失われた三十年の流れを超えてゆく 〈2025年5月25日土星牡羊座入り〉 | 神人一致の癒奏術・響庵

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失われた三十年というものが生まれたきっかけは、三十年前の「土星牡羊座入り」から始まった。

 

 

三十年前・・・いったい何が始まったのか?

 

そこで始まった流れが、終わりを迎えたのであるが、人の意識はなぜか「引きずったまま」であり、さらにここから三十年も「失われたままの三十年」にしてしまおうという勢いである。

 

 

便利さを追いかけた三十年で、人は生きるのに不便さを増やしてきた。

「便利」という綺麗ごとに誘われ、「便利」なものこそ正義であると、「便利」と「コスパ」を追いかけて、「便利」さと「コスト」にこき使われることになった。

 

そんなもので利を得られるのは「誰」であり「何」であり、利が発生する裏側で「不利」が必ず発生することを知らず、誰かの何かの「利」のために、人はいつしか「不利」を背負った。

 

 

三十年前を振り返ると、その始まりがよくわかる。

あの時、日本中が「コスパ」へと大きく舵を切り、自分たちで自分たちの首を絞めて行ったのである。

 

誰かに責任を押し付けようとしても無駄である。

政治が悪い、社会が悪い、大人が悪い、誰かが悪いと漠然とした「悪」を想定しても、自らの意思で「それ」を行ってきたという事実は変わらない。

自分の手で自分の首を絞め続けて来た三十年。

それが「失われた三十年」という時間である。

 

 

いまから三十年前、どの企業も「成長路線」を放棄して「守り」に入っていった。

「成長」すること「進化」することを放棄して、「維持」しようとする中で「意識を転換」することで「まやかしの成長」という「仮想世界」へと自ら突入したのである。

「まやかしの成長」とは「コスト削減による利益拡大」というもの。

多くの経営コンサルタントを名乗る「経理畑」の人々が重宝され始めた時である。

 

「いかにコストを削るか」

それが「成長」であり「進化」であり・・・・

それを「成熟」などと呼ぶことは「詭弁」でしかない。

成長を止め、進化を止めた時、それは「衰退」へ転化し「退化」へ転化するものとなる。

 

 

 

氷河期世代はコスパ世代

 

社会全体が「コストパフォーマンス」を正義とした時代の象徴である。

それは「成長」を諦め、「進化」を放棄した「成熟」というまやかしの言葉の裏側の「衰退」の始まりの一時代である。

 

 

あのころ20代後半だった私は、そんな「転化」を見て『ちょっと待て』と思った。

社会が「コスパ」に走れば当然「人」そのものも「削られる」に決まっているのだから。

その「愚かさ」を説得するために「人材から人財へ」という言葉を掲げて「人を成長進化」させるための人事プログラムを作り、「成長することをやめない」ように訴えた。

様々な企業に、そして役所にも出向き、いろいろな場所でアプローチを試みたが、誰も見向きする者は居なかった。

 

経済は「コストカット」による「成長」という「戦略」に完全に舵を切り、社会全体がそちらへ向かう大きな流れはもはや止めようがなかった。

 

「誰か」が悪いのではない。

全体がそちらへ自らの意思で進んで行った結果である。

 

そうして「失われた三十年」という長い時間が始まった。

 

 

「コスパ重視」をする「氷河期世代」の子らは、自らの意思で自らの世界を「氷河期」へと変えていったのである。

それを「誰か」のせいにしようとして、未だに「自分自身」を変えられない。

自分の行動そのものが、氷河の大地である北へ北へと向かっているのに、誰かのせいにしたところで「北の大地」から出なければ「氷河の大地」からは抜け出せないのである。

 

 

 

三十年かけて土星は十二宮を巡り、終わりの時を迎えたのである。

 

新しい大地へ向かう三十年の始まりに際して、「新たな大地」を目指す「意思」を自ら持てた人は幸いである。

 

だが、未だ「北へ」進む歩みを止められない人は不幸である。

「先導役」が居なければ自分が進む方向さえ決められない人は不幸である。

 

この先も「同じこと」を続ければ、自分で自分の首を絞めるという「自慰行為」そのものを続けるのと同じこと。

誰のせいでもない。

自分で自分の意思と行動を省みて、三十年の「呪い」なのか「魔法」なのか「夢想」なのか・・・

それをやめなければ終わらないのである。

 

 

 

意識しなければ変わらない。

意思を持たなければ変わらない。

行動しなければ何も変えることなど出来ない。

 

ただ「流れ」に流されるだけの人に待っているのは「沈みゆく🌀」

全体主義の大きな「流れに乗っていればいい」という生き方をしてきた者にとって、足元の大地は「沈みゆく🌀」へと向かう「鳴門の大地」である。

 

「風の時代」と散々に言われながら、未だに「土の時代」の大地に根を生やしている人らよ・・・

それは「沈みゆく🌀」の大鳴門である。

 

風の時代に必要なのは、大地を踏む足ではなく、風に乗る「翼」である。

空の上こそ世界なのである。

 

空飛ぶ大きな船が出来て、それに乗せてもらうのを待っているのだろうか?

 

それはきっと「泥船」にしかならない。

自由に旋回して右に左に目まぐるしく変わる「風」という「流れ」には乗れないのだから。

 

 

「失われた三十年」という時代の流れのままに「沈む🌀」へと向かうのか・・・

そこから飛び立ち「新たな三十年」の時代を飛ぶのか・・・

 

 

周りの世界が如何に変わろうとも

自分が変わらなければ「自分の世界」は変わらないのである。