派に対して批判勢力がありそれが政権交代可能な程に力があるのは、ある意味で健全なことだと思う。

なぜなら現実は複雑で多面的であるにも関わらず、人は得てして単純にその一面だけを見てそれが全てだと思い込むからだ。

批判意見はその認知の不備を補完してくれるし、場合によっては取って代わることもできる。

 

 

要は、人間の認知能力には限界があるよね、という話なんだが、「無知の知」とはよく言ったもので、そういう認識があれば、想定外の現実を知ったときも、それを単純に否定するのではなく、余白の部分に新たな知として書き込むことができるように思う。

アメリカが今後どうなるのか、分断に突っ走るのかどうかなんて僕にはわからないけれど、主流派と批判勢力の間でぶつかり合って優劣を競った末に、なんらかの結論が出るだろう。

そしてそれはぶつからなかったよりはマシなものであることは間違いないだろう。

 

 

ところが、批判勢力に全く力のない国があったよね。

一応民主主義を採用しているらしい国なのだが、国民は皆右へ倣えを好み、マスクを外すことも躊躇う。

30年間経済が衰退し、今まで通りのやり方ではもう30年くらいさらに衰退が続くのがわかり切っているのに、やり方を変えようという発想も出てこない。

そして仕方がない、と諦め、選挙になれば、この衰退を招いた政権与党に一票を投じる。

口をついて出る言い訳が、「ろくな野党がいないから」である。

 

 

おそらく、その国の野党の質や勢力の強さは、その国民の知的な批判能力によっているのだと思う。

そして日本人にはそれが致命的に欠けている。

コロナで顕著に分かったことだけど、日本人は国民的合意を作りやすい民族だけれども、その合意に至るプロセスは知的な批判や論理によってではなく、漠然とした空気や雰囲気によっている、ということだ。

 

空気や雰囲気に実態はない。

よく考えればそんなものに従う必要はないことに気がつくのだが、空気を作り出すのは簡単で、新聞やテレビで同じことを一斉に報じるのである。

そうすれば、空気に弱く、また多数派に逆らわず、流れに乗ることが処世術の日本人は、今の空気はこれだから、逆らわずにこうしようと自発的に動いてくれる。

そして空気に乗る人間が多ければ多いほど空気は強くなる。またそれに対する批判も弱いから一度できた空気はなかなか消えない。

今のマスクがそうだろう。昔の戦争も今の政治もそうだ。

誰もがこのままじゃ破滅すると思いながらも、誰も止められずに破滅まで突っ走ってしまったのだ。

 

日本社会は一度大きな流れができると皆がそれに乗り、どっと動き出した流れは誰にも止められずに破滅まで向かってしまう危うさがある。

そうならないためには、あくまでも知的で、論理的な批判能力を鍛えることが必要である。