SDカードを見つけて、開いてみたら友人と歌いあった動画たちだった。

全部ではないだろうけど懐かしい動画たちだ。


消えてしまったと思っていた。

昔の自分はその時間を大切にデータとして残していたんだ。

忘れていた。


怖いようなでも観たいような気持ちで再生を押す。


結局何度も観た、なんだか素直に嬉しかった。


今観てよかったのかなとなぜか思うけど、大切な時間として持っておいてもいいよな。


音が割れてる部分があったけど仕方ない。

時の流れを表している。


壊れたHDDを思い出す。

もう忘れてしまった写真や動画に一度はお別れをしたのに、なんだか今無性にさみしくなってしまった、

戻らないのを覚悟で、復旧してみようかともよぎる。


今はこの動画たちの余韻を味わいながら、しばし熟考しようと思う。



いつの間にか最後に開いて練習した弾き語りの本がなくなってしまって、神隠しにでもあったのかと出てくるだろうとそのままにしたけど、さっきポチリとした。


ライブに行く前に届くようだ。


弾きたい曲があると下手なギターの練習になるのだ。





今日は祝日。


朝から卵がなくなっていてコンビニに買いに行った。



休みだけど、早めに目が覚めて、ご飯を食べてふと、会社にあったお守りを社長がゴミ箱に捨てていいかなと聞いていたので、私が神社に持っていきますと請け負ってしまったものがあり、ついに行動した。


向かっている途中、今日はスピードが遅く感じる日だとわかった。

これは時々あるいきなり聞こえてくるものが速く聞こえる感覚と似ていた。

小学生くらいの頃からあって、大人になってかなり少なくなっているが、あの感覚に陥ったときはけっこう自分を保つのが大変だったりする。


恐らく、脳の働きの何かなんだと思う。

名前はないけど、ネットで同じような症状の人がいるのを知った。



神社に無事に着いて、お参りをして、境内を巡って2つのお守りを返した。

その流れでお守りを見てみると、買おうとは思っていなかったけどまた買ってしまった。

会社のためなのか自分のためなのか今でもふんわりしているが、まぁいいだろう。



楠の群生を見に行くと、通りにほかの護国神社があり、進んでみると住人のための神社のようだった。

開いた土地に鳥居と建物がとても素敵で、失礼しますという気持ちでお参りをした。


そのまま楠を見に上がって誰もいない中、楠に手を当ててみるとなんでかわからないけど涙が出そうになって笑いが出た。

まぁ、感謝だ。

晴れているけど、風がよく吹いていて気持ちのよいお参りだった。

帰りにコーヒーをテイクアウトできるところがあったので、美味しくいただきながら帰った。



帰ってから、ギターを弾きながら歌った。

ギターが弾けなくて泣けてくる。

ピアノを弾いてないのに、楽譜のサイトに登録してたのを思い出して、ダウンロードした。

お盆休みで弾きたいが、鍵盤が落ちるのが懸念事項だから頭を悩ます。



この間、メガネの度を変えにメガネ屋さんに行った。

メガネの度を変えるとともにスペアも持っておこうと選んだ。

1週間後にできるので楽しみである。

視力検査がなかなか面白いし、出来上がったレンズで覗いた世界はクリアすぎて感動ものだった。



明日まで出勤すればお盆休みである。

有意義なときになるように自分を律しよう。












好きな色は黒と白は置いておいて、その時で色は少し変わるけど比較的緑と青が好きな気がする。


ピンク。

元気だし、ハートフルな色だと思う。


タオルハンカチには持っても抵抗がないけど、服やバッグなどにピンクは自分的には無理である。

部屋をパッと見渡すけど自分で選んで買ったピンクのものがない。


ピンクパンサーのキャラクターは可愛いと思う。


なんだか苦手というか気恥ずかしいというか、自分には似合わないというのが頭にある。


ただ桃色だったらいけると感じるのはなんでだろう。


原色よりはパステルカラーが好きなのかもしれない。


ピンクは怖いけど、もしかすると憧れなのかもしれない。



国際花火大会の日本の花火を見て涙が出た日曜日。






昨日また21時前に眠って、3時台に目が覚めた。


今コンビニに納豆とコーヒーを買いに行って帰ってきた。

帰ってから着信を見ると20分前に非通知の不在着信。

夜中に着信ということは、迷惑電話ではないのだろうか。

イヤフォンで音を聞いていたのに、消音にしていて気づかなかったのが悔やまれる。

家に帰ったら、音を出すように習慣づけたい。



かなり涼しい夜。

コンビニの冷房が寒かった。



今日会社のお中元をわけて、くじでもらった。

なかなかみんなが楽しんでいて、くじを作る側だったのだけど良かった。



下旬のイベントがなんだかとても楽しみで、ワクワクしている。






最近、出会った人たちにInstagramを聞かれて、自分の本来のアカウントは動いてないですと伝えてもそれでよいとのことで交換する機会がある。


必然的にアカウントに入るのだけど、鍵アカウントなのでフォローリクエストが来ているところを見ると、昔の知り合いだった人がリクエストしてくださったりしていて、それはフォローバックする。


最近Cafe2staがリクエストをくれていた。

あれ?と思い、奥さんとはもちろん通っていたときにお喋りはしていたけど、crossingでライブを見るときに久しぶりに行ったら覚えていらっしゃらなかった。

間瀬さんは挨拶をしたり、ライブをしたときなどに喋ったくらいであるので、なぜフォローしてくださったのか謎である。

アカウントも少し前から動いてないようである。



観たい配信ライブを、用事があって出かけていたが出先で視聴した。

なんだか感極まって、人がいたのだけど涙が落ちた。

涙が出てくることに、この感情はなんだろうなと考えつつ、いやいや自然なことなのかもしれないと打ち消した。

お祝いをしたい。



行きたいイベントが追加になり、抽選に応募して先行で当たらなければ諦めようと思ったのだけど、幸運なことに当選をしたので、飛行機やホテルを取り直した。

そこで某LLCが前にあまりいい印象がなかったけど、問い合わせをしてオペレーターの方の答えについ、融通が利かないなと思った。

「それなら仕方ないですね」と返答した自分の声のトーンが明らかに低く、オペレーターの方も仕事とはいえ嫌かもなぁと少し後悔するも、そこで媚びへつらうことはないのだと言い聞かす。



アルバムが届き、聴いている。

聴きたかった曲はやはり入っていなくて、もう聴けることはないのかなと思うが、今聴ける曲たちを大切にしていこう。

すごく聴きたいのに全く覚えていない、タイトルだけ昔の手帳に書いてある曲。

その時の自分がすがるように聴いて救われた曲だったと思う。

ただ、救われるような詞だったかも覚えていない。

後ろ髪を引かれている。



すごく真っ直ぐに気持ちを伝えてくれる人が時々いる。

それは自分にはないし、素敵なことだし、感謝だけど自分の気持ちが動かないので、変な優しさをかけることはもうこの人生ではこの先しないと決めている。

心が動くかはその瞬間にわかるし、自分の気持ちこそ優先して相手のことを考えて先に期待して応えるものではないと今までの経験が教えてくれる。



昨日、21時前に眠ってよく寝たと目が覚めたら0時過ぎで驚いてまた眠ったけど、4時台に目が覚めて起きている。

今7時台。

曲を聴いたり、動画を観たりしてあっという間だった。


今日はナチュラルハイになってしまうかもしれないので、心を抑えていこう。



部屋のセローニアを枯らさないように気をつけて水をやっている。

葉っぱを手で撫でてホコリを落としている。

8本あった葉っぱに、新芽が育って9本目がいる。

今度機会があったら霧吹きを買ってもいいかもしれない。

雑然とした部屋に緑。














(動画を貼り付けたが限定公開にすると観れなかったので公開に直しても再生できず、いろいろやって結果元の方法でよかったようだ。)


朝、渡辺真知子さんの「曲がり道」が浮かんで、口ずさんだ。

「一つ曲がり角、一つ間違えて〜」のて〜の声が出なかった。

当たり前だけど、少しショックでさっき横になってたら色んな考えが頭を巡ってまたここに書こうと思ったけどそれはやめて、今の気持ちで曲を作ろうと唐突にギターを手に取った。

ピアノは、鍵盤がまた下がってしまって以来なかなか弾けなくなってしまった。


なんだかメロディーと歌詞が浮かんで、



久しぶりの感覚でノートを探そうとしたけどとりあえず声が出るか何か歌ってみようと歌った。


少し前に自分の曲を弾き直そうと思ったのに実はできていなかった。

ギターも弾けるはずない。


でもなんだか今の自分で歌ってみようとまた洋楽のカバーをしてみた、少し歌って、動画を撮った。

限定のURLで公開すれば、ここを見る人だけに伝わるかなぁと言う気持ち。



そらで歌詞を覚えていて最後まで弾けた。


歌いたい熱が高まって何かないかとネットのコードを探した。

歌いたいけど弾けない、歌ったことがなくて歌えない曲が続いて、昔ある期間にヘビロテしていた曲を思い出してか探すとコードも簡単だった。


ただ、サイトがリニューアルされていてどんどん広告を消しても出てきて歌いながら消したりして止まりつつ歌っ

最後出来なさすぎて笑いが入ったけど、いいやと思った。



楽しかった。





前に書いた日記で、霊感とか書いてしまったので誤解を生んでしまった、訂正しなければならない。


実際に疾患の症状の1つだろうし、自分は病気ではないなどと思ったことはない。


ただ、不思議なことというのは世の中にはあるよなぁくらいな流れで書いてしまった。


軽率だった。


ホルモンのせいにしよう。


いや、ホルモンもすぐ原因にされて嫌な思いをしそうだからなんかそういう日だったとしたい。


夜中に起きてからは、Amazonで歯磨き粉とシャンプーの口コミをひたすら読んで、なにか良いものがないかと探す時間に当てた。

まだ購入はしていない。



連休ってよい。

昨日は出かけて買い物をしてから、町並みを眺めてビルの歴史について考えながら歩いて帰った。

楽しかった。



最近、いろんな周波数を聴けるアプリをトライアルしているのだが、なかなかよい。

決まった時間聴いている間は、瞑想のように思考の整理できる気がする。


今日は静かに過ごそうと思う。






コンビニに行こうかなと思って着替えた。

最近久しぶりに買った褪せたオレンジのダボダボのTシャツは、コンビニに行く時にしか活躍できないものだと改めて思いながら選んだ。


目が落ち窪んできていることと眼精疲労が甚だしいので、ふいにいつ買ったのかわからない出てきた温まるアイマスクをして音を聞きながら横になった。


寝ていた。


さっき目が覚めて、歯を磨いた。


アイコスを持っていこうと充電がないことに気づき、一つ分の灯りがつくのを待って家を出た。


空は真っ暗で星がよく見える。

星座の形にわかるものもあるけど、詳しいわけではないのであぁ、あれだぁって思いながら上を見つつ歩く。


左の端に流れ星のようなものを一瞬見て、光の反射だったのではと思いつつ少し興奮してコンビニへ。


真夜中のお客さんのいないコンビニで、店員さんが入り口を掃除している。

感心するし、感謝である。


たばこと砂糖不使用のカフェラテを買って、喫煙所で1本吸う。

音楽を聞こうと思ってイヤフォンを手にしてきたけど、何も聞かないで道路を眺める。


静かだ。

音はあるけど、静かだった。


やけに1本が長く感じられて、残りの点灯を確認しながら携帯を開く。

何か見るものがあるわけではないので、すぐ閉じて空を見上げながら立っている。


帰り始めると、なんだか変だなぁと思いながら、最近眠れているし、おかしくなる要素はないのだけど、昨日の日記に普段あまり人に言わないことを書いたからかなと思い出してから少し削除したくなっているけど留まった。


この変な一連を書こうと歩きスマホをしながら、ここをポチポチして家について部屋にはいると、セージの香りがして、けむいなと気づく。


窓を開けて、クーラーはつけたままで真っ暗な中ポチポチ。


変な感じがするけど、たぶんホルモンのせいだと思う。人ってホルモンのバランスで性格も変わると知っている。


終着点がないので終わる。






ぼーっとベッドの天井を観ていて、携帯で流してる動画の音声を聞いていてなぜだろう、思い出したことがある。


今までいろんな人に出会ってきて、その数は数え切れないのだけど、友人として縁があった人ではなくて、短い時間や期間しか会えなかった人のことをあの人は今どうしてるかなと時々浮かぶことがある。


友人の演奏会で仲良くなって、連絡先も交換してまた会おうって約束をしたけれど、そのときに都合が悪くなってしまって会えなくなって以来連絡もつかなくなり、どうやら音楽もやめてしまってネットには過去のものしかなくて消息がわからないあの人は今も元気にしているだろうか、とか。


飲み会の流れで初対面ながら意気投合して家飲みしようとなり、朝になって恩師への気持ちを語りだし自分なりにこうではないかと話し強い口論のようにもなったのだけど、最後涙を流してありがとうと言われた。その人が眠りについたのを確認して家を出て朝の通りを歩いたときなんだか爽やかな気持ちだったのを覚えている、もう名前も家も覚えていないけれどあの人は今幸せにしているだろうか。


まだいると思うけど、この二人が頭に浮かんでどうして今気にするのだろうと考える必要ないのだけど、息災であってほしいと願うし祈りたい。



初めて実家で錯乱したときに私は目を全く開けず母の手を離さなかったらしい。

周りからの言葉は何も聞き入れず、友人の名前をずっと呼んでいたらしい。

良くなったあと家族はその人ともう会ってはいけないと言ったこともうっすら覚えている。

その人が知ったら恐怖だろうと思う。

自分ではわからない、その時の自分の中にそんなにもその人の存在が大きかったのかも思い出せない。

ただ、わかるのは今も大切な友人だ。


良くなったすぐあとには思い出さなかったけど、目を閉じていたあの時、私は人生で出会った人たちが次々に出てきて会話をして握手をしていてその人によって変わっていく手の感覚をおぼえていた。


最後病院の保護室に入れられて目を開けた瞬間、ある知っているミュージシャンの女の子がライブが終って発作のような苦しい状態で床に倒れ込んで天井を見ている状態に私自身がなっていた。

そんなことがその子にあったのかはわからないし、その子は友人ではないし、喋ったことがあるかないかくらいの子だった。

けど、今でもそのイメージは少し覚えているから妄想の何者でもないかもしれないけど、まぁ、それはそれで、そうだったとしかいえない。


なんだか視えるという人に、私には霊感のようなものあると言われたけれど、霊感があると自分では思ったことがない。

けど、ときおりある不思議な感覚やそういった体験が1つのそういうものだったとしたらそれはそれだし、病気で神経をすり減らし不安やストレスが創り出した幻覚だったとしても、私はそれがそこにあると思うしかない。

不思議な感覚が実際に合っているのかもわからない。


最近はもちろん安定しているけど、今までおかしくなるときは人の死が近い時だったりする。

福岡で初めて鬱になっていたときは祖父の死だった。

携帯も切って誰にも会わず家のドアを開けれない状態で、姉がドアの外で「おじいちゃんが亡くなったー」と叫んだ瞬間走って泣きながらドアを開けに行って見た外の光が忘れられない。


東京で具合が悪くなりもうだめだとなっていた時叔父が亡くなり、姉の電話で泣きながら「後悔するから」を泣きながら聞き入れて、千葉まで電車で行ったけれど、途中で下車してトイレで吐いたりしながら行った。親族に会って従兄弟に何を言ったのかももう覚えていない。


実家に帰って、錯乱する前は祖母の死だった。


しんどくなった一番近いときも、お世話になった親戚のおじさんだった。

その時にお葬式でみんなに会う。

体調的にも心身的にも辛いのだけど、良くなったあとは、みんなが私の病気を一緒に連れて行ってくれたのではないかとよぎったことがあった。


なんでもありうる世界だと思っている私はなんでも受け入れやすい。

けれどありうるということだけで、疑問視することも必要だと思っている。

あと、ひとつのことに偏った意見や考えは少し苦手で、こうかもよ?と自分が思っているわけではないけどいらぬ考えを人に言うことがある。


なんだか着地点がわからない日記になった。

削除するかもしれないけど、今はアップしようと思う。




ふと、この結末はどうなるのか映画の途中でつい考えるような面白みのない人間になってきている。

どうなるのがベストなのか、とか

いやいや自分は何を感じたいのか、とか

消えろ消えろと思いながら淡々と観る。


そこにあったのは、

自分で予想のついたことが予想のつかないシナリオとセリフと演技で表現される、ということだった。


役者の表現と自分の中にあった感情が重なり怒ったり、笑ったり、悲しくなったり、涙したりする。


うわっと表現に嫌悪するということは、自分のなかにそれを嫌悪するにいたるトラウマ的な何かがあるということで、その表現自体を否定するということには自分は直結しないと気付いた。

コレは少しオトナになったのだなと自分をほめたい。


否定するということには強い感情がいる。


知らないことへの恐れや不安を手放したい。

もっと知ることに貪欲になりたい。


最近、2Eギフテッドなることを特集している動画を見て、その中の詩歩子さんという方の詩が忘れられない。


「生きること それは私を許すこと

 風の中にも 光る星がある」


「どこまでも深い青を思うとき

 これぽっちの人生なんだと」


彼女の詩をもっと知りたい。