2020年3月、城野遺跡の唯一現地保存が叶った九州最大級の方形周溝墓が「城野遺跡から見つかった九州2例目の玉作り工房の存在も含めて、邪馬台国と同年代の『クニ』の実態を知る上で重要と評価」され県史跡に指定され、2020年8月から、方形周溝墓付近を「(仮称)城野遺跡史跡広場」にする整備工事が始まりました。

 

市の文化企画課は、整備計画については、地元住民や私たち「実現する会」の意見も聞きながら進めると、何度も話していましたが、説明があったのは、工事直前の2020年7月でした。

 

この一方的な進め方もですが、その整備計画の内容にも唖然としました。納得できず見直しを求めて、8月12日に市長あてに「質問・意見及び要望書」を提出、9月24日には市議会にも陳情書を提出(下記添付参照)し、その後も北九州市や県教育庁に質問や要望等をしました。

 

市の整備計画で、特に驚いたのは次の内容です。

▲最も重要な方形周溝墓全面をまっ平らなアスファルトにし、周溝部分はアスファルトの色を変えて復元整備する。

▲方形周溝墓で見つかった幼児の朱塗り石棺2基は朱塗り石棺の内部を焼き付けた平らな陶板で表示する。

▲「(仮称)史跡広場」の全体は、アスファルト舗装、自然土装土、自然石舗装、インターロッキング舗装で、緑地はマンションに接する部分に低木を植えるだけで、木陰となる木も植える予定はない。

 

私たちは、方形周溝墓内の階段撤去とともに、「(仮称)史跡広場」は10階建てのマンション(高さ32m)、ショッピングセンターや駐車場というコンクリートに囲まれた中、せめて方形周溝墓の復元整備は自然な芝などで本来の姿に近くなるような復元整備を繰り返し要望しましたが、まったく聞く耳がなく、現在、市は計画通りに整備工事を進めています。

 

市の文化企画課は「市としての史跡整備は初めて」と言いながら、史跡整備の計画変更を県の許可なく階段の設置工事をしたり、「2021年3月までに舗装工や外柵工をしなければならない」とよりよい提案よりも期限を重視し、見直しを一切検討しようとしません。ちなみに、工事が3ヵ月遅れたのは県の許可なく史跡に階段設置工事をしたからに他なりません。

 

初めての史跡整備への熱意と責任感、慎重さ、予算など、市の埋蔵文化財行政は市内の文化財の保存活用に責任をもって取り組んでいるのか疑わざるを得ません。

 

北九州市で発見された多くの貴重な弥生遺跡のほぼ全てが開発により破戒された中、邪馬台国時代の貴重な歴史を語りつぐ「(仮称)史跡広場」の整備計画はこのままでいいのでしょうか?

 

■方形周溝墓の「(仮称)城野遺跡史跡広場」をめぐる経緯

2018年1月 城野医療刑務所跡地(国有地)を一般競争入札で落札し買い取った大和ハウス工業(株)は、城野遺跡の重要性や市民の保存運動を無視できず2年間開発工事を止めていましたが、城野遺跡の東エリアの工事を再開。

2018年3月 大和ハウス工業(株)が北九州市に、西エリアの方形周溝墓部分の無償譲渡を申入れたことから、市は「(仮称)史跡広場」として整備することを発表。

2018年9月 「実現する会」は、城野遺跡の全滅を止めたことに安堵するとともに、西エリア全域を方形周溝墓を活かした遺跡公園として整備活用するよう市長や市議会に要望、陳情しましたが、市が購入した土地は方形周溝墓ギリギリの面積しかありませんでした。

2019年2月 「(仮称)史跡広場」が方形周溝墓ギリギリの面積だったため、隣接地の造成工事により貴重な方形周溝墓が損壊しました(「(仮称)史跡広場」も1.3mも掘削)。

2020年3月ころ 真横に10階建てマンション(高さ32m)の建築工事が着工(現在も工事中)。(仮称)史跡広場」を圧迫するとともに、「(仮称)史跡広場」からは弥生人も見上げていた足立山の全貌は見えなくなりました。

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市の文化企画課は、整備計画については地元住民や私たち「実現する会」の意見を聞きながら進めると何度も答弁していたため、狭いながらも、北九州市の邪馬台国時代の歴史を語りつぐ「(仮称)史跡広場」であり、貴重な文化財として県史跡に指定されたこともあり、どんな整備計画案が提示されるか説明の連絡を待ち続けました。

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2020年7月28日 市の文化企画課が、整備計画について「実現する会」に説明。しかし、翌8月から工事に着工するというもので、あまりに一方的な整備計画に、その進め方にもその内容にも納得できず、後日、質問と要望を提出すると話しました。

2020年8月12日 「実現する会」が北橋市長に「質問・意見及び要望書」を提出。

2020年8月下旬  「(仮称)史跡広場」の整備工事着工。

2020年9月24日 「実現する会」が市議会にも陳情書提出(下記をご参照ください)。

2020年10月中旬  当初の整備計画になかった方形周溝墓(県史跡)に階段の設置工事に「実現する会」の役員が気づき、指摘した結果、県に計画変更届と許可が必要であったことが判明し、工事停止(~2021/1/14)。

2020年10月27日 「実現する会」が市に「抗議文」を提出。

2020年11月3日 「実現する会」が県に「要望書」を送付。

2020年11月27日 市が県に計画変更申請書を提出。

2020年12月2日 「実現する会」が市に「緊急要望及び質問」を提出

2020年12月3日 「実現する会」県に要望書提出。

2020年12月11日 県が市の計画変更を許可。

2021年1月8日 市が「実現する会」に計画変更について説明。

2021年1月15日 市が「(仮称)史跡広場」の整備工事再開。

 

邪馬台国時代の城野遺跡の唯一現地保存が叶い、県史跡に指定された方形周溝墓にもかかわらず、方形周溝墓内に階段を設置したり、全面をまっ平らなアスファルトで復元整備するなど、市の「(仮称)史跡広場」の整備計画が明らかになるにつれ、改めて、北九州市の埋蔵文化財行政へ不信と憤りが募っています。

 

文化財は北九州市だけのものではありません。北九州市の文化財行政はこのままでいいのでしょうか?!

 

 

■動画 城野遺跡発掘調査記録 “朱塗り石棺の謎”(動画14分)

発掘調査当時の感動がよみがえります。ぜひご覧ください。

ここをクリックしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0

 

 

■方形周溝墓内の階段設置が許可された計画変更後の平面図(2021年1月8日文化企画課より提供)

「(仮称)史跡広場」は、右側の道路側から方形周溝墓に向けて3段階で高くなっています。3段目の方形周溝墓の復元整備は全面平らなアスファルト、2段目の玉作り工房の段は自然土、1段目の道路側は自然石(元もとったもの)とインターロッキング舗装です。「実現する会」は、邪馬台国時代の貴重な遺跡であり、聖なる場所であることが伝わるように、せめて方形周溝墓は自然な芝などで本来の姿に近くなるような復元整備を求めています。

また、当初の整備計画にはなかった階段は、右側の道路側にある「ゆめマート」や「サンキュードラッグ」等の商業施設への近道となり、方形周溝墓が日常的な通路になることが危惧されます。

 

 

■計画変更前の当初の整備計画(2020年7月28日文化企画課より提供)

当初、階段の整備計画はありませんでした。市の文化企画課は、道路に面した右側がオープンになっており、「出入口が広いため、三方を柵で囲むことにし、退避路は検討しなかった」と説明しており、県教育庁もこの整備計画を許可しました。2020年7月の町内会長への説明の際、一町内会長から「袋小路となっており、退避路をつくって欲しい」との要望があり、県への届出をせず計画を変更し、方形周溝墓内の階段設置工事に着工しました。方形周溝墓ギリギリではなく、もっと広めに土地を購入すれば県指定史跡への階段設置は回避できたのに…。※階段設置場所は上の平面図の赤線部分です。

 

 

■発掘調査時の方形周溝墓(市が情報開示した第4回保存交渉の添付資料より)

 

 

■発掘調査時の方形周溝墓と周辺の様子(市が情報開示した第4回保存交渉の添付資料より) 

城野遺跡は2009年~2011年の発掘調査で莫大な時間と費用をかけて発見されました。大切な歴史遺産が、まだ10年しか経たないうちに、城野遺跡は開発によりほぼ全域が破壊され、ショッピングセンターと駐車場、中高層マンションになりました・・・。北九州市の邪馬台国時代の歴史の証しであり、学術上極めて重要な遺跡の保存活用に最善を尽くさなかった市の埋蔵文化財行政はどのように評価されるでしょうか。

 

 

■2021年1月14日の方形周溝墓の様子

「1月15日から整備工事再開」と聞いていたため、前日に現地を撮影。真横に建築中の10階建てマンションにより、弥生人も毎日眺めていた足立山の全貌は見えなくなりました。

 

 

■2021年1月28日の方形周溝墓の様子。

砕石が10cmの厚さに敷き詰められていました。この上に厚さ4cmのアスファルトを塗り付けるとか?! 大切な文化財であり、聖なる場所であることが伝わらず、市の文化企画課も危惧していましたが、スケートボード等の遊び場にならないか心配です。悲しいかな、邪馬台国時代の貴重な歴史が刻まれた九州最大級の方形周溝墓はまっ平らなアスファルトで復元(?)されるようです。自然豊かな弥生時代の墳墓にふさわしく、芝など自然な舗装で本来の姿に近づくように復元整備すれば、大切な場所としてスケートボード等の遊び場にもならないだろうに…。

 

 

■方形周溝墓に通じる階段(2021年1月28日撮影)

 

 

■市に参考資料として提示した方形周溝墓の復元整備例

写真は上から平原遺跡(福岡県)と赤塚古墳(大分県)です。墳墓の高さには疑問があるようですが、自然豊かな弥生時代の遺跡にふさわしい復元整備です。

 

 

 

■2020年3月26日の様子

隣接地に10階建てマンションの建築工事が始まったころです「(仮称)史跡広場」の敷地はそのままで、奥に見える小高いところが方形周溝墓部分です。

 

 

■2020年7月24日の様子

「(仮称)史跡広場」の整備工事直前の写真です。城野遺跡が小高い丘陵地にあったこと、道路も商業施設もマンションもできるだけ平らにするために地表が深く削られたことがわかります。奥の小高くなった部分が方形周溝墓です。

 

■2021年1月28日の様子

道路側の地表は道路の高さまで削られ、方形周溝墓までは階段とスロープで移動することになっています。せめて、一番奥の方形周溝墓は本来の姿に近づくように芝などの自然な舗装で復元整備して欲しい!

 

 

■2020年7月の市の文化企画課との懇談で整備計画の説明を聞き、市長への要望書に続き、市議会にも提出した陳情書