ぼーっとベッドの天井を観ていて、携帯で流してる動画の音声を聞いていてなぜだろう、思い出したことがある。
今までいろんな人に出会ってきて、その数は数え切れないのだけど、友人として縁があった人ではなくて、短い時間や期間しか会えなかった人のことをあの人は今どうしてるかなと時々浮かぶことがある。
友人の演奏会で仲良くなって、連絡先も交換してまた会おうって約束をしたけれど、そのときに都合が悪くなってしまって会えなくなって以来連絡もつかなくなり、どうやら音楽もやめてしまってネットには過去のものしかなくて消息がわからないあの人は今も元気にしているだろうか、とか。
飲み会の流れで初対面ながら意気投合して家飲みしようとなり、朝になって恩師への気持ちを語りだし自分なりにこうではないかと話し強い口論のようにもなったのだけど、最後涙を流してありがとうと言われた。その人が眠りについたのを確認して家を出て朝の通りを歩いたときなんだか爽やかな気持ちだったのを覚えている、もう名前も家も覚えていないけれどあの人は今幸せにしているだろうか。
まだいると思うけど、この二人が頭に浮かんでどうして今気にするのだろうと考える必要ないのだけど、息災であってほしいと願うし祈りたい。
初めて実家で錯乱したときに私は目を全く開けず母の手を離さなかったらしい。
周りからの言葉は何も聞き入れず、友人の名前をずっと呼んでいたらしい。
良くなったあと家族はその人ともう会ってはいけないと言ったこともうっすら覚えている。
その人が知ったら恐怖だろうと思う。
自分ではわからない、その時の自分の中にそんなにもその人の存在が大きかったのかも思い出せない。
ただ、わかるのは今も大切な友人だ。
良くなったすぐあとには思い出さなかったけど、目を閉じていたあの時、私は人生で出会った人たちが次々に出てきて会話をして握手をしていてその人によって変わっていく手の感覚をおぼえていた。
最後病院の保護室に入れられて目を開けた瞬間、ある知っているミュージシャンの女の子がライブが終って発作のような苦しい状態で床に倒れ込んで天井を見ている状態に私自身がなっていた。
そんなことがその子にあったのかはわからないし、その子は友人ではないし、喋ったことがあるかないかくらいの子だった。
けど、今でもそのイメージは少し覚えているから妄想の何者でもないかもしれないけど、まぁ、それはそれで、そうだったとしかいえない。
なんだか視えるという人に、私には霊感のようなものあると言われたけれど、霊感があると自分では思ったことがない。
けど、ときおりある不思議な感覚やそういった体験が1つのそういうものだったとしたらそれはそれだし、病気で神経をすり減らし不安やストレスが創り出した幻覚だったとしても、私はそれがそこにあると思うしかない。
不思議な感覚が実際に合っているのかもわからない。
最近はもちろん安定しているけど、今までおかしくなるときは人の死が近い時だったりする。
福岡で初めて鬱になっていたときは祖父の死だった。
携帯も切って誰にも会わず家のドアを開けれない状態で、姉がドアの外で「おじいちゃんが亡くなったー」と叫んだ瞬間走って泣きながらドアを開けに行って見た外の光が忘れられない。
東京で具合が悪くなりもうだめだとなっていた時叔父が亡くなり、姉の電話で泣きながら「後悔するから」を泣きながら聞き入れて、千葉まで電車で行ったけれど、途中で下車してトイレで吐いたりしながら行った。親族に会って従兄弟に何を言ったのかももう覚えていない。
実家に帰って、錯乱する前は祖母の死だった。
しんどくなった一番近いときも、お世話になった親戚のおじさんだった。
その時にお葬式でみんなに会う。
体調的にも心身的にも辛いのだけど、良くなったあとは、みんなが私の病気を一緒に連れて行ってくれたのではないかとよぎったことがあった。
なんでもありうる世界だと思っている私はなんでも受け入れやすい。
けれどありうるということだけで、疑問視することも必要だと思っている。
あと、ひとつのことに偏った意見や考えは少し苦手で、こうかもよ?と自分が思っているわけではないけどいらぬ考えを人に言うことがある。
なんだか着地点がわからない日記になった。
削除するかもしれないけど、今はアップしようと思う。
