北九州市の埋蔵文化財行政の是非を問う⑱

“度重なる不信感”

くらしと福祉 北九州」202241日号より転載(平和とくらしを守る北九州市民の会発行)

 

さて、2018年9月20日、北九州市は城野遺跡の方形周溝墓部分(約350㎡)を含む計640.05㎡を大和ハウスから無償譲渡されたのであるが、譲渡一週間後の9月28日に大和ハウスは市内の建築会社に残りの開発予定地5,866.12㎡を転売している。

 

当初落札した面積は、現在開業しているユメマート城野店敷地部分9,529.08㎡を含む計16,365.83㎡であるから、大和ハウスは全開発予定地の約40%を手放したことになる。これは企業としても大きな経営戦略の変更と言えるであろう。大和ハウスにとっては遺跡保存問題を孕(はら)む「いわく付き」の土地開発を断念したとも取れるが、売却の真相はわからない。

 

一方、市は無償譲渡された土地を整備して史跡広場をつくるため、それへのアクセス道路を含む隣接用地330.55㎡を譲渡前の9月18日に購入している。購入価格ははっきりしないが2,000万円ほどらしい。つまり大和ハウスとしては開発には飛び地となってしまって使えない用地を市が購入するのを確認した後に、無償譲渡と転売を実行したのである。

 

その後、城野遺跡の希少性と重要性の観点から、福岡県教育庁文化財保護課は文化財保護審議会のなかで城野遺跡を県史跡に指定するための審議をおこなっていたのであるが、あろうことか、城野遺跡の方形周溝墓部分が転売後の開発業者によって破壊をうける事件が発生した。それが発覚したのは2019年2月24日のことである。

 

事件の顛末はこうである。この日早朝、城野遺跡の保存を求める市民団体のメンバーが遺跡付近の状況確認にいったところ、方形周溝墓に隣接した斜面が造成工事に使う重機により削り取られ、白い砂が全面に露出していた【写真1】。筆者も現地にたまたま出向いていたため、二人で入念に観察したところ、損壊は一部方形周溝墓の周溝部分に及んでいることが判明したのである。方形周溝墓の調査過程を近くでつぶさに見てきた筆者には、一目瞭然の遺跡破壊の事実であった。

 

【写真1】重機で削り取られた方形周溝墓の一部

写真の白く見える部分が、調査後埋め戻しに使用した砂。いたる箇所で損壊を受け、土層断面にこぼれ落ちていた。

 

しかしひとまず目視による現状観察であったため、すぐに所管課である市文化企画課職員に電話して現地を確認するように要請したのであるが、そもそもどうしてこのような不手際が起こるのか不思議である。

 

福岡県の史跡指定を目前に控え、史跡対象範囲はことに厳重な保護・管理が求められることはいうまでもないが【図1】、すぐ横では建設業者による造成工事が始まっていることは所管課も承知しているはずなのに、掘削作業の現場に立ち会っていなかったのだ。

 

【図1】史跡指定範囲(太線部分)と方形周溝墓

太線の内側にあるコの字部分が方形周溝墓の周溝。損壊したのは図の右端部分で、史跡の範囲は周溝の外側2mほどしか余裕がない。そんな微妙な工事にも文化企画課は立ち会えなかった。

 

 

 

これに関連して、もうひとつ現地で不可解なことがあった。現地に立てられた『開発工事予告標識』には、「工事期間2月20日〜5月21日」と書かれていたが、実際の工事は2月14日にはすでに開始されていたし、文化企画課もその件を市民団体のメンバーから伝え聞いていた。

 

しかも、遺跡の損壊が発覚したその日も、前記の標識は立っていたのであるが、事件の発覚4日後の2月28日には『開発許可標識』に立て替わり、「工事期間2月14日〜5月14日」となっていた。文化企画課は工事開始日が開発許可に至る過程で変更されることはあるが、工事に着手すれば、その日からの許可標識に立て替えねばならない、と述べている。そして、その不手際は業者の責任であり、開発指導課を通じて業者に指導し、急遽立て替えさせたというのである。

 

しかし、そうした業者の不手際も、史跡指定をめざす大切な遺跡への真摯なまなざしがあれば、事前に気づくはずと思うがどうであろうか。

 

業者が故意に遺跡を損壊させたわけではもちろんないと思うが、そうしたリスクも念頭に、遺跡への厳重な保護や管理、業者との現地での境界立会の徹底、隣接地が史跡整備予定地であり近々整備することの周知など、文化財担当者しかわからない用意周到な危機管理意識というものがあるのである。

 

北九州市長は議会での遺跡損壊にたいする市議の質問に答える中で、この件に遺憾の意を表明し再発防止を徹底する、と述べている。

 

遺跡損壊はあくまで業者のせいにし顛末書を提出させた文化企画課であるが、以前、方形周溝墓の箱式石棺を保全するため埋め戻す際も、業者任せにして現地で立ち会うこともしなかったことは、このシリーズ(9)で取り上げている。せっかく苦労して手に入れた城野遺跡方形周溝墓の現地をなにが何でも保存・整備し、後世に守り伝えていくという信念がまるで感じられない出来事であった。(次回に続く)

 

【寄稿/佐藤浩司氏のプロフィール】

1955年福岡県生まれ、九州大学文学部史学科卒業。1979年北九州市教育文化事業団(現・市芸術文化振興財団)入所。埋蔵文化財調査室で開発事業に伴う城野遺跡をはじめ市内の数多くの遺跡の発掘調査に携わり、2015年4月室長に就任後、2020年3月退職。2014年から日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会の幹事として九州各地の文化財保護にも携わる。現在、北九州市立大学非常勤講師、日本考古学協会会員

 

◆連載 “北九州市の埋蔵文化財行政の是非を問う” 一覧◆

( )は掲載日 

第1回 “ザル法の中身”(2021.3.28)

第2回 “望まれる組織体制の充実” (2021.4.25)

第3回 “邪魔者扱いの遺物たち” (2021.5.29)

第4回 “遺跡を守るのは誰?” (2021.6.17)

第5回 “埋蔵文化財センター移転問題” (2021.8.1)

第6回 “遺跡の保存・整備に疑問①” (2021.8.23)

第7回 “遺跡の保存・整備に疑問②” (2021.9.21)

第8回 “遺跡の保存・整備に疑問③” (2021.10.18)

第9回 “遺跡の保存・整備に疑問④” (2021.12.29)

第10回 “驚くほどに文化の砂漠” (2022.2.6)

第11回 “さらに続く低次元の文化財行政” (2022.10.4)

第12回 “金の使い道” (2023.1.31)

第13回 “続・金の使い道” (2023.4.23)

第14回 “歴史の重みが台無しに…” (2023.5.31)

第15回 “通らぬ論理” (2023.7.10)

第16回 “職務怠慢のシナリオ” (2023.8.30)

第17回 “人の褌で相撲を取る ”(2023.11.26)

第18回 “度重なる不信感” (今回)

 

 

■動画「城野遺跡 朱塗り石棺の謎」(2017年1月公開 約14分)

城野遺跡の発掘調査を担当した佐藤浩司氏が九州最大級の方形周溝墓で発見された箱式石棺2基の発掘調査にあたり、「世紀の発見かもしれない」と2ヵ月半、約3時間撮り続けた唯一のビデオ記録を城野遺跡の全体像がわかるように約14分に編集したものです。をクリックしてご覧ください。

https://youtu.be/QxvY4FBnXq0

 

■動画「城野遺跡 実録80分『弥生墓制の真の姿』」(2022年6月公開 約80分)

上記ビデオ記録を約80分にカットしたものです。撮影当時の佐藤氏のコメントとともに発掘現場の声や音もはいっており、発掘調査の歴史的瞬間の感動がよみがえります。をクリックしてご覧ください。

https://youtu.be/qafp00zCTzQ?t=10