帰ってきた弥生人-城野遺跡発見の一部始終をたどる-

第2章 発掘調査の内容⑫ “もうひとつの玉作り工房”

 

調査はだんだん佳境に入ってきました。現地説明会が終わって10日ほど経った秋晴れの日、玉作り工房H10から北東方向に20mはなれた場所にH16は見つかっていましたが、それを掘り進めているとまたもや水晶の小さなチップが移植ゴテの先やネジリ鎌の刃に当たってカチカチと音をたて始めました。

 

私は即座にこの住居も玉作り工房であると判断しました。しかも今度の住居はきれいな方形を呈しており、別の住居(H29)と重なって築かれているのです(写真1)。つまりH29が使われなくなって埋まったあとにH16が新たに築かれ、そこで玉作りを行っていたのです。

 

■写真1  玉作り工房H16の掘り下げ状況

2軒の住居が重なっており、切り合い関係からH16のほうが新しいことがわかる。手前に見える切られた住居H29も工房H16も弥生時代終末期の土器が出土しており、さほどの時代差はみられない。

 

 

写真2をご覧下さい。H16を掘り下げていく様子ですが、チップ類はあまりに小さいので遠くからは見えません。地面に這いつくばってそれを探しながら、あれば慎重にその周りの土を取り除いてチップはそのままの状態で残しておくのです。掘っている作業員さんは3人とも男性です。とても丁寧な作業をされる方達だったので、わたしは細かく指示を出して掘り進めていただきました。

 

■写真2 H16の掘り下げ状況

地面に這うようにして調査を進める男性作業員さん。根気の要る細かい仕事が得意な作業員さんのおかげで、やがてきれいな掘り上がりとなった。

 

 

これをそのままの状態で残して出土状況の写真を撮りたい!そのあと平面実測図にその位置を1点1点入れ込みたい!それがどの高さ(レベル)から出たのかを断面図にも示したい!私のわがままは極致に達しました。

 

その日は風が強く、チップ類は小さくて軽いので地面が乾いたら、パラパラと風で飛ばされて移動してしまいます。そうなると図面に書き込むことは不可能になるので、私はジョウロで水を撒いて土を湿らかせ、1点1点指で上から押さえて土と密着させました。

 

しかし別の難題が待ち構えています。土が湿ることによって、住居の中を知らずに歩いたら、長靴の裏にチップがくっついてくるのです。こうなるとまたチップが移動してしまい、せっかくその場に残したチップを図面に示すことが出来なくなってしまうのです。

 

よって、チップが見つかった位置には目印の竹串を立てて踏まないように気をつけながら、写真のように這いつくばったスタイルで掘り進めてもらったのです。用意していた竹串がなくなったら、つま楊枝で代用し、それも底をついたらベニ箸を立てて目印としました。この住居を掘り上げるのに10日近くかかり、そのあとは実測作業が待っています。

 

その間毎日数時間おきに水を撒き、夕方はシートを被せて夜間の風対策を行いました。そんな苦労をして出来上がったのが図1に示す実測図です。汗と涙(?)、苦労と努力の結晶ですね。この図で断面図に×印がたくさん書かれていますが、これが見つかったチップ1点1点の位置を示しているのです。この図をみると、チップがどのくらいの高さで密集しているかわかりますよね。

 

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■図1 H16掘り上げ実測図

中央に平面図、周囲の4箇所に断面見通し図が載せられている。×印がチップの位置を示している。

 

 

この住居は東西4.5m、南北4.2m、深さ20㎝くらいでしたから、後世にかなりの削平を受けており、本来は70〜80㎝ほどの深さがあったと考えられるので、チップ類はほぼ床面から見つかっていることがわかります(写真3)。つまり、このH16は玉作り工房として使われていたもので、決して別の場所のチップをここに捨てたものではないのです。それを証明するのに、工房の床面にも水晶の結晶体や作りかけの未完成品、碧玉の破損品などが次々に見つかりだしたのです(写真4)。そして極めつけは………。(次回に続く)

 

■写真3 H16のチップ検出状況

この工房H16のチップは、もう一軒の工房H10のチップより大きな破片が目立つ。異なるサイズの玉を製作しようとしたのか、作業工程の違いか?つま楊枝やベニ箸が立っているところにチップがある。

 

■写真4 床面でみつかった玉作りの過程をしめす破片の数々

水晶の結晶体は六角形をなしており、この工房でもたくさん見つかっている。

 

 

【寄稿/佐藤浩司氏のプロフィール】 

1955年福岡県生まれ、九州大学文学部史学科卒業。1979年北九州市教育文化事業団(現・市芸術文化振興財団)入所。埋蔵文化財調査室で開発事業に伴う城野遺跡をはじめ市内の数多くの遺跡の発掘調査に携わり、2015年4月室長に就任後、2020年3月退職。2014年から日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会の幹事として九州各地の文化財保護にも携わる。現在、福岡市埋蔵文化財課勤務、北九州市立大学非常勤講師。

 

■動画 城野遺跡発掘調査記録 “朱塗り石棺の謎”(動画14分)

発掘調査当時の感動がよみがえります。ぜひご覧ください。

ここをクリックしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0.

 

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帰ってきた弥生人

-城野遺跡発見の一部始終をたどる- ※日付は掲載日

 

第1章 城野遺跡発見の経緯と経過(3回

     城野遺跡はどのように発見され、どのように取り扱われてきたのか?

       ①2020/8/2 ②8/10 ③8/17

第2章 発掘調査の内容(12回)

     発掘調査により、どのようなことが明らかになったのか?

      ①2020/8/24 ②8/31 ③9/9 ④9/18 ⑤9/27 ⑥10/8

       ⑦11/7 ⑧11/20 ⑨12/5 ⑩12/18 ⑪12/30 ⑫1/26(今回)

第3章 注目すべき事実(6回)

     城野遺跡は弥生時代の北九州の歴史にとって、何が重要なのか?

第4章 立ち退かされた弥生人(4回)

     ここで暮らした弥生人たちは、どこへ?

第5章 遺跡保存への道のり(3回)

     発掘担当者の悩みと苦しみ

第6章 立ち上がる市民と城野遺跡(6回

     守ることと伝えること…

第7章 立ちはだかる壁(4回)

     行政判断の脆弱さを問う

最終章 帰ってきた弥生人(3回)

     新たな歴史の誕生

 

 ※当面20日に1回程度のペースで連載予定です。内容や回数は変更することもあります。

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