モンゴル1の観光地ハラホリンに到着した翌日、移動の疲れがかなり残っているので休息メインだけど、無理ない範囲で観光しようと思ったらあまり見るところがなくて半日で観光が終わってしまった話。
ゲストハウスから歩いて20分くらいのエルデネ・ゾーへ向かう。
その途中にいた羊の群れ。
のどかだねー。
羊は僕が通ると道を避ける。避けなくてもいいのに。仲良くしようぜ
スペインのどこかで産まれたばかりの羊を持ったことを思い出した。
そうそう、これだ。
楽しかったなあ。
エルデネ・ゾーは1585年建立のチベット寺院で、意外と新し目の寺院である。
チンギス・ハーンの時代に建てられたものではない。
チンギス・ハーンの息子オゴタイ・ハーンの宮殿は発掘されたがまた埋められてしまったらしく、今は見ることができない。
あれだけ広大な領土を支配したモンゴル帝国だけど、後世に残る遺跡が少なくて、モンゴルには今は果てしなく広い草原しか残っていないのは、なんだか途方も無い気持ちになる。
チンギス・ハーンの時代は日本の鎌倉時代くらいでさほど古いわけでもない。鎌倉の遺物は日本にたくさん残っているでしょ。モンゴル帝国は目に見えるものを残すことにこだわらなかったのかもしれない。それが遊牧民的感性なのかもしれないね。
入場料5000トゥグルグだったかな。
仏像や仏教画の展示がある。
仏教画は17-18世紀くらいのもので、やはり新しめ。
子供の僧侶が法螺を吹いていた(比喩ではなくそのままの意味で)
ここは現在も僧侶が生活する僧院だった。
マニ車の上に鳥がいた。
エルデネ・ゾーの目の前の土産物屋街。
南に15分ほど歩いたところにハラホリン博物館がある。
入り口がモンゴル風チェス?になっていてなかなかおしゃれ。
現代的な展示でここも一見の価値あり。
日本の協力で作られた博物館で、日本語の表記もされているのがありがたい。
歴史上、モンゴルらへんの草原からは遊牧民の帝国が度々出現してて、匈奴、鮮卑、突厥とかフン族のアッティラとか、たくさんの遊牧民族が短期間で広大な領土を征服し、衰亡もどっと押し寄せた水がさっと引くような様はまるで洪水のようだよね。
ハンガリーとかトルコとかは彼らの後裔だし、日本人の感覚ではとんでもなく遠いところまで到達したなと思うんだけど、そういう歴史から見える遊牧民的感性というのは日本人の感性とは異質に感じるし、異質だからこそ惹かれるというのはあると思う。
別の話だけど昔光栄のゲームで「蒼き狼と白き牝鹿 元朝秘史 チンギス・ハーン」というのにハマったんだけど、征服した国の妃を自分のものにして子供を作らせるとかいうわりとアレなゲームだったw
敵国の后との間に作った子供は裏切らないんだけど、子供に跡を継がせると他の子供、つまり兄弟間で結構反乱が起きる。
現実のモンゴル帝国で起きたようなことがわりと起きるゲームだったw
モンゴル帝国の勢力図を見たり、ジュチとかチャガタイオゴタイとか息子の名前を見ながら、そんなことを思い出したりした。
昼飯にDumpling soupを注文したんだが、出てきたのはこんなスープ。
Dumplingなんてちっとも入ってない。ちょろっと玉ねぎは入っているが、具は肉だけのスープ。
味付けはシンプルに塩だけ、トマトが入ってりゃ少しは違うんだが。
肉のアクも取ってない。
これは、料理の下ごしらえの段階だ。客に出すもんじゃないだろう。
まあ本来は注文と違う料理が出てきた時点で文句を言えばよかった。美味しければ別にいいかと思い食べたんだが、はっきり言って不味かった。それも少々どころではなく、果てしなく不味かった。
おかげで疲れが溜まっているのもあり、食べているうちにイライラしてきた。疲れているから少しは食べやすいものをと思いDumpling soupを注文したのに、こんな不味い肉ばかりのスープとは。
会計の時にこのレストランは注文と違うものを食べさせるのかと文句を言った。
頭にきていたので日本語で。意味は通じなくても怒りは通じただろう。地面を蹴っ飛ばしてその場を去った。
ひと通り怒りを発散させたあとの帰り道、コウモリが道でくたばっているのを見た。
モンゴルではよく羊や牛や馬が死んでいるのを見かける。まだ生きているが力なく横たわっているのも見るし、半ば白骨化しているのも見る。
自然は厳しく、家畜といえど生き抜くのは大変なのだろう。
僕もモンゴルの自然の中で旅をして、結構肉体的にも精神的にも厳しいところまで行った。
さっき怒りを爆発させてしまったのも、厳しい自然に追い詰められたからだろう。
僕は思った。俺は手負いの獣のようじゃないか。
その夜のゲストハウスの食事は美味しかった。
モンゴルの食事は当たり外れが大きいと思う。
美味しいものは美味しいけど、不味いものは不味い。