経済学を学ばなくても、社会の中で生きていれば経済について理解することはできるように思う。

なぜなら、みんな金を稼ぎ、使っているからだ。誰かの稼ぎは誰かが支払った対価で出来ているし、その稼ぎからの支出は、誰かの稼ぎになる。

「金は天下の回りもの」とはよく言ったものだ。金の循環、サイクルこそが経済であり、経済を動物に例えるなら、金は体中を巡る血液のようなものだろう。

 

経済は車にも例えられるかもしれない。調子が良ければ高速道をハイスピードで走れる(高度経済成長)。このときに気をつけなければならないのは、スピードの出しすぎ(景気の過熱)による事故(バブル崩壊)であり、そうならないように適切にブレーキ(中央銀行による利上げ)をしなければならない。

 

それでも事故は起こる。

高速道から盛大に外れて泥沼に突っ込んでしまったとする。ぬかるみに嵌って抜け出せないし、うまくスピードも出せない。

ある人はそれを見て、「ぬかるみから抜け出せないのは、ドライバーの技量が足りないからではないか?国際基準に達していないのが問題だ」と言った(働き方改革やら年俸制やらの一連の労働改革)。

またある人は、「いやいや、ドライバーの技量もそうだけど、車自体にも問題があるんだよ」と言った(法規制緩和等)。

そこで、それらのアドバイスを参考に、免許制度の改革やぬかるみに突っ込んだ車の改修などが行われたが、結局車はぬかるみから抜け出せず・・・

そしてなんと、30年が経過した!

 

 

いや、ちょっと待てよ?

ぬかるみに突っ込んだ車は、引っ張り出すのが一番有効な対処法なのではないだろうか(政府による財政出動)

しかもこの方法は一時期ちょっと(小渕政権時)試されただけで、ほとんど試されてこなかった。

他国を見ても、中国はリーマンショック時に何100兆円だかの経済対策をして世界経済の牽引役になったし、コロナショックでもアメリカは大規模な財政出動をして経済の下支えをした。効果は他国がすでに実証している。

今までなんでこんな簡単な方法が思いつかなかったのか。

 

 

単純明快で効果的な方法があるのに、思い込みが邪魔をして問題を解決できずにただ時間が過ぎてしまうということは日常生活でもよくあることだが、それは国家レベルでもありうることなんだと思う。

バブル崩壊から30年経っても経済は良くならず停滞している国。今まで通りの対策では悪くなる一方なのに、大多数の人々は別の方法を考えようともしない。相変わらず増税や規制緩和、財政均衡、労働改革が効く薬だと思っている。その結果経済は悪くなる一方だったのに、さらにもう30年不況と停滞を「おかわり!」しかねない勢いなのだから、不味い飯でも食べ慣れると旨くなるのか。

いや、決してなりはしないし、不味いものは不味いのだから、我慢せずに言えばいいのだ。こんな不味いものは食えない!と。