コロナ以後、マスコミの報道の「圧」が強くなったと感じる。

マスコミが全然中立でもなく、何らかの意図を持って世論を誘導するためのプロパガンダ機関であることは以前から分かっていたことだが、これほどの圧を感じることは今までになかった気がする。

 

 

「圧」とは、「押し付けがましさ」のことだ。コロナでのワクチン推奨の報道もそうだったし、ウクライナ戦争に関する報道もそうだ。全然中立公平でもない報道が、延々と、ただひたすら繰り返された。それは、その報道の意図を、我々の思考に刷り込むためだ。ヒトラーは大衆は容易に理解しないため同じことを繰り返す必要があるといったが、まさにプロパガンダの常道が行われていると言って良い。

 

 

本来現実の事象は複雑なので、正しく理解するためにはそれなりの時間や知ろうとする労力が必要だ。学問とはまさにそのための面倒くさくも大切な人間の営為だろう。

しかし馬鹿な多数派はそんなことを考えもしない。奴らは学問を軽蔑しているし、そんなもの、金を稼ぐのに意味あるの?と思っている。連中は正しい理解なんかよりもシンプルで単純明快な「答え」を求めているだけなのだ。

プロパガンダはそんな人々が求めているものを提供する。プロパガンダが「効く」理由はここにあると僕は思う。

ワクチン登場時にはコロナがどれほどの脅威か、統計データはすでに出ていて評価できたはずなのに、誰もそうした現実の数字を見ようとしなかった。かわりにマスコミの言いなりに、安全性に疑問のあるワクチンをひたすら打ちまくったのである。そうでなければこんなことは起きないはずだ。

 

 

残念ながら世の中は多数派によって動いている。しかし多数派は明確な意図や目的のために動いているかといえばそうではなく、同時にただ流されているだけなのだ。

戦争の時がそうだったろう。敗戦後戦争裁判が行われたが、誰が戦争を主導したかついに分からなかった。天皇が主導したわけでもない。そしてみんな口々に言うのだ「なぜあんな馬鹿なことをしたのか分からない」と!

 

 

コロナ自粛でも、ワクチン接種でも、政府は強制の形を取らなかったが、代わりにマスコミを通じて社会的な「圧」や空気を作り出すことによって、国民が自発的に行うという形を取った。「非国民」という古臭い言葉は未だに新しい。

それは、結局は責任を回避するためである。コロナ自粛もあくまでお願いベースだった。強制力を伴えば必然的にその政治的責任を果たすために、手厚い休業補償があったはずだ。ワクチン接種後の死亡も、国は容易に責任を認めないだろう。なぜなら、それは「国民それぞれが自発的に、自由意志で選択するもの」だったからだ。

 

 

この政府の手法は一貫していて、今年10月から始まるインボイス制度も登録制だし、マイナンバーカードも作る作らないは国民の自由だ。こんな政府は無責任体質が染み付いていると言って良い。というか日本人自体がそんな無責任体質で、戦争前からその心根は何も変わっていないと言うのが正しいだろう。

国会議員、政治家は選良などとよく言うが、それは大きな誤りだ。

結局バカの中から選ばれたバカ、「バカの代表」だというのが正しいだろう。