新潟に行ったついでに新発田市も観光してきました。
観光地として知られているわけではないけど、かつての新発田藩の城下町だけあって、見どころが多くて意外と良かったです。



東京から新潟方面の夜行バスはそのまま新発田まで行くものもあり、ダイレクトに行けました。
駅前から見えた4月下旬の山にはまだ雪が。



駅前から新発田城にかけての約二十分ほどの通りは、昭和の香りのするアーケード商店街が並んでいます。かなり長くて大規模なもの。
しかし、どこの地方の駅前にも言えることだけど、昼間にあるいても、半分くらいシャッターが閉まっているという過疎っぷり。
地方は車社会化が進んで、商業の中心が駅周辺から幹線道路沿いに移っているからでしょうね。しかし寂れた商店街ほど寂しいものはないね。




旧新発田城は今は自衛隊の駐屯地になっています。
ちなみに旧日本軍の時代からここは駐屯地になっており、まさに基地の街と言った感じ。
街なかでは自衛隊の車両やバイクをよく見かけました。



新発田城の三階櫓の屋根に注目なんだけど、シャチホコが三つあります。
シャチホコが三つあるのは全国でも大変珍しいそうです。
ここは自衛隊の管轄下にあり、中には入れないのですが、外側から眺めることができます。



同じく自衛隊の管轄下にある、白壁兵舎広報記念館。
明治七年に建てられ兵舎として利用されていた立派な建物で、映画「八甲田山」のロケにも使われたらしい。
入館は無料。自衛官の方が受付で説明してくれます。
新発田に駐屯していた歩兵第16連隊の展示もありました。この連隊は日露戦争、ノモンハン、日中戦争と主要な戦争に参加していて、日中戦争に関しては火野葦平の「麦と兵隊」に関する展示もあった。
さらにこの部隊は太平洋戦争でガダルカナル戦とインパール作戦に参加していて両方とも全滅に近い被害を受けている。新発田の人は結構ひどい目にあっている。



赤穂義士の一人、堀部安兵衛はここ新発田で生まれたのだそうです。
堀部安兵衛のことは全然知らなかったけど、生涯を簡単に説明すると(wikiの受け売りですよ)、新発田藩の中山家の長男として生まれた。200石だから家格は高かったのだけど、父が櫓の失火の責任だかで藩を追われ浪人してしまう。その後ほどなく父を無くし孤児となった安兵衛は、江戸に出て剣術の才を現し剣客となる。そして高田馬場の決闘で名を挙げ、赤穂浅野家家臣の中山金丸に請われ婿養子となった。なかなか数奇な運命を辿った人のようです。




昼食をどこで何を食べようと迷ったのだけど、駅前で一番活気の有りそうな「ながしま」という店で、花嫁御膳というのを注文しました。
名前通り見た目の華やかな御膳だったけど、中でも酢で締めた寿司が今まで食べたことのない味で、しかも美味しかったので、カウンター越しに店主に聞いてみました。



店主によると、これは「唐寿司」といって、甘くしたおからを酢で締めた鯵で巻いたものだで、おからや鯵という身近な食材を使っていることからわかるように、庶民の食べ物だそうです。
そして驚いたのが、この唐寿司が食べられているのは新潟の中でも新発田だけということ。他の地域にはないそうです。



無理やり取ってつけたようなB級グルメで町おこし狙っている地方自治体が多い中で、珍しさと美味しさを兼ねたこれは本物だ!と思い、しかしいい観光資源もあるのに観光客が少ないのはもったいない、見どころも多いしもっとアピールすれば集まるんじゃないですか、と店主に言った。すると、いやあ、新発田の人はそのへんが下手なんですよ、商売気がないというかね・・・という返事。質朴な土地柄なんでしょうね。




清水園という庭園もあります。
金沢の兼六園と比べたら小さなものだったけど、むしろこじんまりしているところが落ち着きを感じられていい庭園でした。客も僕一人だったな。