『ヒーラーとは』 ~ホームページリニューアルnお知らせ | 神人一致の癒奏術・響庵

神人一致の癒奏術・響庵

ホリスティックセラピスト、ヒーラー、アロマブレンダー、メディカルハーブ、薬膳・漢方等々、様々な「癒し」を奏でる『ヒューマンセラピーメソッド』
それが【癒奏術】です。

ホームページ
https://yhibikian.wixsite.com/akuh

 

 

 

 

ヒーラーと聞くと「手をかざして癒す」などというものを想像することでしょう。

 

しかし、それはほんの一つの外形的要素の「見え方」に過ぎないものです。

 

 

昔から「手当て」という言葉があるように、「手を当てる」という行為に「癒し」の力があります。

 

それは「誰にでも」あるものです。

 

ただ、それが時と場合とタイミングが合致し、手当てする人の心次第で「癒し」の力は大きくもなれば小さくもなる。

 

また、人によって目には見えないが「纏っている」ものがあります。

 

『幽体』とも言い『エーテル』とも言われる「その人の霊」の根っこにある「意思」のようなものが具現化したエネルギー体です。

 

これは「その人の根っこ」が影響します。

 

心根、性根といった「根」となる部分が具現化しているようなものです。

 

だから「人それぞれ」となるわけです。

 

 

心根、性根の具現である「幽体」とは「無意識」に発動される、発動されているエネルギーです。

 

ですから、無意識レベルで「癒し」の心根、性根を持っている人の「癒しの力」は当然大きいわけです。

 

とっさに、自分を差し置いて他者を「癒そう」と行動する人・・・というわけです。

 

 

それは同時に、霊体の根っこである『魂の姿』ともいえるものです。

 

『魂魄』という言葉がありますが、それは霊体の中心である『魂』と、「魂」の外形的表れ『魄(幽体)』という関係になるでしょう。

 

 

 

様々な見解や憶測などで、多くの人が「見方」を間違えており、それを「技術」であると考えてしまいがちです。

 

それは間違いではありませんが正解でもありません。

 

 

根っこに「癒し」の要素が強い人と弱い人では、「技術」そのものも違うのです。

 

同じ「技術」を訓練しても、芽が出る人と出ない人が現れるのはそのためです。

 

 

「根」が違う人が「同じ訓練」で「同じこと」が出来るようになるわけはありません。

 

「根」の違いは「木」の違いであり「花」の違いであり、同じ育て方で同じ環境で同じように育つはずもないのです。

 

 

「同じ」でないものを「同じ」にしようという「見方」で見ていることが、そもそもの間違いであります。

 

 

 

「癒し」と一言で言ってもそれは千差万別です。

 

人それぞれに合った「癒し方」というものが存在します。

 

 

  • 気の癒し

  • 火の癒し

  • 風の癒し

  • 水の癒し

  • 土の癒し

 

 

その人その人の「根」が最も得意とする「癒し方」というものがあります。

 

 

さらに、自分自身が得意としている「五感」というものもあります。

 

見ることが得意、聞くことが得意、嗅ぎ分けることが得意、味わうことが得意、触れた感触が得意というふうに、これも同じく「根」が違うわけです。

 

そして、自分の「根」を最大限に生かす「技術」も違って当然です。

 

 

 

だから、同じ「技術」を教わったとしても、たまたまその技術に合った「根」を持っている人が「癒し」の能力を伸ばしている・・・・ということになります。

 

そして、その「技術」が合わなかった「それ以外の人」は「挫折」することでしょう。

 

 

 

実は「教える」方の人の方もよくわかっていなかったりするからです。

 

たまたまそんな力を得た・・・・

 

それをそのまま、わからないまま進めれば、「わからない」が連鎖していくだけです。

 

 

 

私自身も、最初のころは当然「わからない」という状況でした。

 

その「わからない」を突き詰めて解き明かすのは難しいものです。

 

なにせ「教えてくれる」人が居ないわけですから・・・・

 

 

ですが、根気よく精査して、在るものは在る、無いものは無いと「ありのまま」を受け止め、何より「わからないまま」にしようとする自分を戒め、一つ一つ「事実」と「実績」と「経験」を積み上げれば「わからない」は一つ一つ消えていきます。

 

 

 

 

 

『覚醒』とは「赤ん坊がオギャーと生まれる」のと同じことであり、生まれたばかりの赤ん坊が「何も知らない」「何もできない」のと同じです。

 

それが「独り立ち」できるまでに至る過程を見れば、『覚醒』というものがどんなもので、その後「何をすべきか」ということがわかるというもの。

 

『出来ることからひとつずつ積み上げていく』

だけです。

 

そして、それを行った人だけが「わからない」という「赤子」の状態から独り立ちできるまでに成長できるのです。

 

 

 

また、「わからない」ために普段自分の周りでせっかく「癒し」を与えてくれている人を蔑ろにしていたり、「奪う」人を「癒し」であると勘違いしていたりします。

 

それは「癒し」そのものが「わからない」ために起こることでしょう。

 

そして、わからないために「癒している」つもりで「奪う」ことをしていたり、「癒している」のに自分を卑下していたり・・・・・

 

悲しいことですね。

 

 

 

「癒し」である「ヒーリング」そして「ヒーラー」として最も大切なことは「知る」ということです。

 

自分を知り、相手を知り、手段を知り、目的を知り、道を知る。

 

 

自分の「根」を知ることで、自分の「得意」を知り、得意を「中心」にして他のそれぞれを追随させるように伸ばしてゆく。

 

得意なものほど「伸びる」のですから。

 

そして、「何が出来るか」を知り、そのための「手段」を知って伸ばし、伸ばしながら「目的」を定めて登ってゆく・・・・・

 

それが「ヒーラー」というものです。

 

 

 

 

 

ホームページ等リニューアルのお知らせ

 

ホームページをようやく一新することができました。

セラピストとしての集大成となる「癒奏術・Yuragi Therapy」

そして、その後の「覚醒」から始まった「ヒーラー」としての「癒奏術」

それらをようやく「習合」した「癒奏術」として、新たに始めることが出来そうです。

 

ですが、新たに始める「リモート」に関する箇所については検証途中で、まだ完了していない作業も残っております。

 

 

ここから先は「実の道」

「実」なき虚像は崩れ去る

 

それは覚醒時の7年前から確と存在した「導き」からの言葉・・・

それゆえに「癒奏術」という「術」の実相の上に「霊性」が重ねられたわけであります。

せっかく完成した癒奏術を再び「未完」へと引き戻し、さらにその上に「霊性」を重ねて来たわけです。

そうして最終的にすべてが「習合」されたものとなりました。

それでも「完了」ではありません。

自分にその気がある限り、まだまだ進化してゆくでしょう。