弥生時代後期(1800年前 邪馬台国時代)の城野遺跡で発見された九州最大級の方形周溝墓。このお墓で見つかった幼児の石棺は高価な水銀朱(中国産)がたっぷりと塗られ、その小口石には謎の絵画文様が描かれてありました。

 

5月26日開催の第10回目の講演会では、弥生時代の絵画研究を専門とする考古学者であり、城野遺跡発掘調査中の2009年12月と2010年1月に現地を視察された常松幹雄先生(福岡市埋蔵文化財課主任文化財主事)を講師に、城野石棺の謎の絵画文様について、ご講演いただきました。

 

2009年12月の視察で、石棺の内側に塗られた鮮やかな赤色の上をヘラのようなものでなぞった多数の筋をなぞりながら「武器を持った人物」ではないかと話したが周囲の反応はいま一つだったが、その後、原始絵画研究の第一人者である設楽博己先生が人物表現であり、「方相氏」との関連も述べられたことに安堵されたこと、1か月後に再度見に行ったら赤の鮮明さが相当薄れており保存の大切さを考えさせられたことなど、発見直後に視察された当時のお話から始まりました。

 

全国各地で発見された弥生時代の絵画の変遷や埴輪にある「戈」や「」の絵画から、弥生人の考え方や表現の仕方の特徴について多角的に語られ、城野石棺の絵画を紐解いていかれました。

 

原始絵画については評価が分かれ一つにまとまることはなかなかなく、その後の発見や研究で明らかになること、城野遺跡の絵画文様も「方相氏」であるためには4つ目であることが確認できるかどうかが大事であること、会場からは「赤い水銀朱の上をヘラでなぞって描かれており、描き手からよく見えなかったのではないか」などの発言もあり、考古学という学問の深さとおもしろさを感じました。

 

また、各地の遺跡の保存活用についても触れられ、城野遺跡は方形周溝墓付近だけの小さな遺跡公園が計画されていますが、城野遺跡を今後どのように生かしていくか参考となるヒントもいただきました。

 

城野遺跡の朱塗り石棺に描かれた絵画の重要性はもちろん、そこから弥生時代、弥生人に思いを馳せ、古代ロマンあふれる講演会でした。常松先生のレジュメを添付しますので、ご覧ください。

 

城野遺跡はほぼ全域が破壊されとても残念ですが、唯一現地保存が叶った方形周溝墓のある遺跡公園は実現します。この遺跡公園を遺跡に刻まれた破壊の事実も含めた貴重な原始・古代の歴史を学び、語り継ぐ場にしていきたいと思っています。

 

最後になりましたが、ご講演いただいた常松先生、ご参加いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

 

 

●「方相氏」が出てくる京都の吉田神社の儀式の動画(5分)がありました。なるほど、城野遺跡の「方相氏」に似ていますね。ここをクリックしてご覧ください。

https://youtu.be/FG04XFPMXA4?t=27
 

 

●城野遺跡の方形周溝墓の発掘調査記録の動画朱塗り石棺の謎(14分)をご覧ください。発見時の感動が蘇ります。ここをクリックしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0

 

 

●当日配布した資料の表紙

 

●常松幹雄先生 ※この写真は小倉タイムスより提供

 

●講演会の様子。70名近くの方にご参加いただきました。

 

 

 

 

●講演会のレジュメです

 

●常松先生のレジュメに追加した頁です。城野遺跡は弥生時代後期(1800年前 邪馬台国時代)の中心集落が丸ごと発見された学術上重要な遺跡ですが、ほぼ全域が商業施設となり破壊され、唯一現地保存される方形周溝墓付近だけの遺跡公園が計画されています。