今号泣している。

自分の本当の願いに気づいたからだ。

ここに書くべきじゃないかもしれないけど、この気持ちを残しておくべきだと思った。

 

適齢期ぐらいから、私は自分の身体が子供を産めるのか疑問に思っていた。

それと自分なんかにもし子供ができたらしっかり育てられるのかとも思っていた。

自分の遺伝子をもった子供は絶対人生をうまく渡り歩いていけない、私がそうだからだ。

そんな風にも思った。

 

ただ子どもは好きなんだ。

友達の子供、目に映る子どもたち、みんな大切にしないと、大事にしないと。

私がこの歳まで経験して生き抜いているのだから、もし同じことで悩んでいたら力になれる。

 

うぅ、涙が止まらん。

 

初めて結婚を意識した人には「きよちゃんに産めるかな」って、一緒に住んでたベランダで言われた。

すごく考えて、勇気を出して子どもについての何かを私が言ったんだと思う。

とてもショックだった、たとえ私のことを心配して気を遣って言ってくれてたとしても

実際にそうだったのかは今は思い出せない。

 

 

次に子どものことを意識したのは婚姻届けまで書いた人との時だった。

その人には別れた奥さんたちの間に数人子どもがいて、付き合った当初こう考えていた。

まず別れた子どもたちがもし彼をお父さんと慕ってくるのであれば、私も笑顔で迎え入れたいと思ってた。

それと、もし産まれてくる子がいたとしたら複雑な家庭環境に悩んでしまうかもしれないとも。

そこで付き合いたての頃に、もしこの先に結婚があったとしても私はあなたの子どもを産めない、と伝えた。

その人はあり得ない、もう付き合えないということを言ってショックを受けたようだった。

私はそれにショックを受けた。

私のことを子どもを産む対象としてしか見ていないのかと。

ただそのことにはお互い触れずにそのまま過ごしていた。

 

結婚という2文字を意識したときに婦人科へ行った。

私の身体が子供を産むことができるのか知るために。

とても緊張した。

結果は問題はないとのことだった。

ただ子宮年齢まではわかっていないのでそれは今も。

そのことをはじめは直接付き合ってる人には言っていなかった。

自分で判断してやったことだから。

ただなんとなく脈絡もない感じで伝えたと思う。

 

ある日酔っぱらったその人は、友だちに私から子どもは産めないと言われたことを話してやったと言ってた。

私は激昂した。

なんで私にそんなことが言えるのだろう。

また書くけど、とても私を否定する人だった。

また脱線しそう、やめよう。

 

そんなこんなで何を言いたかったかと言うと、私は本当は私の分身と会いたいのだと思う。

ただそれを私の欲なのだろうからそんなで子どもを産む理由になるのかな。

もちろんこの人の子供を産みたいという気持ちが先に来るものだけど。

相手もいないし、子どもを産むためのいろいろな備えも何もしていない

ましてや年齢が妊娠が難しいところまできている。

 

ただ5月5日に私は子供が欲しかったんだとわかり、涙が出る朝を迎えたことだけ記しておく。