~連載にあたって~

北九州市は、「九州最北端に位置している北九州市は、古くから交通の要衝として、また、大陸からの文物の門戸として栄えた地域です。………北九州市内には、旧石器時代から江戸時代までの遺跡が現在900ヵ所余り確認されています。これらの遺跡のうち約700地点の発掘調査が実施され、多くの出土品が保管されています。市内の遺跡や出土した埋蔵文化財は、地域の歴史を物語る大切な財産です」と、市内の埋蔵文化財の多さとその重要性を明記しています。 ※2019年9月に市が決定した「埋蔵文化財センター基本計画」より

 

しかし、発見された多くの埋蔵文化財の存在やそこに刻まれた貴重な歴史を、市民や子どもたちはどれほど知っているでしょうか?語り継がれているでしょうか?

 

城野遺跡の保存運動に取り組む中で、国指定の可能性もあった城野遺跡だけでなく、市内で発見された遺跡のほぼ全てが保存活用されることなく消滅していることを知り、市の埋蔵文化財行政のあり方への不信感が募っています。

 

この連載では、北九州市の数ある遺跡の発掘調査に40年以上携わった佐藤浩司さん(埋蔵文化財調査室前室長)が北九州市の埋蔵文化財行政の問題点を具体的な事例を示しながら掘り下げます。今回はその第1回です。ぜひ、ご覧ください。

 

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北九州市の埋蔵文化財行政の是非を問う①

“ザル法の中身”

 

北九州市の文化を語るとき、皆さんは何を思い描くだろうか。芸術?演劇?文芸?音楽?それとも産業?食?景色?自然?あるいは人?

 

人それぞれ違うと思うが、もう一つ大事な文化がある、いや正確にはあった。それは「過去の歴史」である。現代人は今あるたくさんの便利でファッショナブルで機能的なモノに囲まれた生活が、ここ数十年または戦後いや明治維新の文明開化以降に入手したものと理解していないだろうか?

 

たしかに、この間の産業、通信、物流の発達はめざましく、IT技術がそれに拍車をかけているのも事実だが、それらの殆どは太古の人々が悠久の歴史のなかで少しずつ獲得してきた手作りのモノやコトにほかならない。

 

ものづくりの町、北九州市であればなおのこと、その根源を尋ねると古代人が暮らした場所に行き着く。そこはいわゆる「遺跡」といい、地上からは見えないが、地中や地下に「過去の歴史と文化」という地平が果てしなく広がっているのである(図1)。

 

 

ところが、現代人はより便利で快適な生活を求め続けた結果、野山を削り、谷地や海を埋めて道路や団地、基地を建設してきた。そこに我々の先祖が暮らした足跡と彼らの生活の知恵がぎっしりつまっていることに、気づいてか気づかずにか、開発優先の社会にしてしまった。

 

前置きが長くなってしまったが、このシリーズで訴えたいのは、人類が積み重ねた過去の歴史と文化を踏まえずして人類の未来はないということである。

 

彼らが大地に刻んだ遺跡から多くのことを学びとり、歴史の中に正しく位置づけ、それを守り後の世代に伝えていくことで、見えてくる世界もあるだろう。

 

私たちは地下でみつかった「遺構」や「遺物」を『埋蔵文化財』と呼んで()、地上に残された過去の記念碑的建造物や旧家、石造物などの地上文化財や、人々が日常生活のなかで生みだし継承してきた有形・無形の民俗文化財と区別しているが、端的にいえば土に埋もれた文化財と言いかえることができよう。

 

 

そして、それらがみつかる場所が「遺跡」であるが、そこは決して特殊な場所でも稀少な場所でもない。皆さんの住む庭で土器のかけらがみつかるかもしれないし、買い物途中の工事現場で石器が顔を出しているかもしれないのである。

 

遺跡が存在するかどうかを判断したり、遺跡の発掘調査を担当し、みつかった埋蔵文化財を調査研究してその成果を公表するとともに、正しく保管・公開・活用し、後世に守り伝えるための仕事をするのが、国をはじめ地方自治体が行う埋蔵文化財行政の本来の姿なのである。

 

日本には昭和25年に制定された『文化財保護法』という法律があり、最初に【文化財を保存し、かつその活用を図り、もって国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする(第一章第一条)】と謳われているが、埋蔵文化財に関してはその第六章に発掘に関する届出や指示、埋蔵文化財包蔵地(遺跡のある場所のこと)の周知、また発掘調査の施行とみつかった埋蔵文化財の取り扱いについての規定が示されている。

 

一見、国が手厚く埋蔵文化財を守っていく姿勢がうかがえるが、そこには大きな落とし穴もみられる。それは発掘調査を行うには膨大な費用がかかるのに、その経費をどこが負担するか、についての規定が明示されていないことである。

 

【地方公共団体は、文化庁長官が埋蔵文化財の調査を実施する必要があると認めるときは、埋蔵文化財を包蔵すると認められる土地の発掘を施行することができる。地方公共団体は前項の発掘に関し、事業者に対し協力を求めることができる。(同法第九十九条)】とあるのみで、事業者=たとえば道路建設や住宅開発、河川改修などその原因を作った側(原因者)に対し協力を求めることができる、としか記載していないことから、原因者はまずその協力が何を意味するのか、まさか発掘調査費用のすべてとは思いもしないだろう。

 

原因者の主体や開発の内容によっては国県市の補助金で調査を行う場合もあるが、金銭的協力と知ったら経費負担を何とかして逃れようとするわけである。

 

その結果、同法九十三条に盛り込まれている【土木工事その他埋蔵文化財の調査以外の目的で貝づか、古墳その他の埋蔵文化財を包蔵する土地として周知されている土地を発掘しようとする場合には、必要事項を記した書面を文化庁長官に六十日前までに届け出なければならない】との規定も様々な手法(テクニック)でかいくぐることもできる。またこの法律に罰則規定がないことから、当初から違法を承知で開発に踏み切る原因者もいるのである。この法律が「ザル法」と揶揄される所以である。

 

近年では開発業者間の情報収集も周到で他都市の事例をよく把握しており、社屋建設などにおいては埋蔵文化財の発掘調査までいかない工法で開発する場合もよくみられる。開発側と行政との「イタチごっこ」ともいえる、尽きることのない双方の平行線は、あいまいな法律規定の文言とともに、焦点をぼかした国の優柔不断さに起因していると思っている。

 

このシリーズでは、今後そうした埋蔵文化財行政、とくに身近な北九州市の埋文行政の問題点を、具体的事例を示しながら掘り下げていくことにしたい。

 

 

【寄稿/佐藤浩司氏のプロフィール】 

1955年福岡県生まれ、九州大学文学部史学科卒業。1979年北九州市教育文化事業団(現・市芸術文化振興財団)入所。埋蔵文化財調査室で開発事業に伴う城野遺跡をはじめ市内の数多くの遺跡の発掘調査に携わり、2015年4月室長に就任後、2020年3月退職。2014年から日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会の幹事として九州各地の文化財保護にも携わる。現在、福岡市埋蔵文化財課勤務、北九州市立大学非常勤講師。

 

※なお、この連載は平和とくらしを守る北九州市民の会が発行している「くらしと福祉 北九州」に連載されている記事です。転載をご快諾いただきありがとうございます。