②スサノオノオオカミとフツノミタマ | 僕が働かず刀(模造刀)を振り続けるワケ

僕が働かず刀(模造刀)を振り続けるワケ

所有もない、貨幣制度もない、争いもない、みなが天命を全うできる世、弥勒の世の到来を望むという思いのみ抱いて刀を振る。

そんな思いを持った者のブログですが、何卒よろしくお願いいたします。

前回から大分、月日が経ってしまいました。

古いPCが故障してしまったり、

近所の気功整体師の方から頂いた模造刀が

折れてしまい、真剣の重さと同じくらい

の模造刀(960g)に買い替えたりと

いろいろとありましたが気持ちを

入れなおして、書いていきたいと

思います!

 

前回の続きで「フツノミタマ」(布都御魂)

についての解説ですが、

 

最近、知ったのですが、石上神宮の

元宮が岡山の赤磐市に備前古一宮、

石上布都魂神社として存在していた

ことは大変、驚きでした。

 

石上布都魂神社|ヤマタノオロチ伝説の霊剣が眠るパワースポット【岡山県赤磐市】 | 岡山スタイル (okayamastyle.com)

 

 

スサノオノオオカミがヤマタノオロチ

を退治した時の剣「フツノミタマ

別名 十握剣(とあくのつるぎ)を、

奥宮になる裏山の山頂の磐座に奉納した

のが、創建のはじまりであります。

 

その後、布都御魂(フツノミタマ)は

崇神天皇の時代

(3世紀後半~4世紀前半頃)に、

奈良県の石上神宮に移されたようです。

 

記紀の中でのフツノミタマといえば

、熊野の地で、高倉下(たかくらじ)が

アマテラスより授けられた布都御魂剣を

イワレヒコ(神武天皇)に捧げ、この神剣

の霊力によってイワレヒコ軍は蘇り、

大和のナガスネヒコ軍を打ち破ったこと

が書き残されています。

 

一方、出雲旧家の伝承では、佐賀県みやき

町中津に物部神社に祀られる

「物部経津主(ふつぬし)」

について触れられています。

物部経津主のフツとは、徐市(じょふつ・

徐福の別名)のフツを示すと。

 

徐福の一族は、秦国に滅ぼされた斉国の

王族の子孫で、消えたユダヤ十支族である

という言い伝えがあるようです。

泰山を聖山と崇め、天を拝んだようです。

ここでは、道教にはユダヤ教の影響がある

と伝えられていますが、

 

道教が誕生した経緯は、

「古神道 玄秘修法奥伝」のあとがきに

こう記されていました。

 

 

 古神道の印咒符(いんじゅふ)ならびに

 その教示するところのものには、道書、

 密教書等に示されたことと一部共通

 するところもある。

 このあたりから、世間一般の学者は、

 古代または中世において神道のなかに

 外来の陰陽思想あるいは神仙思想もし

 くは、密教教義などが混入したとみる

 ようだが、これは当然らしくみえて、

 実は俗智による謬見(びょうけん)に

 ほかならない。

 幽真界の実相からいうと、ある経綸

 のもとに太古日本の神々が外国(とつ

 くに)で活躍され、神仙界の幽秘

 の一部を外国にもたらされたことが

 あり、以て古神道の古伝と海外の古伝

 の一部に符号するところがあるので

 ある。

 

 もっとも、山中照道大寿真の啓導を

 受け、神仙への道を邁進されたる河野

 久大人(うし)ほどの人でも、かような

 疑問は抱かれたとみえ、

 「仙道は唐土(もろこし=中国)より始ま

 りたる道なるか、すべて仙人唐土に多き

 は彼の土が初まりかと存ずる」と照道

 大寿真に質(ただ)されている。

 

 このとき、大仙真は大いに笑い給いて

 「仙道はもと神道よりおこり、元祖は

 大己貴命(おおなむち)、少名彦那命

 (すくなひこな)御両神より出で、唐土

 を始め外国へも御伝へありしことなり」

 「唐土仙家、源は東王父、西王母の二神

 なり。此の二神は皇国の神なり。

 則ち彼国にて東王父は扶桑大帝と云ひ、

 大帝は大己貴命也。母というは、須勢

 理比売命なり」と

 明確に仰せられている。(引用終)

 

※印咒符とは、印法と密咒(みつじゅ)

と霊符のことであり、これらの法を

用いて神界に祈念を奏上することで、

霊験を体験することができる。

・印法は、目的に応じて、左右十指を組合

せて、形をつくり、神霊界の存在とつながり

霊気をいただく作法。

・密咒は、神咒(かじり)ともいう。言葉の持つ

力を言霊といい、神咒の源でもある。

・霊符は、代表的なものでは、魔除けに使わ

れるお札などがある。

 

 

室町時代の大和の某神社の神官であり、

山中での数百年の神仙修行ののち、

天仙の籍まで進まれた山中照道大寿真

が、明治の大阪の旧豊前国藩士であり

後に霊夢に導かれ、仙道修行に励むこと

になり、大和国葛城山中で河野久大人に

伝えたものが上に記述した一文になります。

 

出雲口伝とあわせて、推測していくと、

出雲国の主王、大国主命(東出雲王家)

とその副王、事代主命(西出雲王家)がアジア

をまわり、武力による統一ではなく、

神仙の術や薬の作り方、または、農耕や

土木設計など生活のあらゆる知恵の布教に

よって、助け合いの精神と自然との共生

も含めた国造りとして、

仙道があったのではないか。

その仙道の教えが、本来の縄文の

出雲王国に根付いてたのではないかと

思えてならないのです。

 

道教と仙道のつながりと出雲の

王家が広い範囲で仙道による影響力を及ぼし

ていたことがわかったと思います。

 

徐福の話に戻りますが、

ちなみに徐福の和名が、「ニギハヤヒ」

とされ、北極星と北斗七星を崇める星信仰

が彼らの一族にあったそうです。

また、中国山東半島地方の古代神の兵主

(ひょうず)も信仰していたとされています

兵主は、八神信仰の八神のうちの第三の神

蚩尤(しゆう)」であり、武器の発明を

得意とした戦の神です。

苗(ミャオ)族の祖は、この武の神「蚩尤」

であるといわれています。

苗族は、稲作文化、納豆や醤油、味噌の食文化

に高床式倉庫、鳥居など現在の神社建築に通じ

る伝統文化を日本にもたらした海洋民族と

言われています。

「徐福」「ニギハヤヒ」「蚩尤」「苗族」

このつながりは、今後掘り下げていきます。

蚩尤

 

 

 

記紀の原書ではないかといわれている

ホツマツタエでは、紀元前1080年に

ニギハヤヒとニニギの両者で、

アマキミ(天皇)を務めたと

記されていますが、年代も合わないですし

出雲口伝では、ニニギが語らていない

のです。

また、徐福=ニギハヤヒ=ホアカリと同一

人物とされています。

が、日月神示の研究の第一人者となる

中矢伸一先生によると、ホアカリは

丹後・丹波・但馬一帯を支配していた

海人(あま)族と呼ばれる海洋系先住民族の

長「天火明命(あめのほあかりのみこと)」

ではないかと、説かれています。

記紀では、ニニギと兄弟にされているが、

これは体制側の史書である記紀の編纂者

に無理矢理組み込まれたものではないかと

ともおっしゃります。

ホアカリの正体を解くことは、日本建国史

の謎を説くことにつながるともおっしゃるの

で、さらに調べていきたいと思います。

 

紀元前210年頃、徐福一行の第三回和国

上陸が行われ、佐賀県諸富町の金立神社

の金立神社縁起図にその様子が描かれて

います。

 

 

※さがの歴史・文化お宝帳のHPから拝借

 

佐賀県のほぼ中央にある標高1046mの

天山という山は、

徐福一行が、星信仰(道教)の天の星神を

拝んだ場所と考えられています。

徐福が拝んだ天とは「泰山府君(たいざん

ふくん)」であり

山東省の泰山に住み、人の生死を司り、

冥界の神にもなるようです。

その後、徐福一行は、

吉野ヶ里遺跡があるところを拠点にし

筑後川流域から勢力を伸ばしていったと

されています。

 

紀元後165年、徐福の子孫となるイツセヒコ

とウマシマヂの兄弟を中心とした物部軍に

よる大和への進軍が行われます。

(口伝では第一次物部東征と言われる)

記紀での「神武東征」に当たる出来事です。

 

①第一回和国上陸 土井ヶ浜遺跡

 紀元前221年頃(山口県下関市豊北町)

※紀元前246年 始皇帝即位

 

②第二回和国上陸 石見国五十猛

 紀元前220年頃(島根県大田市五十猛町)

 

③第三回和国上陸 伊万里湾(今福・福島)

 紀元前210年頃(長崎県松浦市)

 

④第三回和国上陸 浮盃(ぶばい)金立神社

   同年   (佐賀市諸富町)

 

物部王国誕生  吉野ヶ里遺跡

  2世紀前半 (佐賀県神埼郡)

 

第一次物部東征 

  165年頃  (紀の川河口付近)

 彦五瀬&宇摩志麻遅兄弟(物部軍) 

       対 

中曽大根彦(大彦)&名草戸部(名草姫)

  (大和軍)    (名草軍)

  

※この頃の大和は、丹波国の尾張家と出雲国

 の登美家の連立王国であった。のちに磯城

 王朝となる。

 初代大君が海村雲(あまのむらくも)

 二代大君は沼川耳(ぬなかわみみ)

 三代大君は玉手看(たまてみ)

 以降は大和の磯城王朝は衰退していく

 

物部軍熊野上陸 阿須賀神社

  175年頃  (和歌山県新宮市)

 

物部軍大和進軍 登美の霊畤

  2世紀後半 (奈良県桜井市南部)

※磯城王家登美家の分家、太田タネ彦に導き

 により磐余(いわれ)付近に落ち着き、

 登美の霊畤(聖地)を占領。

 

 

筑紫から進軍し4、50年で大和への占領を

果たした徐福の末裔「物部一族」ですが、

侵略された海部家と出雲家が残した恨みは

相当なものだった。その魂を鎮めるために

杵築神社(出雲大社)が建てられました。

 

争いなく和平を結んで大国をつくった出雲族

が「善」、武力行使で奪い、服従させて

統一していくユダヤから始まる物部一族

は「悪」と誰の目にも、そう映ってしまい

ますが、事はそう単純ではないようです。

 

 

「誰も知らなかった日本史」出口恒著

のなかで、出口王仁三郎聖師が天皇の

お役目について書いた文章をあげています。

 

 

 

 (略)神様は世界統一を企てておられる、

 日本も昔からほとんど統一した事がなく、

 群雄割拠から織田、豊臣、徳川の世を経て

 明治大帝に至って初めて完全に日本統一が

 出来上がったので、この型を世界にうつす

 のが本当である。(略)全世界もまた一度も

 統一せられたことがない(略)

 神様の思し召しによってそれがだんだん

 統一されつつあるので、今は余程統一せら

 れたところである。

 (『月鏡』「地租委譲問題」)

 

 神倭伊波礼毘古命から今の方(昭和天皇)

 までは神武天皇(神倭伊波礼毘古命)である

 第一代は天照大神、第二代は吾勝命、第三

 代は二二岐尊、第四代が彦火火出見命、

 鵜茸草茸不合命が第五代で、神武天皇は

 第六代である。名はないので位(くらい)の

 ようなものである。

 天照大神でも何十人も続いているのだ。

 (昭和19年)

 (『新月の光』「神倭伊波礼毘古命」)

 

神武天皇から昭和天皇まで「神武天皇王朝

とし、明治天皇に至り初めて日本統一が出来

上がった。

万一、血統が変わったとしても、天皇として

の使命・役割には変更はないといえる。

それは「絶対的な善も絶対的な悪もない。

善の中にも悪があり、悪に中にも善がある」

と王仁三郎の善悪観にもつながると

出口聖師の曾孫にあたる出口恒氏は、説明

しています。


 世の中に絶対善もなければ、絶対悪もある

 ものではない事は、霊界物語によって示さ

 るる通りであるが、強いて絶対善を求むる

 ならば、こそはそれであり、こそ絶対

 悪である。

 (『水鏡』「絶対善と絶対悪」)

 

 神が表に現はれて 善と悪とを立て別ける

 善の中にも悪があり 悪の中にも善がある

 善悪正邪はオーニーの 知識の程度で判ら

 ない ただ何事も惟神(かむながら) 

 神の御旨に任すのみ

 (略)

 (霊界物語第五十七巻総説歌)

 

 ※オーニー…エスペラント語で「人・人々

       」の意味

       

 神は偽悪だ。悪に見せて大善をなす。

 (『新月の光』「神は偽悪」)

 

また、出口恒氏は霊界物語には「悪の御用」

という言葉が出てくるが、悪にも役目がある

と訴えます。

第二次大本事件で大本を不当に弾圧した警察

に対して、王仁三郎は次のような評価をして

います。

 

 警察が大本をいじめて功労賞をもらって

 出世しているというけれども、神様から

 因縁の御用をさしてあるのだから、あれ

 だけ出世してもよいのである。

 悪の御用もなかなか楽ではないのだから、

 みな神様がお使いなっているのだから、

 善の御用と悪の御用と身魂の因縁でさせ

 られているのであるから。

  事件(第二次大本事件)前は一人も神様

 の事の判ったものはなかった。警察も神様

 がお使いになっているのであるから、結構

 なことであります。おかげ様であると感謝

 していかねばならぬのである。

 (昭和二十年三月二十八日旧二月十五日)

 (『新月の光』「善の御用と悪の御用」)

 

絶対善とは「愛」である。とおっしゃている

とおりまさに、地球を卒業するために必要な

ことは、「愛の実践」であり、愛とは、許し

与えることである

と眠れる予言者エドガー・ケイシーも語って

おられます。

 

憎き相手や何か合わない人、自分を陥れよう

とする悪意ある者となどを許し、付き合って

いくなど、容易にできることではないですよ

ね、しかし、関わらない(距離をとる)こと

はそう難しくないと思うのです。

また、言霊の力を信じて、ただ「許し給う」

と発するだけでも、憎の感情を鎮めることが

できるのです。

 

映画「すずめの戸締り」に登場する、地震

をもたらす常世の巨大な存在、

地震をもたらすその存在が生まれる要因は、

人間の「負の感情」からだと、何かの本で

知りました。(見つけたら、いずれ紹介した

いと思います。)

 

不安、悲しみ、恐れ、憎しみ、妬みなどの

負の感情が、その土地に溜まると、自然災害

・テロ・戦争というかたちとなって、現界に

あらわれる。

負の感情(穢れ)から生まれる厄災を、自ら

の身体あるいは命をも犠牲にして、日本を

守る、霊能力者の存在をある本をとおして

知れたので、次回にでも紹介したいと思い

ます。

 

 

出雲口伝に話は戻りますが、

神仙界や幽真界の事象が、のちに現実界で起

こると言われ、神仙(神様)の意図が日本統

一であったのならば、物部東征の侵略も必要

なことであった解釈できますね。

この旨を出雲族の方々(霊魂)に解かってい

ただいて、怨念を鎮めていただけたらば、

日本の全体の霊的進化にもつながると思うの

は、私くしだけでしょうか?

 

スピ界の大御所のあるお二人の対談本の中

で、このような話がありました。

熊野本宮大社に伝わる「虫食い祝詞」を

全て埋められた者が、本物のスサノオの御魂

を持つ者であり、その者が現れたら、その者

にすべてをお返しし、その者に従うと。

その者とは、この対談のお一人になります。

あえて伏せさせていただきます。

ご興味ある方は、ご自分でお調べ下さい。

 

熊野本宮大社旧社地「大斎原(おおゆのはら)」

 

出雲の国譲りの真意がここにあるのかと、

私くしは驚愕しました!!

YOUTUBE上でもスサノオの精神、縄文の

精神をもつ方々が、登場し人気を博している

現象も、そのあらわれなんでしょう。

 


日本は世界の雛型であり、日本で起こること

は、世界で起こる。

日本の統一は世界の統一につながるというこ

とのようです。

しかし、太平洋戦争をはじめてしまったこと

は、神仙界の意図ではなかったと思います。

 

なぜなら伯家神道の一部を継承し教え伝えて

いる「和学教授所」の所長中村新子のもとに、

当時内閣参議の荒木貞夫が開戦の吉凶の占い

を求めてきた際、

 「日本の八百万の神々はこの度の開戦に

 ついては思いとどまるべきであるとのお

 答えでした」と

説明したと、「伯家神道の道統」永川辰男著

に記されています。

 

また、

 「軍部があまり強く出ては国をつぶす。

 軍部の考えは十年以上早すぎる。」と

出口王仁三郎聖師に諭された東条英機陸軍

大将が立腹して、築地の料亭を出ていった

有名な逸話もあります。

 

 

 

 

大分、逸れてしまいましたが、

お題となる布都御魂に話を戻して

石上布都魂神社に伝わる神剣の霊力とは、

どういうものなのか、考察していきます。

 

昨年の3月から気の鍛錬法として
古氣道行法」というものを
DVDを見ながらですが、習い始めました。

 

古代日本に治療法として呼吸法を実践し
ていた氏族がいたようです。
関ケ原の隣の米原市の伊吹山周辺に
古代氏族の「イブキ族」と言われる
一族がいたようです。

スサノオノオオカミとつながる神社

が伊吹山のふもとにありました。

 

伊富岐神社

 

 

 

 

古氣道行法の普及活動をされている
永川辰男先生は近江神宮祢宜

として神社奉仕と合わせて

伯家神道の「お行の道」を修行・研鑽

され、48歳で近江神宮を退き、

地元桑名で、神主を務めながら

古氣道道場の「楽古舎」と審神神事

神傳相承修行道場の「玉鉾会」を

主宰しています。

 

古氣道の呼吸法は
腹をへこましながら鼻から吸い、
口から吐き出すときは
腹を膨らます、逆腹式呼吸
で行います。

二か月程で、浅かった呼吸が
お手本の先生(永川辰男先生)
の呼吸についていくことができ
、クロスバイクで50分かかって
いた峠越えが、30分まで短縮
できるほどまでになりました。

呼吸の大切さを身をもって感じ
ました。
健康呼吸法にとどまらず、気の
体現をものにし、剣祓いの質の
向上に繋げていきます。

この古氣道行法の
祓いの行法に、なんとイザナギ

ノミコトの時代から伝わって
いる「布都主(フツヌシ)の気

という行があります。

神武一行をお助けした神剣の霊力

フツノミタマの正体を解き明か

す鍵になるものです。

 

永川先生の書籍、古氣道健康法

指導教本から、「布都主の気」

の解説を引用したいと思います。

 

 

韴霊(ふつのたま)、経津(ふつ)とは

物を断ち切るときに発する音で、剣

を振るときに生じる音です。

これを霊格化してミタマと称え、

さらに神格化してフツノミタマと

いいます。

また、「フツ」は祓い、払うのフツと

同義で、邪気邪霊を祓う意味としても

捉えられます。

「古氣道」の「フツヌシの気」は、

口より「フツ」と吐き出す勢いのある

早い息による「祓い」を重要視してい

ます。卓上のごみを息で払う様に、

その場を祓い去る所作を取り入れた行法

で、「呪振りの気」と同じく「祓いの

気」です。(引用終)

 

 

 

古代人は呼吸法により、体内の気を

活性化させ、

強靭な体と精神を獲得していたのかも

しれません。あるいは、病気治癒にも

活用し、「レイキ」などの手当ても当然

のように用いていたかもしれません。

 

現代でも、睡眠の質を高め、勝てる

メンタルの鍛え方として青学駅伝部の

448呼吸法にもあるように、呼吸ひとつ

で、人生がかわってしまうことが、あり

えるのです。

 

スサノオノオオカミが、

赤磐市に備前古一宮、

石上布都魂神社の地で

神仙界から授かった、仙道の呼吸法

を用い、

ヤマタノオロチ伝説(オロチョン族討伐?)

で伝えられている偉業を成し遂げた

と推測しているのですが、

みなさんはどう捉えますか?

 

 

 

上述した「徐福一族の物部軍」も仙道呼吸法

で気の流れを体得し、奇門遁甲などで吉方位

の運の流れも味方につけ、日本統一という

お役目を神仙界から授かったがゆえに、

大和朝廷建国という大偉業を成し遂げられた

のだと思えました。

 

次回は、呼吸法をさらに深堀りし、

独特な健康法、禊の神髄を伝えて

いきます。

 

  

 

 

 

フーッと息を出し、祓い清める所作

 

 

拝読ありがとうございました。

 

また私の活動にご理解あられる方々、

剣祓いの活動継続のため、ご支援の程

よろしくお願します。

 

楽天銀行 フーガ支店

(普通)2885864 金融コード 0036