今、北九州市が計画している小さな“遺跡広場”について、3月22日にメールしていた「市長への手紙」に対し、市長(文化企画課)からの回答が届きました!

 

城野遺跡は広大な医療刑務所跡地だったからこそ、邪馬台国時代の大集落が丸ごと発見された遺跡です。九州最大規模の方形周溝墓と手厚く葬られた子どもの朱塗り石棺2基、九州2例目の玉作り工房を含む大規模な竪穴住居群が発見され、すぐ近くには祭祀用の広形銅矛(国指定重要文化財)が出土した重留遺跡、200個のガラス玉が見つかった重住遺跡があり、城野遺跡付近は魏志倭人伝に記された国々に匹敵するクニ「聞(企救)国」の国邑(コクユウ・首都)と言われています。

 

日本考古学協会も発掘調査時(2011年)から、国、県、市に対し「現状を保存し、史跡として整備し活用を図る」ことを要望し続け、私たち市民も、市民のかけがえのない文化遺産として守り、北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」として後世に残して欲しいと繰り返し陳情、要望しています。

 

ところが、北九州市は、これほど重要な遺跡を、土地所有会社から無償譲渡された方形周溝墓+αの小さな“遺跡広場”にしようとしています!

 

邪馬台国時代、北九州市にも強大なクニがあり、その都が発見されたにもかかわらず、城野遺跡やそこに刻まれた貴重な歴史を市民の多くは知らないままです。北九州市には、城野遺跡と周辺の遺跡だけでなく、数多くの学術上重要な弥生遺跡が発見されていますが、そのほとんどが記録後、開発により現地は壊され、市内には本格的に遺跡公園は一つもありません。

 

貴重な歴史を広く知らせ、後世に語り継がれるためには、現地が残り、遺跡公園(史跡)として整備・活用されることが大事です。

 

しかし、市計画の方形周溝墓+αの“遺跡広場”ではあまりにも狭すぎます!

 

そこで、北橋市長に「市長への手紙」を出し、市計画の小さな“遺跡広場”の限界を指摘しながら、せめて城野遺跡「西エリア」全域を取得し、せっかく現地保存される九州最大規模の方形周溝墓を生かした「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」の実現を重ねてお願いしました。

 

しかし、北橋市長は「市長への手紙」の質問に全く答えず、提案やお願いにも耳を傾けることなく、「今後は、土地所有者との協議の中で、購入範囲を確定し、城野遺跡の持つ歴史的価値を市民にわかりやすく伝えられる広場となるよう…すすめていきたい」との、とても冷たい回答でした。

 

城野遺跡の国との保存交渉において、民間に売却され開発により壊される前に、国からの優遇措置(1/3無償)や等価交換が提案されても頑として応じず、土地取得を要望しなかった立場と全く同じです。「国有地の時は国の土地だから、売却後は民間の土地だから」を口実に、市の貴重な文化財の保護を怠っているとしか見えません。

 

北橋市長は、北橋市政の時に発見された邪馬台国時代の貴重な歴史を子どもたちや市民に広く知らせたいと思わないのでしょうか?!多くの考古学者が「邪馬台国時代の遺跡が北九州市で発見された意義は計り知れない」「弥生時代の研究、特に本州と九州の交流史の研究に無視できない遺跡。残してもらわねば困る」と訴えるほど学術上重要な遺跡を大切に保存し、市内外にアピールしようと思わないのでしょうか?!

 

「市長への手紙」と北橋市長の回答を添付します。

「市長への手紙」は1500字という字数制限もあり、書き足りない部分もありますが、よかったらお読みください。

 

北九州市で初めての本格的な遺跡公園の実現へ、今後ともご理解とご協力をよろしくお願いします。

 

 

動画“朱塗り石棺の謎”は方形周溝墓で発見された幼児の石棺2基の発掘調査記録です。(約14分)城野遺跡発掘当時の感動が伝わってきます。ぜひご覧ください。↓ここクリックしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0

 

 

市計画の小さな“遺跡広場”は「主な遺構の配置図」のオレンジの斜線部分と思われます。※方形周溝墓は土地所有会社から無償譲受、ほかの部分は購入。

 

私たちが市に提案している城野遺跡「西エリア」全域の「(仮称)城野遺跡公園」案とイメージ図

 

 

 

3月22日にメールした「市長への手紙」(受信のお知らせメールより)

 

 

4月22日付「市長への手紙」への北橋市長からの回答