②偉大なる剣聖、小泉太志命 | 僕が働かず刀(模造刀)を振り続けるワケ

僕が働かず刀(模造刀)を振り続けるワケ

所有もない、貨幣制度もない、争いもない、みなが天命を全うできる世、弥勒の世の到来を望むという思いのみ抱いて刀を振る。

そんな思いを持った者のブログですが、何卒よろしくお願いいたします。

 

剣を振り続ける事の発端はこの一冊にあります。

 

天皇防護 小泉太志命祓い太刀の世界

著者 宮崎貞行氏

 

 

この書籍を知ることになったきっかけは、

好奇心追求サイト夢源樹の中の

「月間保江邦夫」の有料動画で知ることに

なりました。

保江邦夫先生の書籍にも多大な影響を受け

ており、今後いくつか紹介したいと思って

います。

 

小泉太志命先生

(以下、太志命先生)は、

明治四十年八月三十日、青森県八戸市

に、六人兄弟の三男として生まれる。

 

小学校を卒業し、その年の八月には、

三戸の小学校の代用教員として勤める。

 

六歳の頃から父から剣道を習い始め、

地元の道場の師匠からは、鹿島神宮に

伝わる鹿島神流の「祓い太刀」を教わる。

 

この鹿島神流とは、どういった武道なの

でしょうか?

鹿島神流武道連盟公式HPの流派概要に

よると

 

鹿島神流の武術は、鹿島神宮神官の

國摩真人(くになづのまひと:3~4

世紀)が韴霊剣ふつのみたまのつるぎ

の霊験を授かろうと、

 

鹿島神宮境内にある鬼塚という小高い丘

に祭壇を築き、熱祷すること千日、

タケミカヅチノオオカミから“韴霊の法則

である「一の位」を授けられた。

 

このフツノミタ、という言葉。

かなり重要なキーワードになる

ようなので、次回にでも詳しく触れたい

と思います。

 

 

 

 

この法則から「祓太刀」と呼ばれる太刀術

を生み出し、その秘儀を「神妙剣」として

まとめ、神官達に伝えられた。

 

そして、東日本における剣術の源流

とされる七つの伝説的流派の総称

鹿島七流」まで発展する。

 

一方、西日本では、伝説上の人物と

いわれている伊予国の陰陽師の

家系である鬼一法眼が、京都の

鞍馬寺で、八人の僧侶に剣術を伝授

したことで、「京八流」が生まれ、

 

時代は下り、

室町時代に兵法三大源流

 

①天真正伝香取神道流 飯篠家直

 

②念流 念阿弥慈恩

 

③陰流 愛洲移香斎

 

が誕生する。

 

ここで注目したい人物がいます。

 

いいざさいえなお

飯篠家直

(1387年~1488年)

 

以下Wikipediaより引用

 

現在の千葉県多古町飯笹の郷士

(下級武士)に生まれる。

 

はじめ、下総の豪族・千葉氏に

仕えるが、

1455年、家臣の裏切りに逢い、

千葉氏宗家は滅亡。

 

家直は、この様を目の当たりにし

武芸をもって武士として生きること

に虚しさを覚え、

そして

 

「武術とは互いに血を流し合う

“戦さ”のためではない」

 

という

信念のもと、剣の極意、武術の奥義

を究めるため、修行に打ち込んだ。

 

家直は、武神経津主神(フツヌシノカミ)

を祀る香取神宮の奥宮に近い梅木山に篭り

1千日の厳しい修行の末、

 

兵法とは平和の法なり

 

との悟りを得たとされる。

 

 

この修行で梅の古木の上で

 

汝、後に天下剣客の師とならん

 

と経津主神の啓示を受けて

天真正伝香取神道流」を創始した。

 

なお、家直は門人たちに、

 

真実の武道

人の心にあり、人の道である

心の中がであれば、武芸は人を助け

世の中を平和にする。

 

したがって、自分自身を完成された

人間に近づける努力をしなければ

ならない」

 

と諭している。

 

戦乱の世のなかだからこそ、自身の

心を磨くことで、欲やシガラミに

翻弄されることなく、平和への道

を強く求めた家直の信念が形になった

ものがこの神道流だと、知ると

「愛」の体現(目に見える形に現して、

見る者に感化させることと捉えて

ほしいです。)をめざした賢人の

一人であったとわかります。

 

「合気は愛じゃ」とおっしゃる合気道

開祖 植芝盛平翁のお言葉を

お借りすると、

 

下のHPから拝借

 

 

「愛には敵はない。何者かを敵とし、

 

何者かと争う心はすでに宇宙の心

 

でないのである。宇宙の心と一致

 

しない人間は、宇宙の動きと調和

 

できない。宇宙の動きと調和でき

 

ない人間の武は、破壊の武であって

 

真の武ではない。

 

真の武道とは愛の働きである。

 

それは、争うことではなく、

 

全てを生かし育てる、生成化育

 

の働きである。愛とはすべての

 

守り本尊であり、愛なくばすべて

 

は成り立たない。」

 

 

昨今の武というものは、スポーツ化

してしまい、

技や勝敗を競うことに

重きをおかれてしまっていることは

残念でありますが、(そこから得られる

ものもあると思いますが)

家直先生も盛平先生も

おっしゃっているように

人を助け、様々な問題

を解決する知恵や“ひらめき”を生み出す

ためのものが本来の武だと、私は解釈

しました。

 

 

直観力

 

とも言い換えられるひらめきは、その背後に

おられる目に見えない存在(先祖霊や神仏)

とつながることでもあると思います。

 

体力・精神力を蓄え、その先にある

 

霊性

 

を磨くことの大切さは、今のスポーツ化した

武道では、触れられず形骸化していると

ある武道家も指摘していました。

 

霊性とは、超能力とか不思議な術を想い

浮かべますが、そのようなものは副産物

であって、本質は「」だと、断言したい

です。ものひとを大切にする、いとおしく

おもう。それだけで、愛は発動して、霊性

は磨かれるのです。

そして、さらに大切なことは、祓いと禊ぎ

というもの。

 

古神道家川面凡児(かわつらぼんじ)は、

当時の軍政財界の要人から信頼と支援を

受けながら、

今日の神道界における禊ぎの行法を復活

させたことで、名の知れた人物でありま

す。

 

下のHPから拝借

 

 

彼が重要視している「祓いと禊ぎ」※1

によって、

日常で抱えた悩みや悪感情などのケガレ

行法で清めるだけにとどまらず、住んでいる

地域や共同体、さらには世界と宇宙を清め、

イヤシロチ※2と化し、霊的に向上させていく

ことが、日本民族に与えられた世界的役割と

考えています。

 

真の武道を学び、日常的に祓い清めている

と霊性が磨かれ、直感が冴え、良いアイデア

・ひらめきが生まれます。

そして、その地域は話題性に富み、人・物が

集まり、質の高い生産物も生み出されるの

です。

地域活性化の仕掛け人・キーマンや業績の

良い企業の経営者は神仏を敬い、謙虚な人物

が多いと聞きます。まさに、真の武人。

 

 

「祓えたまう、清めたまう。ととのう、

ととのう。」

 

と言霊を発し、剣を振って

いると、悩みや欲望が削ぎ落とされ、

ただ一念、太志命先生も抱かれていた

 

“日本と世界と宇宙の大和”

 

の到来を望むのです。

物と金がすべてと考える

眼に見えないものを敬うこと

を知らない、物質中心的価値観

の方々からは、

現実逃避という批判が

聞こえてきてもおかしくない

と思いますが、しかし、

日本人を代表する天皇陛下は、

代々受け継がれた霊力を駆使し、

祈り」で国家の平和と安定を

維持されてくださっていることは、

紛れも無い事実ですし、 

天皇陛下以外でも、保江邦夫先生の

陰陽道による結界術や、真言宗単立

鏑射寺(かぶらいじ)中村公隆阿闍梨

の法力で、大地震の被害を小さく

してくださったことも、スピ系ファン

なら知らない方はいないと思います。

 

祈り、そして術や法力は、術者の心次第

で、良くも悪くも、周囲に影響を及ぼす

ことは明白です。日常生活を送るだけ

でも、人は生霊を飛ばしあっているそう

です。誰しも、少なからず、「念力」は

持っているのです。訓練でその「質と量」

を高めることはできるのです。

 

限られた時間の中、限られた「念」を使う

なら、みなで貨幣のない争いのない世界

の到来を「念」で引き寄せることが、

人類がかかえる問題解決として、

一番手っ取り早い方法

とおもうことは、浅知恵でしょうか?

 

 

平和の世はただ待っていても

訪れないようなのです。

簡単ではないことは、

百も承知ですが、自然との共生し

人、動物、自然環境がバランス良く

共存できる仕組み「」をつくって進化

いくことが、人間に課せられた

課題だと思うのです。

 

そのために、祓いと禊ぎで、霊性

磨くことが第一であって、私の場合は

剣祓いが性に合っていたということ

だったとおもいます。

(今は、模造刀は根元から折れてしまい

木刀で振っています。いつか真剣を、

手に入れます!)

 

 

小泉先生を通して、著者宮崎先生が捉える

「和」とは。その言葉で、締めさせて

いただきます。

 

以下抜粋

 

日本語の「和(やわし)」と英語の

 

ハーモニーは、異なる概念である。

 

ハーモニーは相対する二つの力が

 

拮抗し、均衡している静的な状態を

 

指しているのに対し、「和」は、攻撃

 

しようと襲いかかってくる相手の動き

 

をいなし、その矛先をそらし、闘いの

 

心を捨てるよう導くことでもある。

 

それは主語を無くそうとする「抜け」※2

 

の永久運動である。

 

「和」はまた、思いやりの心でお互いに

 

助け合い、支え合い、みちびき合う

 

ことを通じて共通の高い目標を達成

 

しようとする動的な過程を意味

 

している。

 

このように日本国民が一つの輪となり

 

、率先して礼と霊と和の社会をつくり、

 

先端モデルとして世界を平和に導いて

 

いく時代が令和の御代ではないだろうか。

 

それを太志命先生は、天界から温かく

 

見守っているのではないだろうか。

 

抜粋終わり(P295~296)

 

小泉先生の参剣(みつるぎ)の一つ、

芽出しの剣」で、誕生した異能の子供たち。

地球と宇宙の調和を図る大使命を持った3万

3千人の子供たちの健闘を祈って…。

 

 

 

拝読ありがとうございました。

 

※1狭義の禊行は、滝場や海辺で潜水

する作法とその前後の鳥船運動など準備

運動を指す。

広義の禊行は、神前での祓い行事や祝詞

奏上、太陽礼拝のヒソギ、呼吸法を含む

作法を指す。

 

※21950年1月、楢崎皐月(ならさき

こうげつ)という技師が六甲山系の

山中で、地磁気の流れの測定をしていた

ところ、平十字(ひらとうじ)と名乗る

近くの神社の宮司から手渡された巻物

「カタカムナ文献」の32首の中に記号文字

で「イヤシロチ」に関して、説明されている。

 

イ 伝わるもの・陰  

ヤ 飽和する     

シ 示し・現象・死  

ロ 空間・抜ける   

チ 凝縮

 

ケ 放出する

カ チカラ(重力)

レ 消失する

チ 凝縮

 

イヤシロチをつないでみると、陰(マイナス

イオン)がその場に満たされていて、人体に

も伝わる。

ケがレチは、重力が放出され、人体に余計に

かかり、マイナスイオンが消失するといった

ところでしょうか。

 

※3「抜け」とは、太志命先生が私淑

していた剣術家、針ヶ谷夕雲(せきうん)

の極意をいいます。

戦いを求める畜生のような心を捨て、

本来のこだわらない自性のはたらきを

剣に生かすこと。

いわば、赤子のような無我の境地で

天に身をゆだねること。