北九州市の埋蔵文化財行政の是非を問う②

望まれる組織体制の充実

 

北九州市の埋蔵文化財行政が他都市のそれと決定的に違うのは、開発に伴う発掘調査を行う主体が財団組織であることである。公益財団法人北九州市芸術文化振興財団は、市の外郭団体として位置づけられており、その中の一部署に埋蔵文化財の発掘調査を担当する埋蔵文化財調査室が置かれているが、市役所のように業務に伴う行政的判断を実行する権限をもっていない。

 

するとどういうことが起きるか………そこで発掘調査に従事する財団直庸の専門職員はさまざまな判断のすべてを、権限として行使できる市役所の担当部署(ここでは北九州市市民文化スポーツ局文化企画課)に仰ぐ必要がある。

 

たとえば周知の遺跡(すでにそこに遺跡があることが遺跡台帳と遺跡分布地図に登録・記載されているもの)で土木工事が行われ、あたりに弥生土器が散乱していたとしても、工事をストップすることができないのである。

 

 

埋蔵文化財の工事中発見によりその開発行為を止めることができるのは自治体職員つまり公務員なのである(文化財保護法第九十六条)。北九州市のこの部署には埋蔵文化財担当職員が4名ほどいるが、小規模な発掘調査は行っても、ほとんどの開発に伴う調査は埋蔵文化財調査室に業務委託しているのが現状だ。

 

財団の直庸職員は、市民の税金から給与や手当が支払われる公務員の埋文職員とはちがい、発掘調査事業費のなかの人件費から職員給与が支払われるしくみになっている。つまり発掘調査をすることで生計を維持できるということだ。裏を返せば生活するために発掘をする。発掘調査がなかったら、路頭に迷う仕事なのである。

 

そういう不安定さが伴う組織だが、40数年前の設立当時は、大規模な開発事業たとえば九州縦貫自動車道建設、都市モノレール建設、区画整理事業、河川改修事業などがあった時期で、それこそ発掘調査が目白押しだったため、発掘予算含めて困窮する事態は起こらなかった。

 

しかし、バブルがはじけ、民主党政権の事業仕分け、リーマンショック、貿易摩擦などの社会情勢の変化は日本列島中の開発計画を鈍化させ、開発に伴う埋蔵文化財の発掘調査件数は激減した。

 

その一方で、北九州市は職員数を大幅に削減する施策を押し進めたため、その分正規職員が減る代わりに非正規職員が増え続け、安い賃金で職員と同レベルの仕事を求められ、さらには文書事務作業も格段に増えて、メンタル疾患を持つ職員も多くなっている。人員削減でだれもが一杯一杯の状態と感じているのではないだろうか。当然その余波は外郭団体である埋蔵文化財調査室にも及んでいる。

 

埋蔵文化財を担当する職員も調査室設立当初は13名いたが、職員が亡くなったり、定年退職を迎えたりで減り続け、現在は専門調査員が3~4名になってしまった。この人数では、とても政令指定都市ましてや百万都市を経験した市の組織のていをなさないのは自明の理である。

 

同じ政令指定都市福岡市の埋蔵文化財担当職員は40名ほどいて、北九州市と同様近年首長部局に移ったが、文化財活用部埋蔵文化財課、文化財活用課、史跡整備課と3つの課をもつ部組織として充実した体制を整えている。

 

まず違うのは直営方式であるため市が責任をもって埋蔵文化財行政を推し進めており、横同士の連絡体制も緊密で、職員補充もきちんとレールが敷かれていることはうらやましい限りだ。職員給与も正規職員として採用しているため、北九州市の埋蔵文化財調査室のように事業量の多寡を気にする必要はない。まさに伸び伸びと仕事をしている感が強い。

 

それに比べ財団組織の埋蔵文化財調査室は発掘事業量が見込めないとして、職員採用もここ5年ほどはない。かつて新規採用が行われたのは死亡職員の欠員補充と市からの出向職員引き揚げによる補充、そして一度だけの退職職員の欠員補充だ。その間にも定年を迎えた職員は櫛歯が抜けるように調査室を去っていった。こうしてこの組織の埋蔵文化財調査体制は中規模市のそれにも及ばないほどに縮小化、零細化、そして硬直化、高年齢化、沈滞化している。

 

第一、文化財行政を担う職員の給与を市が手当てもしないで、開発原因者に負担させる方式で北九州市の文化を育もうとする意識はおかしいのではないか。自らの責任を放棄し手を汚さずに、文化の香る町と謳いつづけている市政には疑問を感じざるを得ない。

 

前号で述べたが、埋蔵文化財もれっきとした市民・国民文化で、芸術や音楽、スポーツとなんら変わらない人間の足跡と心の発露がたどれ、紛れもない過去の事実の積み重ねから未来への人類の繁栄に寄与できる静的ツールなのである。

 

 

 

【寄稿/佐藤浩司氏のプロフィール】 

1955年福岡県生まれ、九州大学文学部史学科卒業。1979年北九州市教育文化事業団(現・市芸術文化振興財団)入所。埋蔵文化財調査室で開発事業に伴う城野遺跡をはじめ市内の数多くの遺跡の発掘調査に携わり、2015年4月室長に就任後、2020年3月退職。2014年から日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会の幹事として九州各地の文化財保護にも携わる。現在、福岡市埋蔵文化財課勤務、北九州市立大学非常勤講師。

 

※なお、この連載は平和とくらしを守る北九州市民の会が発行している「くらしと福祉 北九州」に連載されている記事です。転載をご快諾いただきありがとうございます。