2009年~2011年の城野医療刑務所跡地(国有地)の発掘調査で発見された城野遺跡は弥生時代後期(1800年前/邪馬台国時代)の貴重な遺跡です。

 

足立山を望む広大な丘陵地にあり、数億円もの費用(国負担)と2年に及ぶ発掘調査で、九州最大級の方形周溝墓、高価な水銀朱(中国産)がたっぷりと塗られた幼児の箱式石棺、九州2例目の玉作り工房を含む竪穴住居群等がみつかり、著名な考古学の専門家も視察に訪れています。

 

日本最大の考古学研究者団体である日本考古学協会も発掘調査時の2011年2月に「現地を保存し、史跡として整備活用を求める」要望書を国県市に提出するほど、学術上重要な遺跡でした。発見当時、全国的にも注目され、現地見学会には500~600名もの方が参加されたそうです。

 

ところが、北九州市は当初現地保存の方針で国と保存交渉しましたが、国が「国有地を無償で譲ったり、貸したりしない。市が取得するのであれば優遇措置(1/3無償)や市有地との等価交換もできる」と提案しても、「土地の確保は国の責任」の一点張りで、文化財保護審議会や市議会に諮ることなく、行政だけの判断で国に対し土地取得を要望しませんでした。

 

その結果、国の一般競争入札により、2016年1月に大和ハウス工業(株)に売却され、城野遺跡は開発による消滅の危機に瀕することとなりました。

 

城野遺跡のすごさを知った地元住民が「城野遺跡の現地保存をすすめる会」の活動を再開し、日本考古学協会も国県市に再要望書、再々要望書を提出する中、大和ハウス工業(株)は2年間も工事を止めましたが、「市は買い戻す気はない。いつまでも待てない」と、2018年1月に東エリアは工事再開により全滅しました。

 

しかし、大和ハウス工業(株)は城野遺跡の重要性と市民の保存運動を無視できず、2018年3月、方形周溝墓部分の無償譲渡を市に申入れ、その後、市は「(仮称)城野遺跡史跡広場」(この名称は不適切であるため、以下「城野遺跡公園」と言います)として整備活用することを決めました。

 

私たちは、せめて西エリア全域を九州最大級の方形周溝墓を活かした遺跡公園へと運動を続けましたが、市が取得した土地は方形周溝墓ギリギリの面積しかありませんでした。

 

城野遺跡のほぼ全域が消滅したことに憤りながらも、貴重な方形周溝墓を活かし、北九州市で発見された多くの弥生遺跡が語る貴重な歴史を学び、語りつぐ場所として整備活用することを求め、2018年9月、狭いながらも「城野遺跡公園」案を市長に提案・要望し、市議会にも陳情しました。

 

2019年2月に西エリアの開発工事も始まりましたが、方形周溝墓ギリギリの面積しかなかったため、隣接地の造成工事により「城野遺跡公園」が1.3mも掘削され、方形周溝墓の遺構まで壊されるというトラブルが発生し、さらに真横に10階建てマンション(高さ32m)の建築という最悪の事態にもなりました。

 

方形周溝墓の損壊が修復され、2020年3月、方形周溝墓が「城野遺跡から見つかった九州2例目の玉作り工房の存在も含めて、邪馬台国と同年代の『クニ』の実態を知る上で重要と評価」され県史跡に指定され、「城野遺跡公園」の整備計画が発表されました。

 

市の文化企画課は、地元住民や私たち「城野遺跡公園を実現する会」の意見も聞きながら整備計画を進めると何度も話していましたが、結局、整備計画の説明があったのは2020年7月末で、その場で工事着工は8月中旬と説明され、市民の意見は一切聞く気がないことに驚きました。

 

この一方的な進め方もですが、その整備計画の内容にも唖然としました。特に驚いたのは次の内容です。

 

▲最も重要な方形周溝墓全面をまっ平らなアスファルトにし、周溝部分はアスファルトの色を変えて復元整備する。

▲方形周溝墓で見つかった幼児の朱塗り石棺2基は朱塗り石棺の内部を焼き付けた平らな陶板で表示する。

▲「城野遺跡公園」の全体は、アスファルト舗装、自然土装土、自然石舗装、インターロッキング舗装で、緑地はマンションに接する部分に低木を植えるだけで、木陰となる木も植える予定はない。

 

私たちは、すぐに整備計画の見直しを求めて、市長や市議会に要望、陳情しましたが、なんと、県教育庁に許可なく当初の整備計画になかった方形周溝墓に階段を設置したことから、3ヵ月の工事停止というトラブルまで発生しました。

 

そして、現在の「城野遺跡公園」の整備工事(舗装工と外柵工)の状況がこれです!

文化企画課から聞き、想像していた通りの出来栄えです!

 

これが、「城野遺跡から見つかった九州2例目の玉作り工房の存在も含めて、邪馬台国と同年代の『クニ』の実態を知る上で重要と評価」され県史跡に指定された方形周溝墓の復元整備と言えるのでしょうか。

 

方形周溝墓の写真を見せたら「方形周溝墓はどこ?」と言われました。隣のマンション関係の工事かと思っていたという方もいました。「ぜーんぶが方形周溝墓よ」と説明したら、目が点になっていました。

 

これでは、ほどよいスロープもあり、まるで方形周溝墓は「スケボーの遊び場」のようです!

 

長くなりましたが、こうやって振り返ると、北九州市の埋蔵文化財行政は長年にわたり専門家や市民の話しを聞いても、真摯に受け止め、検討すらしなかったのではないかと思わざるを得ませせん。

 

国や自治体には文化財の保護、保存、活用する責任があります。文化財は北九州市だけのものではなく、国民共有の財産です。北九州市の文化財行政はこのままでいいのでしょうか?

 

 

■動画 城野遺跡発掘調査記録 “朱塗り石棺の謎”(動画14分)

発掘調査当時の感動がよみがえります。ぜひご覧ください。

ここをクリックしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0

 

■日本考古学協会が国県市に提出した3回の要望書

2011.2.25要望書

http://archaeology.jp/maibun/yobo1012.htm

2016.1.8再要望書

http://archaeology.jp/maibun/yobo1508.htm

2016.7.20再々要望書

http://archaeology.jp/wp-content/uploads/2016/08/160802.pdf

 

 

■城野遺跡の全体図と当初の整備計画の図面

「城野遺跡公園」として整備されているのは斜線部分だけです。他の部分は商業施設と駐車場、マンションとして開発され、城野遺跡のほぼ全域が消滅しました。当初の整備計画には方形周溝墓に階段設置はありません。

 

 

■整備工事(舗装工、外柵工)の様子(2021年2月25日撮影)

一番奥の高いところが方形周溝墓。3段に分かれており、階段とスロープが設置されています。方形周溝墓ギリギリの面積しかないため、真横に10階建てマンション(高さ32m)が建つという、懸念していた最悪の事態となりました。

 

 

■方形周溝墓の復元整備の様子(2021年2月25日撮影)

濃い赤茶色の部分は周溝を示しているそうです。中央付近の白っぽい部分には幼児の朱塗り石棺の写真(?)を焼いた陶板を設置する予定らしいです。文化企画課は説明の場で、九州最大級の方形周溝墓の整備にあたり、「スケボーの練習場」になることをとても危惧していたのですが・・・。                                                、

 

 

■方形周溝墓に設置された階段(2021年2月24日)

戒壇の設置は方形周溝墓(県史跡)が壊されたように見えるし、「ゆめマート」や「サンキュードラッグ」に行く近道であり、地元の方々の日常的な通路になる可能性が高い。文化企画課は、「そうはならないと思う」とのこと。

 

 

■方形周溝墓全体の様子(2021年2月24日撮影)

方形周溝墓全体をパノラマ撮影。1800年前の弥生人も仰ぎ見ていた足立山の全貌はみえなくなりました。

 

 

■道路側から見た「城野遺跡公園」(2021年2月)

道路側から方形周溝墓へつながるスロープです。文化企画課によると、このスロープの角度の関係で方形周溝墓は高く盛ることができず、フラットにしなければならなかったとのことですが、工夫の余地はなかったのでしょうか。この一番奥の高い部分が九州最大級の方形周溝墓で、1800年前の弥生人たちのくらしに思いを馳せることができるでしょうか…。

 

 

■「城野遺跡公園」の平面図(当初の整備計画の変更後)

方形周溝墓に階段の設置が追加されています。現在、展示計画を作成中で、近々、文化企画課から説明を聞く予定です。

 

■2017年12月までの城野遺跡の様子

城野遺跡は足立山をのぞむ小高い丘陵地にあり、この全域を北九州市で初めての本格的な遺跡公園になれば、「歴史と文化を大切にするまち」を市内外にアピールできたのに…。現在、中央付近の道路の向こう側が東エリアで「ゆめマート城野店」が、手前が西エリアで「サンキュードラッグ」等の複合商業施設とマンションが建っています。

 

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